五十六 志七郎、術を学び駆け出す事
「そ、そんな方法はどの書にも記されておじゃらぬ。それは本当のことでおじゃるか?」
信三郎兄上は馬から転げ落ちそうな勢いでそう言った、恐らく同乗する父上が押さえていなければ実際落馬していただろう。
「おう。どんな指南書に載ってる技法かはしらねぇが、以前共闘した陰陽師が使ってるのは見たことあるぜ」
歴戦の人物が戦場で見たと言うのだ、それ自体が嘘と言う事はないだろう。これから戦場へ行くというのに担ぐ様な真似をした所で危険が増すだけだ。
「ふぅむ、一郎翁がそう申すのであらば、きっとどこかの流儀に伝わる秘伝か何かかも知れぬでおじゃるな。なれば簡単に真似できる技かどうか解らぬのが試してみる価値はありそうでおじゃる。神授森羅万象律令……」
兄上も俺と同様の判断をしたようで、そんなことを言いながら、再び呪文を唱え始めた。
一言一句、それこそ音の強弱、イントネーションの違いすら容認される物ではないらしく、書だけを見て術の口頭発動を行えると言うのはそれだけでも優れた資質を持っていると言う証左となるのだそうだ。
そうして一度全文を長々と詠唱し術の発動を確認した後、兄上はゆっくりと大きく息を吸い込み。
「以下同文!」
と力強く言い放った。
するとどうだろう、今までは呪文が進んでいく内に徐々に集まり強くなっていった光の粒が一気に兄上の身体を包み込み、一際強い閃光が放たれた。
光が収まり兄上の姿が確認できるようになると、先程までの長々とした詠唱をしていた時には涼しい顔だったのが、今は疲労困憊と言った体で激しく肩で息を付いている。
その様子を見る限りにおいては、先程聞いた『術には打ち止めが無い』と言うのが間違いなのではないかとすら思えた。
「出来たでおじゃるが……、これは普通に呪を編むのと比べかなり負荷がかかるでおじゃるな。じゃが、コレは使えるでおじゃる! もう一度、以下同文!」
荒く乱れた息を整えながらそう言い、再度強く言葉を放つ、が今度は何も起こる事は無かった。
「ぬぁ? な、なぜじゃ。なぜ発動せぬ」
一度成功したからと自信満々だった兄上は面白いほどに狼狽していた。
「そら、間に他の言葉を挟めば術は成り立たんのだろう。陰陽術は引用術一言一句の乱れも許さないんじゃなかったか」
一郎翁――と呼ぶのが俺や兄上の立場では妥当だそうだ――にとっては、見越していた結果だったのか、何のことも無いとばかりにそう言葉を返す。
「うぬぅ流石は秘術の類、一筋縄では行かぬでおじゃる。だが使える時と使えぬ時の条件がもう少し判れば十分実戦投入出来そうでおじゃる!」
グッと拳を握りしめそう言う兄上の表情は、何時もの穏やかそうな物とは違い、武士らしい力強さを漂わせていた。
それから幾度と無く繰り返していく内に『以下同文』についてかなりの事が解ってきた。
この言葉は術者が直前使った術を繰り返す、と言う効果が有るのは間違い無いのだが、その為には術の行使をした後、一言も他の言葉を挟んでは成らず、通常の呼吸音は兎も角、ため息の様に大きな物や、くしゃみ咳等でも使うことはできなくなる。
術を使う時には呪文を口にする事によって『呪』が魂に刻まれ、その結果術が行使されると言う事らしい。『呪』は呪文の長さに比例して大きくなり、魂の許容量が許す限り『呪』を編む事ができるのだそうだ。
そして通常術を行使し終わると『呪』は魂から徐々に抜けていき、新たな術を使えるようになるのだが『以下同文』を使うと、前の『呪』が抜け切ら無いうちに次の術が行使出来てしまう為、負担が大きくなるのだと言う。
兄上に拠ると、体感ではあるが無理をすれば3連射まで可能。だが安全および継続戦闘を考えるのであれば2連射までにしておくのが良さそうだと、理解することができたようだ。
「連射したりしなかったりでは前衛を張る者達も戦い辛いでおじゃろうから、基本的には全文読むようにして置いた方が良さそうでおじゃる。何らかの緊急事態があれば使うことは厭わぬがの」
兄上が唱えている術は効果範囲内に居る生き屍を問答無用で消滅させると言う物だそうで、確かに毎回発動するタイミングが違うと言うのは戦い辛いかも知れない。
ちなみに、呪符を使えば詠唱時間を殆ど取ること無く同じ様に術を連発出来るらしいが、呪符を作るのに膨大な時間とコストがかかる上、呪符に書いた呪がそのまま魂に刻まれる為、多くの呪符を持てば他の術を使う事すら出来なく成るというのだから一長一短である。
そうして兄上が試行錯誤しているのを横目に、俺は俺で一つの問題を思い出していた。
氣を武器に込める練習をしてないのだ、生き屍は十分に氣を込めた武器でなければダメージすら与えられないと言う話だったはずだ。
今の俺に出来るのは手足に氣を込めそれを撃ち出したり、氣を纏う事で身体能力を微妙に強化する程度である。
氣が使えるならば戦えるという周りの言葉で浮かれて居たのかも知れない。
「一郎翁。俺は武器に氣を通す稽古をまだしていないんだ……」
彼ならば何か凄い知恵なり骨なりを教えてくれるかもしれない、そんな淡い期待を込めてそう素直に言ってみた。
「そんなら武器なんか使わねぇで拳骨で行けよ、拳骨で」
と、返って来たのはそんな身も蓋もないものだった。
「得物に氣を通すなんてのは、それなりに時間を掛けて稽古しねぇと出来るようにゃ成らねぇよ。俺だってうちの馬鹿息子も、そしてアホ弟子……義二郎でも形になるまで二月は掛かったんだ、一朝一夕で出来ることじゃねぇ」
子供に言い聞かせると言うには少々乱暴な物言いでは有るが、それは決して責める様な物ではなくむしろ当たり前の事を言わせるな、と言うような感じだ。
「馬鹿息子には何処まで教わったんだ?」
「氣翔撃と縮地、あとは氣の纏い方だけです」
「一日、二日でそこまで出来りゃ上出来だ。縮地と同じ要領で拳骨を叩き付ける瞬間に氣をぶち込んでやりゃ良いんだ。生き屍相手ならどんなスゲェ力が有ろうと、スゲェ武器を使おうと意味はねぇ、叩き込んだ氣の分しか通らねぇからな」
戦場と呼べるであろう場所で武器も使わず拳で戦え、と言われるとは思わなかった。
だが彼の言う通り今の俺にとっては下手に武器を使うよりは確実なのだろう、子供の体躯でそれを成すのは少々不安を覚えなくも無いが、生き屍を相手にする場合には腕力も武器の鋭さも関係無いと断言されてしまった。
一応前世でも剣道程ではないが、素手での捕縛術も相応と言える程度以上には鍛えて居たと言う自負は有る。
武器と呼べる様な物を使わず丸腰の状態で逮捕を行った事だって無い訳ではない。
……やってやれない事は無いはずだ。
そう腹を括ると不思議な物で、今まで見えていなかった周りの動きが少しずつだが見えるようになってきた。
父上と同乗する信三郎兄上は相変わらずピカピカ光ってるし、仁一郎兄上の兜や槍に止まっていた鳥達はいつの間にか居なく成っている、義二郎兄上は行軍の列の先頭に立ち時折遠くを眺めるような仕草で何かを探していた。
行軍、戦場には不慣れだと思っていた礼子姉上、智香子姉上の二人も俺が思っていた以上に場慣れしている様子で、智香子姉上は望遠鏡の様な物でやはり何かを探している。
「あ! 見つけたの! 思ったより押されてるの!」
俺の目には田畑が広がる先に森があるだけにしか見えないのだが、智香子姉上はその奥が見えているようだ。
「このままじゃ石が潰されちゃうの! 行軍速度あげー、なの!」
……当然姉上には、指揮権それに類する物は無い、だがその意見に異を唱えるものは無く。
「全軍、駆け足! 石も大事だが、生き残りを救う事を第一とせよ! 屍を討っても手柄には成らん、救い助けた命を誉れとせよ!」
追認するかのような父上の号令が響き、皆が皆馬を駆けさせた。




