五十九 志七郎、技を知り、心を決める事
「援軍が……こねぇ、だと?」
「そんな! 俺たちゃ見捨てられたってのかい?」
「冗談じゃねぇぞ! おらぁ足やっちまってんだ、此処でくたばるしかねぇってのか!?」
動じる事無く言い放たれた兄上の言葉に、毛微塵程の動揺も見せなかった我が藩士達とは違い、元からこの場に居た鬼斬り者達の中からそんな声が上がり始める。
「江戸に在任している各藩及び幕府の侍達は、北州より迫る大鬼、大妖の軍勢に対し全勢力を以て当たる、故に江戸州第七戦場にて発生せり屍繰りとその徒党に関しては猪山藩藩主猪河四十郎に一任する物とす、征異大将軍、禿河光輝」
兄上から書状を受け取り父上が改めて読み上げるが、その内容は当然変わる物ではない。
道中や此処に着いてから聞いた事を総合すれば、俺達猪山藩が先鋒として現場で孤立していた鬼斬り者達を救援し、後から来る他藩の者達と挟撃を行って一気に殲滅する、と言うのが事前の作戦だったはずだ。
だがあの書状はその作戦の前提を丸っと潰してしまう物だった。
だと言うのに動揺する素振りを見せるのは現場に居た鬼斬り者達だけで、うちの藩士達は誰一人として顔色一つ変える素振りすらない。
「我らは小藩なれど武勇に優れし猪山藩、この程度の修羅場等何度も超えてきた、しかも今日に至っては天下に聞こえし『無敵』の一郎も居るのじゃ。何を恐れる事があろう、皆の者心配する事など無い、我が采配に従えば勝てる、間違いない」
それでも父上はそう朗々と高らかな鼓舞の台詞を口にした、それは当然うちの藩士の為と言うよりは、他の鬼斬り者達を戦力として数える事が出来る様にするためだろう、絶望に囚われたままでは戦うことなど出来はしない。
父上の言葉には傷つき倒れた者達にすら活力を与えるだけの強さと信頼感が感じられた。
だが正味の話どうなのだろう、人海戦術が取れない以上、数を潰し本体を特定出来る程度まで減らすと言うのは、かなり骨の居る作業の様に思える。
氣による攻撃は打ち止めが有る、援軍が無いとなれば長期戦は完全に此方が不利になるだけだ、先程までとは完全に状況が逆転してしまっている。
となれば何らかの作戦変更は有るはずだ、そう思い父上の命令を待つ。
「慌てる必要など何一つ無い、数を狩るのは霊刀持ちと術者に任せ、他の者は交代で足止めをするのじゃ。じっくりと時間を掛けてな」
父の言葉は俺にとって驚くべきものだった、何の作戦変更も無く今までどおりに時間を掛けた遅滞戦闘を続けろと言うのだ。
援軍が来ないならば、時間を掛けた所で氣も尽き疲れ果て不利になるのは目に見えて居る。
「援軍が来ないってのに、時間を掛けてどうなるってんだ!」
「このままじゃどうしようもねぇじゃねぇかよ!」
当然、俺と同じように考えた者達の中からは反発の声が聞こえてくる、だがそれすらも折込済みだったらしく、書状を父上に手渡した後一歩下がった位置に居た仁一郎兄上がずいっと彼らの前へと進み出た。
「……援軍は来ない、だが応援は来る。屍繰りは生ある者、生きとし生ける物へ全ての敵、江戸に住む同胞だけの敵ではない。必ず助けは来る、腐るな」
馬上から静かに見下ろしながらそう言った後、兄上は彼の反応を待つ事無く手綱を巡らせると、馬の腹を蹴った。
駈け出したのは義二郎兄上が戦っている方向だ、見れば義二郎兄上は前へと出過ぎて居たらしく、何体かの生き屍が陣内へと入り込もうとしていた。
当然兄上もそれに気付き戻ろうと此方を振り返るが、先程までの一体一体が乱雑に襲い掛かってきた様子とは違い、組織だった動きでそれを足止めする。
そんな状況に対応していた信三郎兄上はと見れば、逆サイドを抑えに走った四人の家臣達のフォローに忙しい様で、義二郎兄上サイドまで手がまわらない様子だった。
仁一郎兄上はそれらの状況を見極めていたらしく、迫り来る生き屍に対しそれこそ騎士がする様な馬上突撃を叩き込む。
生き屍に対しては神器や霊刀でなければ、どんな武器もどれ程の腕力も無意味、そう言われていた。
実際自分が戦った時にもどれ程の力を込めようとも流し込んだ氣の量以上のダメージを与えた感じは全くなかった。
だが仁一郎兄上はその突撃の勢いそのままに生き屍を貫き、そして大きく弾き飛ばした。
思い返せば一郎翁の攻撃も、ただ死体に纏わり付く陰を吹き飛ばすだけでなく、陰が消えた死体もが大きく弾き飛ばしていた。
俺や義二郎兄上、礼子姉上の攻撃では生き屍はその場に崩れ落ちる様にして倒れ伏すものの、どれ程力を込めてもあんな風に飛んで行くようなことはなかった。
この違いは何処に有るのだろう、もっと、もっと良く見れば解るかも知れない、そうすればもっと効率良く戦えるかもしれない。
そう思い、雀の涙程度には回復していたらしい氣を双眸へと集めた。
眼に氣を集める事で素の状態では見えない色々な物が見え、前世で言うならばアフリカ原住民の様な視力も得て遠くの物もよく見えるようになる。
そうか『打ち込みそれから氣を流し込む』では無く『当てる寸前で氣を炸裂させ陰を吹き飛ばし、ただの死体を打ち飛ばす』のか!
ソレが解って同じ真似が出来るかと言われれば、その答えはイエスだ。
鈴木に指導を受けた際にやった氣翔撃の連射、要はあれと似たような物だ。
十分以上の氣を拳にいや指先に集め、陰を吹き飛ばすのに十分な分だけの氣を放ち、残りの氣を纏わせた拳で殴り飛ばせば良いのだ。
そうと解れば、いつまでも座って氣の回復を待つと言うのももどかしい、跳ね上がるように立ち上がり俺は駈け出し叫んだ。
「智香子姉上、氣を回復する薬を下さい! 薬代は後から払います!」
「まいどあり~なの」
そんな返事と共に此方を振り返る事すら無く投げ寄越された小瓶を掴みとり一気に煽る。
一度経験済みで覚悟は有ったとはいえ、相変わらず糞不味い薬を無理やり嚥下し、竹筒に残っていたスポーツドリンクもどきで口を濯ぐ。
あっという間も無く全身を氣が満たしていくのを感じながら、『眼』『拳』『足』の六箇所へと同時に氣を集める。
今までだって両手、両足、双眸と同時に二箇所へ氣を集める事は出来ていたのだ、慣れればその全てに氣を纏わせる事とて不可能では無い。
よし、問題ない、行ける!
「父上、もう一度後方へ向かいます!」
「おう、行って来い。一郎よ、其方も一度こちらへと下がれ」
俺に対する返答と合わせて一郎翁への指示、その言葉を聞き一郎翁はちらりと俺の方へと視線を寄越すと一つ頷いてから、跳び退った。
その場所を埋める様に即座に飛び込こむ。
一郎翁の様に一歩も動かずにその場を支配するような真似は流石に出来はしない、だがそれでも彼が居たその場所に立ち、その場所取りが無数の生き屍を相手取るのに最適な場所であることは理解できた。
ほんの僅かでは有るが、その場所は野球のマウンドの様に辺りより一段高いのだ。
打ち上げるよりは打ち下ろす方が力が乗るのが道理である、飛び込み打ち込むにしても高い位置からのほうが明らかに有利。
そんな少しの事だけでも、彼がただ力任せに戦って居た訳では無い事に気付かされる。
後は迫る物だけを的確に打ち抜き弾き飛ばすだけで良い。
父上も仁一郎兄上もそのどちらもが遅滞戦闘を命じているのだ、二人の判断を信じやるべき事をするだけで良い。
眼の前に広がる陰の中に緑鬼王の亡骸があろうとも、それで場を乱すのは本末転倒、只々丁寧に戦えば良いのだ。
心を決め、拳を強く強く握りこんだ。




