五十七 志七郎、会敵し屍を討つ事
「爺、和馬、切り込み切り開け!」
「「御意!!」」
父上の下知に二騎が一段前へと進み出る。
江戸家老の笹葉と彼同様父上よりも年嵩の老臣芹澤和馬の二人である。
日々の稽古を見ている限りでは歳の所為も有ってか、上手さは有るものの強さを感じさせる事は無い。
そんな二人を前に出すくらいならば、もっと他に居るだろうそんな風にも思えたのだが、彼らが得物を構えた瞬間に適任であると納得せざるを得なかった。
笹葉の槍も芹澤の大太刀も二人が氣を込めると、信三郎兄上の術と同様の輝きを見せたのである。
武器に氣を込めたからと言って全てがあの輝きを放つ訳ではない、恐らくはあれこそが神器や霊刀と呼ばれる物の持つ力なのだろう。
騎馬を進めながらも徐々に、二人を先頭に左右に大きく開いた陣形が形成されていく。
信三郎兄上と父上、俺と一郎翁は矢印状の陣形、その付け根に当たる位置だ。
平地から森へと辺りの景色が切り替わって尚、進行速度を落とすこと無く進めているのは皆の騎乗技術も有るだろうが、それ以上に先導を務める二人の進路取りが絶妙な為だろう。
そうして進んでいく内に森の奥から微かに聞こえてきた喧騒が徐々に大きくなっていく。
しかしこれだけの距離が有り尚且つ遮蔽物となる木々が生い茂っているというのに、智香子姉上はよくもまぁ望遠鏡一つで現場を見極めたものだ。
だが彼女が指し示した方向に誤りは無かったようで、木々の隙間から黒く蠢く陰が見え始めた。
「猪山藩、家老、笹葉黒盛吶喊致す!」
「同じく芹澤和馬、推して参る! 生ある者は地に伏せよ、立ち塞がる者は斬り捨てる!」
先陣を切る二人は会敵したらしく、高らかにそう叫びを上げ得物を振り切る背中が見えた。
「他の者は斬鉄を放て! 半端な氣功では生き屍は斬れぬぞ! 信三郎、術を放てぃ!」
十重二十重に立ち塞がる黒い陰、そのシルエットは小鬼の物のそれでは有るが、以前に見たあの緑色の肌は見えず、どす黒く染まったその姿は生き屍と言う名に反して影がそのまま蠢いて居るようにすら見える。
だがその闇色も神器で切り裂かれ打ち捨てられると共に抜け落ち、後に残る亡骸はあの時見たものと同じ緑色の肌をしたそれであった。
しかしそうして完全に元の姿を晒すのは神器持ちの二人に斬られた者だけで、他の者が氣を持って斬り捨てた者は闇の一部が千切れ飛んだだけで、再び闇が身体を覆い何事も無かったかのように起き上がろうとする者もあった。
前へ、前へと立ち塞がる者を切り捨てながら進んで行く後ろから、復活した者が追いすがろうとするも、信三郎兄上の放つ光に照らされると闇は消し飛びその場には何も言わぬ躯が横たわるだけである。
「押せ、押し潰せぇ!」
「そいやそいやそいやさぁ!!」
「斬れ、斬り捨てぇ!!」
前進、前進、前進、先頭を駆ける二人だけではなく外輪を行く者達は全身の氣を振り絞り当たるに任せ得物を振り抜き、斬り捨ててはまた一歩前へと進んでいく。
「援軍だ! 援軍が来たぞ!」
「押し返せぇ!」
そんな声が聞こえて来たのは一体どれ位経った頃だろうか、前衛二人は兎も角外輪を務める者達の顔には明らかな疲労の色が見え始めていた。
「おう、ボウズそろそろ出番だ。先頭が要石に辿り着いたら、俺とお前でケツを持つぞ」
言っている間に前方の敵は途切れ、要石の有るあの広場へとたどり着く。
そこには今まで奮戦していたらしい傷だらけの侍たちがうずくまり横たわり、死屍累々といった体を晒していた。
無論全員が倒れている訳では無く、際限なく押し寄せる亡者の群れを押し留める為、戦っている者も何人も見て取れる。
「禿丸! 無事か!?」
そんな倒れ伏した者達の中に見知った顔が無い事を確認し、義二郎兄上が声を張り上げる。
「誰が禿か! 拙者の頭は剃っているだけ、この程度でくたばりはせぬわ。拙者の心配よりもくたばりかけてる若い衆を何とかしてやってくれ。陣の内に生き屍が出ては事だ!」
それに答えた桂殿は手にした長巻を縦横無尽に振り回し、たった一人で一面を抑えこんでいた。
「智香子聞いたな、死なせるな。義二郎、礼子、お主らで左右を抑えろ。前面は引き続き爺と和馬に任せる。後方は一郎、志七郎だ!」
広場へと全ての馬が入り、父上の号令に従い皆が動き出す。
一郎翁に言われた通り、俺達は後方の敵を相手にするらしい。
切り払われ突き進んできた俺達に倒され後方の敵は薄い、そう思っていたのだが残念ながらそんな事は無く、俺達が通った跡すら既に塞がっている。
黒い陰に覆われた屍の群れ、群れ、群れ。
「さて、ボウズ。言われた通りだ、テメェが力尽きた所で後ろにゃ俺も、他の奴らも居る。まずは好きに暴れてみろや」
それらを眼の前にして尚、一郎翁は静かに笑いながらそう言った。
この期に及んで暢気なその物言いに、文句の一つも言ってやりたかったが、眼の前には徐々に敵が迫りよってくる。
文句を言うのは後回し、そう腹を決めると全身に巡る氣を手と足へと集め、そして飛び込んだ。
十分に氣を集めた拳を手近な陰に叩き込む、だが確かに捉えたはずのその拳には何の感触も返ってこない。
間違いなく殴っている筈なのに、それは真綿を叩いた程の衝撃すら感じられない。
なるほど、コレが生き屍が倒せないと言う事か……。
動きそのもは遅く技の欠片もない攻撃は見てからでも余裕で回避する事が出来るし、こちらの攻撃も避ける素振りすらない。
まずは試しは済んだ次が本番とばかりにもう一撃、今度は拳を打ち込むと同時に氣を叩き込む。
確かな手応えを感じるとともに、打ち込まれた氣が陰を吹き飛ばし本来の緑色の肌が露出する、だがそれも僅かの間の事で直ぐに再び陰に包まれる。
今のでは弱かったか? ならば次はもっと多くの氣を拳に集め、打ち込み弾けさせる。
拳を当てた場所を中心に氣が波打って生き屍の全身を走り抜ける。その衝撃に弾かれるように陰がその身から消えると物言わぬ躯へと戻り地に倒れ伏す。
まずは一匹、打ち倒した事を確認し、直ぐに身を翻し近くに居たもう一匹に蹴りを打つ。
攻撃の為の氣を一発、続けざまに跳ぶ為の氣をもう一発繰り出し、陰を消し飛ばすとともに宙を舞う。
飛び上がった勢いのままに身体を反転させ、更にもう一体に蹴りを見舞う。
多少無理な体勢でも、打撃その物に力を乗せる必要が無い為、速さだけを優先し身体を動かし氣を叩き込んでゆく。
最初のうちは何匹打ち倒したかは数えている事も出来たが、繰り返していく内にだんだんと余裕がなくなってくる。
全身の氣が尽きかけているのか、手足が徐々に重くなっていく、それでも尚次の敵を探す内に一つの事に気がついた。
打ち倒したはずの屍が再び闇に蝕まれ立ち上がろうとしているのだ。
半端な攻撃では効果が無いのは見知っていたが、完全に打ち倒したはずのそれすらも再び立ち上がってくるというのだから始末に終えたものではない。
慌てて足に氣を送り一郎翁のいる方向へと飛び退った所で、氣が尽き身体から力が抜け落ちるのを感じるとともに、屍を覆う陰が消えて見えなくなる。
今まで黒一色に見えていた敵達に色が戻り始めた、どうやら兄上の術から護るため眼球に集めていた氣の効果であの陰が見えていたらしい。
陰が消えれば、眼の前に居るのが緑色の肌の小鬼、その死体だけではなく既に肉が腐れ落ち切った骸骨だったり、犬の様な頭の毛むくじゃらの死体だったり、中には人間の物と思われる物すら混ざっているのが解った。
そうして見える中に見覚えの有る鎧を纏った首の無い鬼が居た。
緑鬼王、その屍が技も誇りも無く俺達に向かってくるのが見えた。
ぞわりと、背中を駆け抜ける激しい感情……、尽き果てたはずの氣が胸の奥から蘇る。
「死者を、愚弄……するな」
激情のあまり震える声が、呟くような声が、やけに大きく響き渡る気がした。




