五百八十四 志七郎、忍術を知り練達に打ち据えられる事
目に写らぬ斬撃を微かな勘と気配だけを頼りに、二合、三合と打ち交わす。
その全ては俺の命を奪う為に繰り出された物では無いが、どれも的確に急所を狙っては来ている。
とは言えその一撃、一撃は比較的軽く、今の俺が無理なく受け止められる程度に手加減されいてた。
「志七郎様! 後ろががら空きです!」
しかしソレも長くは続かない、そんな声と共に後頭部にピタリと木刀が当てられたのだ。
それにしても……あの御祖父様が弟分と認める程の人物だ、侮っていたつもりは全く無いが、真逆此処まで完全に『稽古』を付けられるとは思わなかった。
なにせ大叔父貴は氣を纏う事が出来ないと言う話だったのだ。
にも拘らず大叔父貴は忍術を使う事で、氣功使いと只人の間に横たわる深い深い溝を軽く飛び越えて見せたのである。
この世界の忍術と言うのは、前世の世界の忍術の様に、武芸や手妻の類を総合した技術……と言う訳では無い。
何方かと言えば、漫画や小説なんかに出てくる様な超常の能力である。
大叔父貴が今、俺に稽古を付けるのに使って居たのは、その姿が見え辛く成る『隠形の術』に、敏捷性を跳ね上げる『疾風駆けの術』の二つを重ね掛けした事で、あっさりと俺を手玉に取ったのだ。
忍者の代名詞と言える武器である『手裏剣』や『苦無』は今回は使わなかったが、恐らく今の俺はそれらを使うまでも無い程度の相手だと思われたのだろう。
「一部の武士階級の者は兎も角、乱破や透破と呼ばれる様な市井の忍術使いに正々堂々と言う言葉は有りませぬ、まして拙者の様な野良忍者ともなれば真正面から戦う様な事は致しませぬ。とは言え、初見である程度対応出来たのは流石ですな」
何故、大叔父貴と木刀を交えていたかといえば、四煌戌達とヒヨコを連れて旅籠の近所を散歩した後、普段の早朝稽古のつもりで雲耀の太刀に至る為の形稽古をしようとしたのだが、大叔父貴が一手指南してくれると言うのでお願いしたのだ。
それにしても……眼の前で行き成り姿が消えたのには驚いた。
いや江戸の屋敷でもお忠が朝稽古で隠形の術を使っているのを見た事は有る。
しかし彼女のソレは気配が薄くなり、意識しなければ其処に居る事に気が付けない……と言う程度の物で、目の前で間違いなく其処に居ると解っている状態から姿を消す程の物では無かった。
つまり術自体は同じ隠形の術でもその練度が違いすぎて、比べるのも馬鹿らしく成る程……と言う事なのだろう。
ちなみに後から聞いた話だが、忍者漫画なんかでよく見る炎で攻撃する『火遁の術』と言う様な物は大叔父貴は使えないらしい。
そもそも火遁の術と言うのは、煙玉を使ったり其処らに火を付けたりして逃げる術の事だそうで、遁と言う字自体が遁走という言葉なんかで使われる通り、逃げると言う意味合いを持つ言葉なのだそうだ。
と言う事で、逃げる為の火遁の術は使えるが、攻撃する為に火を使うとしたら火薬玉に火を付けて投げる……位しか出来ないらしい。
「まぁ拙者は何方かと言えば忍術よりも武術の方が得意で、忍術使いとしては精々中の下程度の物です。より上位の者達は、各忍軍の秘伝忍術と呼ばれる大技を持って居ります故、万が一相手取る様な事が有ったならばくれぐれもご注意を……」
だが、何処の忍軍にも所属せず独学で忍術を学んだ大叔父貴には使えないが、ある程度歴史を持つ忍軍ならば、そうした破壊力を持つ秘伝忍術を持っている事は有るらしい。
以前、りーちと初めて鬼切りへと行った時、お忠の父親と思わしき忍術使いに襲われ……勝ったと思ったら相手が自爆し、危うく命を落としかけた事が有った。アレがその秘伝忍術って奴なのだろうか?
陰陽術も忍術も精霊魔法も、高位の術者を育てるには長い年月と当人の弛まぬ努力が必要と成る。
恐らくはそうした高位の術者は、どの忍軍にも早々多くは居ない筈だ。
となれば、ソレを使い捨てる様な『自爆の術』はそう簡単には使えないだろう。
「以前、胡女忍軍の者と戦った事が有ったんですが、彼の使った自爆の術……アレがその秘伝忍術と言う奴なんだろうか?」
そう思い、間違いなく俺よりは忍術に詳しいだろう大叔父貴に問いかける。
「ん? 自爆……そりゃぁ恐らく『死なば諸共、木っ端微塵の術』ですな。其奴は秘伝忍術なんて上等な物じゃぁ無い。あれは外道忍術とか非道忍術とか呼ばれる類の禁術です。まぁ拙者では名前は知っていても使おうと思っても使えない上級忍術ですがな」
……何というか、物凄くそのまんまな名前の術だな。
それにしても、大叔父貴ですら使えない様な大層な術を使われて、よく死人一人出ずに事が済んだ物だ。
いや……あの時俺は、智香子姉上が持たせてくれた道具が無ければ死んでいたのか。
「アレは氣や術の根源足る生命力を全て爆薬に変えて弾け飛ぶ……と言う危険な術。されど多くの忍軍で秘伝忍術の流出防止や、己の命を賭しても倒さねば成らぬ大鬼や大妖を討つ最後の手段として教えられていると聞きます」
成程……つまりある程度以上の忍術使いなら、あの術は使えて不思議は無いと言う事だな。
そして秘伝忍術と言うのは、最大でもあの爆発を超える程の物では無い……。
しかしあの時の忍術使い――根津見甚八は忍軍の頭領だった男では有るが、娘を人質に過酷な忍務の連続で疲弊仕切っており、秘伝忍術とやらを使う余力も無く、自爆しか選択肢が無かったと言う可能性も有る。
だとすれば、あの自爆は本来……もっと大規模な破壊を齎していたのではないだろうか?
大叔父貴との稽古で良い感じに温まって居た身体を急な寒気が襲い、背筋に冷たい汗が流れた。
忍術使いも陰陽術師も、武士に――氣功使いに何一つ劣っている物では無い。
中には俺の様に氣と術の双方を扱う事の出来る者も居るだろう。
しかし俺は未だまだ氣を用いた武術と魔法を同時に操ると言う段階には無い。
けれどもソレが出来る練達の術者と何時何時敵対するかも解らない……もっと修行に励まないと。
もしかしたら御祖父様が案内に大叔父貴を付けたのは、その事を俺に教える為だったのかも知れない。
そう考えると安倍家の御屋敷で陰陽術師と手合わせしたのも、御祖父様が整えた手筈だったのだろうか?
真逆とは思うが、い五郎から買う事にした震々の膠まで御祖父様の仕込み、って事は無い……筈だ。
何手先を読んで行動してるのかは知らないが……流石にこの街で売っている物にまでは干渉する事は出来ないだろう……出来ないよね?
そーいや聞いた事は無いが、御祖父様が子供の頃の小遣い稼ぎって、もしかしたら賭け碁とか賭け将棋とかだったんじゃぁ無いだろうか?
御祖父様達夫婦は博打は余り得意では無い、なんて話を聞いた覚えは有るが……運の要素が無ければ、その手の遊戯で彼が負けると言う事が想像出来ない。
多少なりとも運が絡む勝負なら……麻雀辺りなら勝負にも成るだろうか?
……と、そんな下らない考えを、軽く頭を振って振り払い、
「大叔父貴、もう一本お願い出来ますか?」
木刀を構え直してそうお願いする。
「朝餉はもう暫し後の様だし……ソレまでで良ければ何本でも……」
忍術を使う為に必要なのだろう、剣印と呼ばれる人差し指と中指だけを立てた左手を眼前に掲げ、右手に持った木刀は無造作に下に向けたままそう答えた。
猪山では実戦には合図が無い、と言う理由で稽古でも一々初めの合図をする事は無い。
俺は只我武者羅に仕掛けるのでは無く、雲耀の一太刀を目指して大叔父貴に向けて木刀を振り下ろすのだった。




