五百九十一 志七郎達、湯に浸かり世界の法則を知る事
「ふぅぅ……」
「おふぅ……」
「おおぉ……」
「うぉん……」
「ふぃぃ……」
「わふぅ……」
「ちゅん……」
木桶が床に当たる音が、広い広い風呂場に響き渡り、俺達は皆思い思いに溜息を吐く。
今湯船に浸かっているのは俺に大叔父貴と難喪仙人……そして四煌戌にヒヨコだ。
源泉掛け流しにも近い構造で、常時大量の湯が流れ行く此処の風呂場は、毛深い獣人や山人が入る事も想定された作りに成っており、四煌戌やヒヨコが入っても構わないと言われたのである。
とは言え、未だ小さなヒヨコは直接湯船に浸かっている訳では無く、木桶にお湯を入れソレに浸かる形だが……それでも彼女も温かい湯に浸かるのは気持ちが良い様で何よりだ。
「それにしても……湯を沸かす熱が鑪の排熱を利用してるのは解るけど、沸かす水の方はどうやって汲んでるんだ? 真逆手作業って事は無いよな?」
此の天目山では二十四時間三百六十五日一年中、鑪の炎が絶える事は無いらしい。
無論、火を消して煤や灰、金屎と呼ばれる鉱石に含まれる不純物の始末をしない訳では無い。
只、此の山には幾つもの鑪が有り、その全てが同時に火を落とされると言う事は無く、いずれかの鑪に火が入っていれば此の風呂場に湯を供給する事が出来るのだと言う。
だがそれも沸かす水が無ければどうしようも無い筈である。
「ああ、そりゃ井戸から汲んでるんだお。んでも一々手で汲むんじゃぁ無いお、薬缶で湯を沸かすと蓋がカタカタ揺れるお? それと同じ様な感じで湯気を使ってからくりを動かして勝手に水が汲まれる様に成ってるんだお」
おお!? 此処でも蒸気機関が使われているのか! 大川を遡る際に乗った三角姫号という蒸気船は町人階級の商家が所有していたのだ、神の住む此の山にソレが有っても不思議は無いかも知れない。
「なんでも大昔に風呂を作ったのとはまた別の外つ国人が迷い混んで来て、鍛冶場で使う水を一々汲んでくる弟子達を気遣って、井戸から勝手に水を汲むからくりを作ったんだそうだお。んでそのからくりを利用して風呂が後から作られたんだって聞いたお」
先代の鍛冶神が未だ現役だった頃に此の山へと迷い込んだ男達――恐らくは異世界人が、一宿一飯の恩義に報いるとかそんな感じの理由で一晩でやってくれたのだと、言い伝えられているらしい。
その男はやはり気が付いたら姿を消していたらしいが、先代の鍛冶神だけでなく賢神までもが集まって、その技術を解析し整備の為の教本はきっちり作り上げたのだそうだ。
しかし此の技術を世間に広める事は、世界の均衡を崩し兼ねない、と言う事で、この世界の者達が自力で開発しない限りは、広める事を認めない……と世界樹の神々が定めたらしい。
前世の世界でも、蒸気機関の発達と共に産業革命が置きて、その恩恵を受けた地域は一気に発展した……が、ソレが遠因で様々な確執が起こり、戦争なんかの原因にも成ったのだと、そう記憶している。
うん、確かに文明を一歩も二歩も一気に進める様な技術を他所から持ち込んで、ソレを無作為に広めればこの世界の統治に影響が出る可能性は有るだろう。
けれども飯場賀とか高良とか、拉麺とか綱寒とか……向こうの世界から持ち込まれたとしか思えない物は割と有るぞ?
まぁあの辺の食べ物系は早々世界の均衡を崩す、なんて事には成らんだろうが……。
ただ蒸気機関は三角姫号と言う実物が有る以上、其内人間達も勝手に解析して運用する様な気がするんだが、その辺は大丈夫なんだろうか?
「まぁ、この世界の者が作った物なら……最悪『無かった事』にしちまえば良いんだお。ソレが出来るのが世界樹の神々なんだから。ただ、他所の世界から来た者やソレが作った物には神仙の術は通らねぇから困るんだおねぇ」
曰く他所の世界からの迷人が教えた物でも、この世界の者が作った物であれば、世界樹を通して操作したり、削除したりする事は不可能では無いらしい。
しかし他所の世界の者が持ち込んだり、加工した物と言うのは、世界樹の能力で直接どうこうする事は出来ないらしく、あの三角姫号もそうした渡り人の遺産とでも言うべき物の一つなのだそうだ。
「後は外の世界から持ち込まれた品も、一度世界樹に登録せねば此方の者の手では、加工出来無いってのも割と面倒なんだおねぇ。まぁ大概の鬼や妖怪の素材は既に登録済みだからして余程希少な物じゃ無けりゃぁ大丈夫だおね」
鬼や妖怪と言うのは、基本的に他所の世界から世界樹を狙いやって来る尖兵である。
と言う事は、其れ等から取れる素材は全て外の世界の品と言う事だ。
そして難喪仙の話に拠れば、世界樹に登録されていない品は、どんな名工の手を持ってしても加工する事が出来無いらしい。
鍛冶神と言うのは、そうした未登録素材を世界樹に登録し、加工法を確立する事こそが本来の仕事なのだそうだ。
……が、しかし此処何十年もの間、類似素材は兎も角、新素材と言える様な物が持ち込まれた事は無く、完全に後進を育てる事が仕事に成っているのが現状らしい。
うん、江戸の屋敷の蔵に置きっぱなしに成ってる、悪魔の素材……つまりアレはそのままじゃぁ加工出来ないから、一度此処に持ってくる必要が有るって事だな。
「志七郎様は数奇な運命をお持ちの御方故、此れから先も幾度と無く此処を訪れる必要が有るだろう……そう判断し此度のお参りをお勧めした次第。まぁ流石に天目院様にお目通りが叶うとまでは思っては居りませんでしたがね」
湯の注ぎ口に近い一寸熱い場所に居た大叔父貴が、俺達の話を聞いてそんな言葉を投げかけて来た。
「鈴木一朗殿の討伐した大妖の何れかが、江戸の職人では加工出来ず、此の天目山へと持ち込む必要が有り申した。そうした品に巡り合う運を天目院様が授けてくれる……とも言われておりますが、まぁソレは流石に眉唾でしょうがね」
確かに此処に来る途中も、何人もの鬼切り者や武士と思しき者が参拝に来ているのを見かけたが、そうした者達に巡り合う運が授けられているのであれば、一朗翁の大妖狩り以来新素材の登録が無い……何て事も無いだろう。
「うん、次に一人旅が許される機会が有ったら、取り敢えず先ずは此処を目指す事は決まりですね。界渡りの際に手に入れた素材が蔵に置きっぱなしに成ってますから」
煉獄に封じられている悪魔達に娯楽を提供する為に、態々装備を誂えるつもりは無いが、聖書で語られる様な大悪魔の素材を使えば、きっと凄まじい効果を持つ防具を作る事が出来るに違いない。
ある程度身体が出来上がって、成長的な意味で装備更新の必要が無い頃合いに成ったなら、アレを使った防具を作るのが良いだろう。
若しくはアレを使った装備を作らねば命が危ない……そんな危険な存在を相手取る、そんな事に成るまでは温存して置きたい所だ。
が、温存するのは良いが、ソレで出来る物がどんな効果が出るかも解らない状態で放置して、いざと言う時に使おうと思ったらハズレだった……なんて事に成ると洒落に成らない。
という訳で、取り敢えず一目様に見てもらい、世界樹に登録だけでもしておいた方が良いだろう。
ん? 外の世界から持ち込んだ物はそのままじゃぁ使えない、って言うのがこの世界の法則だと言うなら、俺が向こうの世界から持ってきた秘石の腕輪はどうなるんだ?
素材として加工出来ないと言うだけなのか、それとも物自体が無効と成るのか……うん、風呂上がったら一度一目様に聞いて置いた方が良いかも知れないな。
此方の世界にも秘石と呼ばれる類似の品は有るそうだし、多分平気だとは思うが……仏教の無いこの世界で梵字の彫り込まれたお守りは無効とかあるかも知れないしな。
そんな事を考えながら俺は肩まで浸かって百を数えるのだった。




