六百十七 志七郎、弱点を見極め爆炎に包まれる事
漆喰の白壁に走った罅と言う罅、穿たれた穴と言う穴、その全てから灼熱の猛火が吹き出し……一瞬の間を置いて、中に発破でも仕掛けられて居たかの様な轟音を響かせて建物が弾け飛んだ。
「火ーっ火っ火っ! 真逆、真逆コンナニモ早クコノ姿デ暴レル羽目ニ成ロウトハ……ワテ等ハ只ノ燃髪将トハチャウ、破戒獄の紅蓮羅漢、名ハ炎羅大王様ヤ! 目ニ物見セチャルケン、覚悟セェヨゴラァァァ!」
中から出てきたのは、燃髪将をそのまま大きくしたような姿では無く、全身に炎を纏った身の丈十間程の巨人だった。
その体から吹き出す炎からは、当然の如く火の粉が舞い落ち、五間は優に有るだろう空堀を隔てて尚も、先程までとは比べ物にならない熱が伝わって来る。
『耐熱』の魔法を掛けて居てすら、ジリジリと肌を焼くような熱さを感じるのだ、素の状態だったならば直ぐに熱にやられていただろう。
「砦を築く位だから、大鬼の一匹や二匹は居るだろうとは思ってたけれども……此れは一寸規格外過ぎじゃぁ無いですかねぇ? 鬼切童子君、アレ何とか出来る自信有る? 私もそっちの事気に掛けてる余裕無さそうだから……自力で生き延びてね?」
そう言う美々殿の全身から流れ落ちている汗の内、どれ程の割合が暑さに依る物で、どれ程が冷や汗の類なのだろうか?
当然ソレは俺も同じで、暑さと恐怖その両方で全身から汗が止まらず、終いには汗で濡れた褌の端から滴り落ちる程だ。
「アレ相手に近接戦闘は普通に燃やされそうですよね、かと言って銃弾が届くとも思えないし……」
そうして話している俺達を見下ろし睨め付けながら、炎羅大王は大きく一歩踏み出し空堀を跨ぎ超えると、そのまま踏み潰さんと一気に足を振り下ろした。
爆氣功を纏ったままでも自由自在に動ける美々殿は勿論、外氣功だけを纏った俺も、そんな見え見えの一撃を食らう程間抜けでは無い、大きく後方へと飛び去りソレを避ける。
するとどうだろう、ほんの一瞬前まで俺達の居た地面が……溶けた。
巨人の踏み込みで砕けたのではない、圧倒的な熱量で一瞬にして地面の土が溶岩の様に溶けたのだ。
しかしソレでズブズブとその巨体が沈んでいく様子は無く、飽く迄も表面の土が溶けただけなのだろう。
とは言え、そんな熱量を持っている以上、直撃は素より掠めるだけでも、耐熱の効果を打ち抜いて焼死させるには十分な筈だ。
即座にソレを悟った俺達は、示し合わせた訳でも無く、更に大きく後方へと距離を取る。
そして美々殿は直様、裸王轟衝破を放ち、
「古の契約に基きて、我猪河志七郎が命ず! 清浄なる蒼き力! 集い集いて眼前の敵を撃ち貫く魔弾を成せ! 我が切っ先の向かう先に……放て水弾撃」
内氣を使わず外氣功だけを纏った状態ならば、耐熱の魔法を紅牙が維持し続けても、他の魔法を放てるだけの余力が有ると判断し、水弾撃の魔法を放つ様に呪を編む。
自身の体躯と変わらぬ程の権太光線の如き裸王轟衝破は、見事に巨人の身体を貫き大穴を穿つが、直ぐに炎が寄り集まり穴を埋め、大した痛痒すら与えた様子は無かった。
対して御鏡の放った水の弾丸が着弾した部分は、一瞬炎が消え其処を構成して居ただろう燃髪将が一匹剥がれ落ち、地面に落ちるよりも早く灰に為り風に巻かれて散り散りに成って消える。
「水の魔法なら通る! 美々殿、何とか足止めをお願いします、規模の大きな水魔法を叩き込みます!」
恐らくは息をするだけでも肺が焼かれる……そんな熱が俺達を包み混んでいるのだろう、紅牙の能力で耐熱の魔法を維持し続けたとしても、長く相対して居ればじわじわと体力を削られていくのが目に見えている。ならば早く決着を付ける以外に方法は無い。
ではどうすれば良いのか……俺は腹を括って無茶をする事を決めた。
自分の攻撃だけでは決定打に掛けると言う事は彼女も感じたのだろう、美々殿は俺の提案に小さく首肯を返すと、一撃の威力を抑えた裸王轟衝破を奴の膝辺りに向けて連射し始める。
彼女が足止めをしている間に俺がするのは……外氣功を纏ったままで、内氣功を高める呼吸をし、爆氣功を纏う事だった。
氣は身体能力を含めた様々な能力を増幅する異能だ。
ならば魔法を制御する為の精神力や、魔法の出力を決定付ける魔力と呼ばれる能力を増幅する事だって可能な筈である。
「古の契約に基きて、我猪河志七郎が命ず! 清浄なる蒼き力! 我が手集いて水球を成せ! もっと! もっと! もっと!」
身体の何処に精神力や魔力を司る臓器が有るのか解らないが、出来る! と信じて爆氣功で発生した強大な氣の力を声に込めて呪を紡ぐ。
両手を頭上に掲げ、其処に御鏡に宿る精霊の力で水の球を生み出し、可能な限り大きく大きく育てていく。
幸い魔法で生み出した水は重さを感じる様な事は無いが、氣と魔法を絞り出す事で心臓の奥から全身が軋む様な痛みが走る。
歯を食い縛り痛みに耐えながら作り上げた水の塊は、前世の世界でよく膨大な水の量を表す単位として用いられる『学校のプール何杯分』と表現するならば、精々五百分の一にも満たない量でしか無い。
それでも普通の人間に叩きつければ、先ず間違いなく肉煎餅が出来上がるだけの質量を持つだけの量には成ったはずだ。
目の前でそんな物を作っているのを悠長に見ている程、炎羅大王も愚鈍では無い。
此処まで大きくする為に掛かったのは凡そ一分、その間俺が全身全霊を水球を造り上げるのに使えたのは、美々殿が只管に奴の膝を打ち抜き続け、徹底的に足止めをしてくれたお陰だ。
「……我が手、振り下ろせし先に在りし者を打ち砕け! !水槌!!」
声を出す事すら辛い程に、全身を蝕む痛みに耐えながら、そう吠え両の腕を振り下ろす。
「ぅおぉぉぉおおおん!」
負担が掛かっていたのは、俺だけではなく御鏡も同じだった様で、意味の籠もらぬ咆哮を上げ、ソレに伴って水球が炎羅大王の土手っ腹に叩き付けられた。
巨人に叩き付けられた巨大とは言い難い――それでもどう少なく見積もっても二百六十五貫は有るだろう――水の塊は、質量に依る打撃と属性に依る被害の双方を確かに与えた様に見える。
だが同時に奴に触れた水球は、奴の持つ膨大な熱量を受け、蒸発し辺りを濛々とした湯気が包み込み、その姿を捉え続ける事が出来なくなった。
「やったんですの!?」
思わず溢れでた言葉なのだろう、美々殿がそう口にした瞬間、
「以下同文!」
俺は即座に同じ規模の水球を生み出す為にそう叫ぶ。
止めを指した事を確認する前に気を抜いてはならない、常に残心を心掛けろ……と言うのは、普段の稽古でも常々言われ続けて来た事だ。
それに彼女の口にした言葉は、所謂『旗』と言う奴に他ならない。
少なくとも俺が前世に読んだネット小説の数々で「やったか?」と誰かが口に出して、実際に蹴りが付いた……と言う作品を見た覚えが無い。
彼女がそう言ってしまった以上、もう一発二発は叩き込むつもりで行動して置いた方が良いだろう……とそう言う判断だ。
俺が再び水を貯め始めたのを見て、美々殿もまだ勝負が付いていない可能性を感じたのだろう、一瞬揺らいだ爆氣功を改めて纏い直し、何時でも裸王轟衝破を撃ち放てる様に構え氣を貯め始める。
「真逆……真逆、タッタ二匹ノ雌ト子供ニ此処マデ削ラレルトハ……態々水気ノ無イ地ヲ探シ此処マデ苦労シテ来タンヤ言ウノニ……ワテラノ野望ハ此処デ潰レテマウンカ……」
立ち込めた蒸気の向こうから茫然自失と言う言葉が相応しい、そんな声が聞こえてくる。
やはり倒しきれては居なかったか……けれどもその姿が湯気に遮られて見えない……。
「セヤケドナァ……タダジャァ死ンデヤラヘン。オドレラモ道連レヤ! 此処等ニャァ燃エル物ガ仰山有ル! 火ト煙ニ捲カレテ逝ネヤ!」
湯気の向こうからそんな言葉が聞こえて来た、その直後濃霧の向こうに赤い、紅い、朱い炎が見えたと思ったら……ソレが大きく弾け、耐熱の効果すら貫く凶悪なまでの熱量を秘めた爆発が俺達を包み込んだのだった。




