六百六 志七郎、滞在費を心配し立ち木打ち続ける事
「そう言えば、大叔父貴。俺が此処に滞在する費用ってどうなってるんですか? 食い扶持は勿論、宿坊を借りるのだって指導を受けるのだって無料って訳じゃぁ無いでしょう?」
痛む額を擦りながら、晩飯に豚肋肉の乗った饂飩を啜りつつ、俺はそう問いかける。
「食費の心配は要りませぬ、此の肉もワン公に与える肉も、志七郎様が稽古を受けている間に拙者がちくと、其処等の化け物を狩って来ておりますし、自分達で食う分以外は売っぱらって小麦やら米やら買ってますので基本ロハで回して居りまする」
と、そんな言葉から始まった大叔父貴の言に拠れば、昼間俺が稽古に出ている間は四煌戌を連れて近場の戦場へと赴き、豚鬼を中心とした鬼や妖怪を狩って居るのだと言う。
「宿坊の賃料や稽古の月謝は、志七郎様の修行に必要な経費と言う事で、藩の財政が出る様に兄者が手配して居ります故、そちらの方も気にする必要は有りませぬ。どうしても気になるならば一日も早く業を身に付け、早く江戸に帰れる様努力なさいませ」
旅の費用は変な豪遊でもしない限りは幕府から出る、そう言われた此の旅路で個人的な修行の為に掛かる銭は流石に経費として下りないよなぁ……とそう思っていたのだが、流石は御祖父様と言う事か、その辺に全く抜かりは無いらしい。
とは言え、四煌戌は俺の家臣と言う枠に成る存在で、その食い扶持は俺が稼ぐのが『己の小遣いは己で稼げ』と言う猪川家の家訓に即した行動である、にも拘らず大叔父貴が四煌戌達の分まで鬼切りを行っている状況は、ソレに反している事に成るのではなかろうか。
「拙者が多少手を貸しているとは言え、ワン公達も自身の食い扶持は自身で狩って居ります故、其処まで深く考え込まずとも宜しゅう御座る。それにこうしてほれ、拙者も明日の事を考えずに酒を飲んでのんびり出来るのは割と役得と言える状況ですしな」
そう言いながら笑う大叔父貴の表情からは嘘は感じられない。
聞けば、基本的に御祖父様と共に火元国中を東奔西走右往左往し続ける生活をしているそうで、翌日に残る様な大酒を飲む事は当然出来ず、一所に留まってのんびりする……と言う事もほぼ無いらしい。
京の都に御祖父様が滞在していた間も、姿を見せずとも側に控えて居たそうで、御祖父様が何時何時突拍子も無い事を言いだしたりしても良い様に、また火元国中に散っている手の者が情報を持ち込んでも良い様に常に臨戦態勢を維持する生活をしていたのだと言う。
豚鬼程度ならば大叔父貴からすれば、鼻を穿りながらでも倒せる様な雑魚の範疇らしく、ソレを食費分狩って来るのは労力とも言えぬ、ソレこそ良い運動と言って良い程度の物らしい。
「そもそも兄者と共に旅をしている間は、拙者が身の回りの世話をして居りますからの、御三どんとて手慣れた物ですよ。志七郎様は気にせず、今は鱈腹食ってゆっくり寝てきっちり修行なさって下さいませ」
大叔父貴はそんな言葉を口にすると、話は此れで終わりと言わんばかりに、饂飩の上に乗った豚肋肉を一口齧ると、美味そうに酒を啜るのだった。
日が登るよりも早く起きた翌朝、近所を四煌戌達を連れて散歩した後、俺はまた立ち木打ちに精を出して居た。
にしても、此れ本当に木なのか? と一太刀打ち込む度に響く金属を打ち合わせた様な甲高い音に、そんな疑問が脳裏を過る。
最大強化時の身体能力も、昨日の稽古である程度把握する事が出来たが、加減を覚えると成ると、やはり打ち込み稽古は必要不可欠だ。
しかし集氣法を用いた稽古をするのでは、木の中でもかなり硬い部類に入る蚊母樹の丸太と棒ですらも脆すぎる……そう感じた俺は、大叔父貴に財布を預け蚊母樹以上に丈夫な木材を手配して貰ったのだが、ソレは殆ど金属と変わらない硬さだった。
何でも妖怪化した樹木で有る『妖樹』に分類される妖怪の一種である『吸血樹』の丸太と枝らしい。
硬すぎて加工は難しいが、その硬さと燃え辛い特性を持つ事から、高級船箪笥なんかの素材としてそれなりに需要が有る物なのだが、ソレを加工出来る職人が少なすぎる為に、無加工の丸太と枝は比較的お安く手に入るのだそうだ。
そんな訳で、然程懐を痛める事無く手に入れる事が出来たのだが、正直……木を打ち合わせて居るとは思えない音が辺りに響き渡っている訳である。
とは言え、打ち込んだ際の手応えは金属を打ち合わせた時のソレとは違い、極めて硬いが十分な弾力も併せ持つ木材の感触である事に違いは無い。
氣を纏わぬ状態でも蚊母樹の丸太と棒は、三日も立ち木打ちに使えば打ち合わせた場所が削れ駄目に成ってしまうが、叩いて見た感覚からすると氣を纏わねば一月は保つ様に思える。
「さて……次は集氣法を用いた状態ではどうなるか……なっと!」
速さも威力も段違いに強化された状態での身体の使い方を意識しつつ、只管ただ只管に立ち木打ちを続ける……と、打ち合わせた場所がジワジワと削れていくのが目に見えて解った。
この感じだと集氣法を使った立ち木打ちに使うと、吸血樹の丸太と棒でも三、四日で駄目に成りそうだな……。
錬風業の基礎の基礎である集氣法の段階で此れだと、外氣功を身に着けた状態だと何処まで硬い木が必要に成るだろうか?
四錬業全てを極めた御祖父様と常に行動を共にしてきた大叔父貴なら、その都度丁度良いだろう素材を手配してくれるんじゃぁ無いかとは思うが……。
問題は江戸に帰った後だな……江戸州内の戦場に出現する鬼や妖怪の攻略本とも言える『江戸州鬼録』と言う書には、妖樹の類いは記載されていなかった筈だ。
と言う事は、江戸州内でその手の物を手に入れるには、外からの輸入に頼る事に成る訳で……流通技術の発達していないこの世界では、輸送料は前世の世界の比では無いだろう。
まぁ大叔父貴に聞いた話では妖樹に分類される妖怪の多くは、ぱっと見る限りでは普通の木にしか見えず、しかも居るのは基本的に林や森の様な樹木が密集している場所で、其処に居ると言う前提で探さねば見つける事は出来ず、先ず不意打ちを受ける事に成ると言う。
しかも大概の場合、相手に与えた損害の分自身を回復させる『吸血』とか『体力吸収』なんかの能力を持っている事が多く、ソレが無い場合でも『高速治癒』を持っていたり、回復系の妖術を使ったり……と耐久力の面で厄介な能力を持っているのだそうだ。
後から聞いた話では、江戸州内でも絶対に出現しないと言う訳では無く、厄介な化け物故に、江戸州内で目撃情報等が有った場合、即座に『賞金首』として指定され、口入れ屋から二つ名持ちの鬼切り者に直接依頼が持ち込まれたりして即座に討伐されるらしい。
取敢えず此処の周辺の森では吸血樹もその上位種である『樹木子』も割と手に入る素材らしいので、滞在中の稽古に困る事は無いだろう。
にしても……燃え辛い性質を持つ木で本当に良かった、氣を大きく纏った状態での立ち木打ちは、普通の木なら摩擦熱で発火していても全く可怪しく無い程の速さで打ち込まれるのだから。
「志七郎様、そろそろ朝食の準備が整います故、汗を流してきて下さいまし」
只管にただ只管に氣を大きく纏った状態で立ち木打ちを続け、大分斬撃の軌道も身体の動かし方も安定してきた……と思えた頃だ。
宿坊の裏口から顔を見せた大叔父貴が俺にそんな言葉を投げかけて来る。
「はい、有難うございます」
その言葉に従い、俺は股間を隠すお盆を手に取ると、共用の井戸へと向かうのだった。




