五百八十五 志七郎、動物と戯れ大枚を叩く事
大叔父貴に散々扱かれた早朝稽古を何とか乗り切った俺は、朝食を取り終えた後は、い五郎と約束した昼過ぎまで、四煌戌やヒヨコと戯れて過ごす事にした。
とは言っても、江戸の屋敷の様に彼等が走り回れる広い庭が有る訳でも無く、厩舎の中で跳ね回るヒヨコを一緒に構ってやる……と言う様な感じでは有ったが。
紅牙だけでなく御鏡や翡翠もヒヨコの事は妹と認識している様で、俺が居ない間彼女の面倒をきっちり見ていてくれている様だ。
その御褒美……と言うと偉そうだが、四煌戌達には彼等でも噛みごたえが有りそうな巨大な骨をお八つ代わりに与える事にした。
サイズ的には多分、象辺りの骨っぽい気がするんだが、まぁ此方の世界にはソレを大きく超える大きさの化け物は幾らでも居るし、別段珍しい物でも無いのだろう……然程高くも無かったし。
ただ問題はソレが何の骨か、見世の人も知らないと言い切って居た事だ。
鳥の骨は縦に割れ易く喉に刺さる事が有るから犬には与えては駄目なのだ……と、副業として獣医を営んでいた僧侶の友人が前世に言っていた覚えが有る。
此れが巨大な鳥の骨だと四煌戌が危ないとも思ったのだが、大叔父貴の見立てに拠れば四足の獣の脛辺りの骨で少なくとも鳥では無い……との事だったので買って来たのだ。
此奴等がもう少し、いや大分……せめて大型犬位の大きさに収まっていたならば、多少高く付いてでも紗蘭に頼んで向こうの世界から骨ガムを取り寄せる事を考えても良かったんだが、流石に牛馬を超える所まで育った彼等の口に合う物は売ってないだろう。
がりがりぼりぼりと、凄い音を立てて骨を齧る三頭と一緒に、ひょこひょこと歩き回り跳び回るヒヨコを愛でていると、腹時計がそろそろ昼飯の時間だと言う事を知らせてくる。
「ぴよぴ……ぴっぴかちゅちゅんがちゅん!(別に……お姉様達が居るから寂しくなんて無いんだからね!)」
外で昼飯を食ってからい五郎の見世に行く予定なので、四匹を置いて厩舎を出ようとする俺の背中に、ヒヨコがそんな言葉を投げかけて来た……。
「今度はお前の分も何かお八つを見繕って来るから、四煌達と大人しく待っててくれ」
一旦振り返って膝を落とし、ヒヨコの頭を軽く撫でながらそう言って、俺は改めて厩舎を後にするのだった。
昼食は近場の食堂でお好み焼き定食を食べた、前世は粉物をおかずに飯を食う、と言う事をした事は無かったのだが……うん思ったよりは悪く無かった。
大叔父貴もその辺に抵抗は無いとは言っていたが、昼は余り多くは食べない習慣だとの事で、お好み焼きを一枚だけ食べただけである。
「お、いらっはいまへ」
そうして腹拵えを済ませて、い五郎の見世へとやってきたのだが……彼は今昼飯中の様で、両手に持った豚饅を頬張りながら俺達を出迎えた。
「いや、済みませんね。この蓬莱軒の豚饅、美味しくて美味しくて……ただ昨日は誰かが買い占めたらしくて食べれなかったんですよねぇ」
ああ、うん済みません……その買い占めやったの俺です……言わないけど。
「で、品物……出来てますよ。私の目から見ても良い出来だと思います。先ずは確認して下さい」
片手の豚饅を食べ尽くし、そう言ってから彼はもう一つに齧り付きながら、開いた方の手で一つの葛籠を此方へと押しやり、蓋を開ける。
此れが例の膠? 膠って接着剤に使ったりする物だし、粘り気の有る液体を想像していたのだが……中には蝋を固めた様な白い板が一枚入って居るだけだった。
「どれ……ではちと試させて貰おうか……」
と、そう言いながら葛籠の中から推定『膠』の板を取り出した大叔父貴は、行き成り腰の脇差を引き抜くとその板を斬りつける。
「ふむ、この手応え……震々の膠とは断定出来ぬが、斬撃耐性が付いた素材である事は間違いなさそうだの」
大叔父貴の脇差は、俺の持つ物よりも数段上の攻撃力を持つ、業物と言って差し支えの無い逸品である、ソレを使って斬りつけたと言うのに板は断ち切られては居らず、表面に多少傷が入っただけである。
「そう為されると思って比較用に普通の膠板も用意して有りますよ」
もう一つの豚饅も胃袋に収めた胃五郎は、驚いた様子も無くそう言って、俺に向かって濃い茶色のプラスチックにも見える板を差し出した。
つまり俺にもそれぞれを斬りつけてその差を確かめろ……と言う事なのだろう。
街中で得物を振り回す事に抵抗が無い訳では無いが、周りを見ても誰も大叔父貴の蛮行に驚いた様子すら無い所から、此処はそう言う場所なのだと割り切って置く。
取り敢えず渡され茶色の膠板とやらを近くの葛籠の上に乗せ……鯉口を切る。
「お見事! 固定もせずに真っ二つとは……流石は猪山の鬼斬童子と謳われるだけは有りますねぇ」
名乗った覚えは無いのだが……い五郎は、既に俺が誰かと言う事を察して居たらしく、拍手と共にそんな言葉を口にした。
流石は火元国中を美味い物と商品を求めて流離う商人だと言う事か、多分何処かで俺の噂でも聞いたのか、それともろくろ首の六郎から話を聞いたのか。
待てよ? 確かこの男、初対面の時点で大叔父貴では無く、俺が客だと見抜いて居たふしが有った……となると前者か?
けれども、あの時は鎧を着ていた訳でも四煌戌達を連れていた訳でも無い、一体どうやって俺が俺だと特定出来たのか?
なんせ江戸で出回っている錦絵ですらも、俺とは似ても似つかぬ姿に描かれているのだ、真逆顔だけを見て『猪山の鬼斬童子』だと確信出来る訳も無いだろう。
「足の捌きを見りゃ、尋常な子じゃない事ぁ解りますよ。私も護身程度では有りますが、それなりの鍛錬はしてきましたからね。初陣も未だな子供が出来る動きじゃぁ無い」
ああ、うん……俺が相手の体軸を見て大体の実力を推し計る様に、彼が俺のソレを見ていても不思議は無い。
少し上の年頃ならば兎も角、俺と同い年位で、俺程の動きが自然に出来る程の技量を持つ子供は早々居ないだろう。
「浅雀の鍬使い……かとも思ったのですが、彼は真銀を織り込んだ着物を防具にしていると言う噂も耳にしていますのでね、鎧を作るとなれば鬼斬童子様の方かな……と」
とは言えぴんふは俺より四歳も年上で、体格だって一回り以上は大きく成っている。
それでも何方も未だ未だ大人から見れば子供の範疇なのだろうし、彼は俺達を直接見知っている訳では無く、噂で聞いた話で判断しているのだから、二人の年の差や体格の差を詳しく知っている訳が無い。
そして子供ながらにそれだけの武勇伝が火元国中に噂される程の者と成ると俺個人か、若しくは鬼斬小僧連が纏めて……と言う感じらしい。
小僧連の中でりーちの得物が銃で、歌が紅一点と言う事も、相応に知られている話だそうで、となれば此処に居るのは俺かぴんふか……の二択に成ったと言う訳だ。
「さて……では、今度は本命をお試し下さい。ゆっくり温めれば再び溶けて液状に成りますから、斬ってしまっても品質には問題有りませんので」
成程、この板状の物をどう使うのかと思えば、熱で溶かして接着剤なんかにする訳か。
そうと解れば遠慮無く、本命の白い膠を同じく葛籠の上に乗せ……一閃。
斬った! ……筈なんだが、其処には全く変わらぬ状態の板膠が残っている。
いや、俺が振り抜いた剣閃に沿う形で僅かに傷が増えては居るが、固定していない上に切っ先を掠らせただけ……と言う訳でも無い以上、切れていなかったのならば吹っ飛んで居なければ奇怪しいのだ。
しかも先程とは違う妙な手応えが有った、斬ったのは間違い無いのだが切れて居ない、そんな不思議な手応えが。
成程、此れが大叔父貴の言う斬撃耐性の手応なのか……。
でも此れを使った防具纏うと、その者の身を守ると言うのがよく解らないが、鬼や妖怪が大暴れし、氣や術が飛び交う幻想世界なんだから、その辺は今更か……。
大叔父貴が太鼓判を押した事も有り、俺はその品代として昨日の内に下ろして置いた八両分の小判を渡すのだった。




