五百九十六 『無題』
飯蔵からの報告を聞きながら茶を一口、口に含む……普段は爽やかだと感じる筈のソレが今は途轍もなく苦い。
「その話真ならば許し難い……禿河の姓を背負って居ながら、その名を汚す愚か者は許して置く訳には行かぬの」
この火元国には『倒幕派』と呼ばれる者達が居るが、其れ等は大きく分けて二種類。
主家が何らかの理由で潰れた結果、浪人と成った者が江戸へと来たは良いが、其れまでに碌な功績を上げて居らず感状も無ければ、鬼切りで名を成す事も出来ぬ……そんな武士と言う名に縋り付いて居るだけの無能者達。
もう一方は六道天魔との戦いの際に、何の因果か向こうに付いた者達の末裔だ。
前者は兄者の策謀で上手く一纏めにして監視しつつ、余計な騒動を起こさぬ様、定期的に鬱憤晴らしの飲み会なんかを幕府の銭で催す事で牙を抜いている。
対して後者は火元国各地に潜伏している……とは言われているが、極々一部の大者と呼んで良いであろう者達以外は、その傘下にどれほどの者が集まっているのかも完全には掴めて居ない。
とは言え、御庭番衆もその協力組織である厳十一忍衆も、無能揃いと言う訳では無い、後者の方は組織の規模としては彼等の目を盗める程度の小さな物なのだろう。
今回、調査をさせたのは前者の……本来ならば毒にも薬にも成らぬ無能者達の方だ。
飲み会の主催者は当然ながら幕府の手の者なのだが、其れ以外にも数人構成員を装った草を潜り込ませている、そんな者の一人から連中の動きが変わったと言う報告が入った後音信が途絶えたのである。
最後の報告では、幕府が銭を出した時以外に別の飲み会を開く様に成り、其処に集まる者達が徒党を組んで鬼切りに勤しむ様に成ったらしい。
そうして鬼切りで得た銭で飲んで居ると言うので有れば問題では無いが、草が一人消えた事を不安視した飯蔵が部下に調べさせた所、当初連中は得た銭で飲んでいた訳では無いらしく、出資者とでも言うべき者が別に居たのだそうだ。
その内の一人が、余の又甥に当たる禿河の姓を名乗る事を許されている者だったのだ。
しかも其奴は事もあろうに銭を儲ける為に自身の息の掛かった商人に、自分の名前を看板に使わせて禁じられた麻薬の類を売り捌かせて居たのだと言う。
そうして持ち込まれて居たのは只の麻薬では無い……其れは二つの霊薬に偽装された物で、単体で服用する分には偽装元の霊薬と同様の効果が得られるが、ソレを合わせて飲む事で尋常ではない多幸感を味わえる、と言う周到な物らしい。
外つ国から火元国に入る品々は、基本的にその土地の領主が検査させ、江戸州に入る際には更に幕府の役人が追加調査をするので、抜け荷で江戸州に禁制品を入れるのは簡単な事では無い。
だが二つの霊薬を合わせ無ければ麻薬に成らぬ上に、其々を別々の商家に運ばせたならば、その絡繰が解らぬ限り取り締まる事は不可能だった。
そしてその絡繰が解けた時、消えた草の行方も解った……と言うかその草が見つかったからこそ絡繰が解けたと言った方が正しいだろう、なにせ見つかったその者は麻薬漬けにされて居たのだから。
不幸中の幸いな事に、その者は忍術をある程度使える者で、毒や麻薬と言った物に多少なりとも耐性が有った為、二度と日の目を見る事が出来ぬと言う程に酷い状態では無かったそうだ。
無事と言って良いかは解らぬが、兎角救出されたその者の話に拠れば、普段通り主催者不明とされた飲み会で出された酒に麻薬が混入されて居た事に気が付いたのが最初だったらしい。
麻薬入りの酒に慣れた者は普通の酒では満足出来ない身体にされ、ソレを飲む為に再び何者かが主催する飲み会へと参加する……そして完全に中毒者に仕立て上げられた所で、無料の飲み会を止め、銭を取る様に成った……と。
その銭を捻出する為に、無駄に誇り高いが故に群れての鬼切りをしなかった者達が、手を取り合い徒党を組んで鬼切りに勤しむ様に成ったと言うのが、今回上がって来た報告である。
「幾ら今は亡き兄上の孫とは言え、麻薬の抜け荷とあらば捨て置く訳には行かん。即刻召し捕って……と言いたい所だが、仮にも禿河の名を背負う者……下手に表沙汰にすれば幕府の威信に関わるの……。余り褒められた手では無いが仕方ない、飯蔵……消せ」
件の男……禿河貞興は禿河の姓を許されているとは言え、実質は御目見得以下の御家人扱いの者で、又甥とは言え一度も会った事は無い。
故にと言う訳では無いが、ソレを事故に見せかけて始末する様に指示する言葉は、心に扠したる負担も掛らずに口を突いて出た。
禿河の名を背負うその者さえ消せば、後はその者の関与を隠蔽した上で、通常通り関係者を召捕り詮議すれば良い。
「貞興を消すのは可能ですが……どうやら此の謀、ソレを主導したのは奴と言う訳では無い様です。未だ全貌は掴めて居りませぬが、絵図面を引いたのは本当の意味での倒幕派が絡んで居る様で御座います」
飯蔵のその言葉に、余は思わず茶碗を取り落しそうに成った。
『江戸の倒幕派』を地方に隠れ住む本当の『倒幕派』が取り込み利用しようと言うのか?!
「下手に貞興を消せば、本命に警戒されると言う事に成るの……いや、むしろソレを狙った上での見せ札が貞興か? うむむ……厄介な事に成ったのぅ。飯蔵、命令変更じゃ、兄者の手の者とは繋ぎが取れておるのだろう? その話を兄者とも共有し知恵を借りよ」
「はっ……。あともう一つ、貞興はそうして得た銭をお孫様方にばら撒いて居るとの情報も入っております、恐らくは殿の先が長くは無いと目し次期将軍候補者の争いを加速させる目論みかと」
返事と共に報告されたその言葉を聞き、溜息を禁じ得ない。
貞興は禿河の名を背負って居ながら、完全に本当の倒幕派に加担しているのか、其れ共良い様に使われているのか……何方にせよ困った奴なんて言葉では済まぬ程に厄介な事に成った。
傍流とは言え禿河の名を背負う者だと言うのに、一体どの様な教育を受けて育ったのか?
「此れは一度、身内も含めて洗わねば成らぬな……流石に我が子、我が孫が斯様な企みに加担しているとは思いたくは無いが、知らぬ内に利用されていると言う事が無いとは言い切れぬからの」
身内への調査と成ると御庭番衆は使い辛い、次期将軍と為り得る者を調べるのだからと、忖度する様な事が有れば調査自体が意味を為さない。
となると、此の調査は敢えて多古八忍衆に任せるべきか? いや、むしろ中小の弱小忍軍に高目の成功報酬を約束し、必死に調べさせる方が良いだろうか?
現在の立場を考えれば、有馬家辺りも倒幕派に名を連ねて居ても不思議は無い……が、流石に未だ幼い武光がそちらに染まっていると言う事は無いだろう。
少なくとも兄者が生きている間は猪山は信じられるし、余程の事が無ければ余が兄者より長生きする事も無い筈だ。
もしも一連の問題が片付く前に余の寿命が尽きる様な事が有ったならば、その時は次期将軍には兄者の助言を聞き入れる様に今から根回しが必要だの。
定光の奴が生きて居れば、何時逝っても幕府の将来を心配する事も無かったのだがな……。
アレは少々粗忽では有ったが、他人を気に掛ける事が出来、その上で必要と有らば非情な決断を下せ、そして耳に痛い様な忠言の類を受け入れる事も厭わぬ……余が考える将軍に必要な物を兼ね備えた男だった。
油断か、其れ共単純に不幸な事故か……兎鬼の『即死攻撃』を食らわねば、今頃には余は将軍の座を退いて居た筈だ。
しかし今残っている候補者は、将軍と言う地位に付けば何でも出来る……と勘違いしている者が多すぎる。
余とて将軍に成ったばかりの頃は、兄者が居らねば海千山千の魑魅魍魎共に良い様に操られる傀儡とされておっただろう事は想像に難くない。
将軍は『重し』で有って、やるべき事等何一つ無い方が良い……ソレを理解した候補者が居らぬ以上、未だまだ簡単にくたばる訳には行かぬのぅ。
兄者が江戸に戻るまでに出来る事は他に何が有るだろうか?
そんな事を考えながら、今一度茶を飲む為に茶碗に抹茶を一服点てるのだった。




