五百八十 志七郎、宝を案じ何かを察する事
晩飯のうどんすきを美味しく頂いた俺は、旅籠に付随する厩舎に預けている四煌戌とヒヨコに食餌を与えに行って来た。
ヒヨコは『宝物』枠なのだから部屋に上げても良い様にも思ったのだが、ヒヨコだけを部屋に連れて行こうとすると紅牙が切なそうに鳴くし、出掛ける際に一羽で部屋に残されるくらいなら此処で四匹で居る方が良いと本人が言ったので此処に置く事にしたのだ。
まぁヒヨコを誘拐しようなんて者が近付けば、未だに成長を続けている三つ首の大型肉食獣を敵に回す事に成るだろう事は容易に想像出来る話で、そんな馬鹿は早々居る者では無いだろう。
それ以前に、ぱっと見て鶏位の大きさのヒヨコにしか見えないこの子を宝だと判断出来る者がどれほど居るのかと言う話だ。
……食いでが有りそうだと狙う者は居るかも知れないが、それにしたって下手な牛より大きな犬の懐に抱かれた彼女を奪うのが困難な事は間違いない。
そもそも様々な騎獣を預かる前提で設置されている厩舎に、ソレが盗まれ無い様に管理する者が居ない訳も無く、この子達の安全は見世の面子に賭けて守られる事だろう。
「夜分に押し掛け申し訳有りませぬ、某嵐丸の倅で乱丸と申す者に御座る。父に報告すべき儀が有りまして罷り越した次第、お耳汚しでは御座いましょうが、暫しお付き合い願い奉る」
と、部屋に戻った俺に、父上と同年代位かと思われる男が平伏してそんな言葉を投げかけた。
大叔父貴の子と言う事は、従伯父または従叔父と言う事に成るが、残念ながら頭の上に結われた丁髷と月代しか見えない今の状態では、父上と何方が年上かを推し量る事すら出来やしない。
「いや、それは別に構わないが……俺が聞いても良い話なのか?」
年齢の面では目上であるが、階級面では格下に当たるだろう彼に対して、俺は意識的に武士の子らしい言葉でそう答える。
「は、御隠居様からも、志七郎様にもお聞かせせよ、と指示を賜って居ります」
どうやらこの乱丸と言う人物、名前のとは真逆で堅物と言うか何というか……。
「お主が自ら来なければ成らぬ程厄介事に成って居るのか……まて、ならば今兄者の側には誰を付けているのだ?」
本来ならば御祖父様の側には大叔父貴が控え、この乱丸と言う者が他の一族郎党を統率して火元国中から情報を集めているのだと言う。
だが今回大叔父貴が俺の案内役を務めてくれる事に成ったので、御祖父様の側には彼が付いている筈だったのだ。
にも拘らず、此処に彼が居るのだから大叔父貴の疑問は当然の物と言えるだろう。
「今は蘭丸の奴をお側に付けて有ります、情報の統括は一時欄丸に任せて来ました」
蘭丸、欄丸、その何方も彼の息子で俺にとっては義理の再従兄弟に当たる者達という事らしい。
「ふむ、ならば問題は無いか……で? 態々お主が来たのは如何故だ?」
俺が無言で頷き話の続きを促すと、それを待っていたらしい大叔父貴が改めてそう問いかける。
「さすれば……倒幕派の動きが火元国中で活発化し始めて居りまする。そして、中に紛れ込ませて居た手の者達からの連絡が途絶えました」
倒幕派……その言葉を聞き、俺は思わず腰を浮かしかける。
その言葉を聞いて思い出すのは前世の世界で幕末と呼ばれた時代の事だ。
その名の通り幕府を倒し新たな政権を担う事を目指したその派閥は、俺の記憶が確かならば関ヶ原の戦い以降、徳川幕府に従う様に成った『外様』と呼ばれる大名達が中心と成った物だった筈だ。
関ヶ原以前から従う『譜代』と呼ばれる大名達との間に有った様々な扱いの差に、彼らは恨み辛みを募らせ、黒船と言う外圧でソレが一気に吹き出した……と言うのが向こうでの倒幕派だったと思う。
しかし此方の禿河幕府は譜代や外様と言った区分をしておらず、大名の……いや陪臣まで含めて武家の大半は、多かれ少なかれ禿河の血を引いている、遠い親戚と言える関係性が有るのだ。
大名同士が政争の一部として争う事は有っても、幕府を倒して成り代わろうなんて大きな事をしようとしている者達の話は、少なくとも江戸では聞いた事が無い。
「ああ、物々しい名では有りますが、実質的には只の浪人共の集まりに過ぎませんでした、今までは」
曰く倒幕派と言うのは、主家がやらかして『お取り潰し』に成ったり、跡継ぎと成る者が居らず『断絶』してしまった様な家の家臣達が、浪人者と成った後に再士官出来ず破落戸に成った者達の事らしい。
それ以前の手柄で得た感状を持つ者や、鬼切りで身を立てれる者は、比較的簡単に再士官の口も見つかるが、そうでは無い者は長らく浪人の立場に身を窶す事に成る。
自身の落ち度や主君との意見の対立で浪人者へと成った訳で無い者達で有るが故、そうした状況を受け入れる事が出来ず、何時自棄を起こして馬鹿な事件を起こすか解った物では無い。
故にそうした者達を意図的に集め、管理する様に仕向けた者が居る……そう、我が祖父『悪五郎』だ。
『自分達が辛い生活を強いられているのは、主家の存続を認めなかった幕府が悪い』そんな言葉で集められた彼らは、幕府の機密費から出ていると言う銭で、時折開かれる会合で酒を呑んで管を巻いて憂さを晴らす……とそう言う組織だったらしい。
士官の口を探すならば、火元国中から大名が集まる江戸を目指すのが普通で、そうした浪人者達は江戸に居るのだが、だからと言って幕府の御膝元で『倒幕』なんて事を口にすればあっという間に御縄である。
無論、口を滑らせる馬鹿が居ない訳では無いが、そう言う奴はサクッと取っ捕まって『居なかった』事にされる……と、故に自分が倒幕派だ、なんて事を言う浪人者は居らず、江戸では噂にすら登らない訳だ。
「しかし連中の動きが変わって参りました。最後に届いた情報では、明らかに統率の取れた動きで徒党を組んで鬼切りを為し、その稼ぎで贅沢三昧をする訳で無く何かの為に貯蓄を成している……と」
前職の経験から察するに、それは頭を張る事の出来る何者かが、その組織を掌握したと言う事だろう。
徒党を組んで暴れるしか能の無かった愚連隊が、多少なりとも知恵の回る者が加入した事で動きが変わり、厄介な反社会組織へと変貌する……そんな案件は枚挙に暇がなかった。
新たに加入した頭が自分の利益の為にソレをしているのならば未だマシだが、拙いのは連中の御題目通りに倒幕運動を起こす為に力を蓄えているのだとしたら……江戸に動乱が起こる可能性が有ると言う事に成る訳だ。
「この件に関しては、御庭番衆の生天目様とも連絡を取り合って居りますが……今の所は新たに寸白と言う者が加入した時を境に動きが変わったとしか解っておりませぬ」
いや、それ諸じゃん!? その寸白って奴が既存の倒幕派を動かしてるのは、疑い様が無いだろよ!?
「寸白……聞かん名だな。素性は洗えて居らんのか? 手形の確認は?」
情報を取り扱うのが仕事の大叔父貴でも、陪臣や陪々臣なんかを含めれば軽く千を超える武家、全ての名字を把握している訳では無いのだろうが、多少なりとも噂に上がる様な武名が有る家ならば知らないと言う事は無い筈だ。
その大叔父貴が聞かないと言い切るのだから、本当に無名の家か、若しくは偽名の類なのかも知れない。
「余程用心深いのか、それとも偽名の類で紛れ込んだのか……手形の確認は出来ぬ内に連絡員は消された様です。御隠居様に報告した所、この案件に関してより多くの人員を割き調べる様指示されました。故に父上等の旅への支援は最低限に成る旨ご理解下さいまし」
そう言いながら乱丸の従伯父は一旦頭を上げ父上よりも僅かに年重に見える顔を見せた後、俺に向かって改めて平伏し直した。
どうやら最後の部分こそ俺に言いたい事だった様だ。
成程な……多分京の都へ来るまでの道中でも俺が独力じゃぁどう仕様も無い状況になれば、手の者が陰ながら手助けする手筈だったんだろう。
ソレが無くなるのであれば、今まで以上に気を引き締めねば。そう決心を固めると俺は眠気で漏れそうに成った欠伸を噛み殺すのだった。




