五百七十六 志七郎、高値を見やり市場踏み込む事
「いらはい! いらはい! 龍尾から届いたばっかの、最新鋭の硝子細工やでー! 現品限りやさかい、無くなり次第見世仕舞いやでー!」
「殺魔藩の新茶や! 今年の一番茶やー! ほな幾ら付けるか競り始めるでー!」
「えー、蜆ー、蜆は要らんかねー。一皿四文、一皿四文。蜆ー蜆!」
「竜人王国産の香辛料、香辛料はどないやー! 伽哩粉の調合、生薬の調合、どっちにも使える良え物でっせー」
「北方大陸から仕入れた半神虎の毛皮や! そのまま飾っても縁起良し! 外套を仕立てて遊女に貢ぐも良し! 一枚切りの出物でっせー!」
右から左、見渡す限りに広がる雑多な見世、見世、見世……数えるのも馬鹿らしく成る程の見世の数々。
しかしその大半は簡素な……それこそ掘っ立て小屋としか言いようの無い建物で、その見目に似つかわしく無い高価な品物を取引している様だ。
これに似た風景を俺は、向こうの世界から此方の世界へと向かう界渡りの最中に何度か見た覚えが有った。
此処に居るのは此処を本拠地とした商人では無く、その大半が他所の土地から交易品を運んできた連雀商人の類なのだろう。
この光景は交易都市で行われている市場のソレなのだ。
天下の台所『河中嶋』……台所とは言う物の、其処で取り扱われている品々は必ずしも食品と言う訳では無く、本当に多岐に渡るらしい。
それっぽいのは昼飯のおかずだろう蜆の煮物を売り歩いている棒手振り位だろうか?
うん、確かに此処でなら、江戸州では手に入らない素材を買って帰る事も出来るだろう。
お? 彼処で売ってるのは、多分『刃牙狼』の牙だな。
俺の腰に佩いた『刃牙逸刀』の主素材で、仁一郎兄上と一緒に千田院藩へと鬼切りに行った時の残りが蔵に幾つか有った筈なので、恐らく間違いない。
だが武士や鬼切り者が手にする得物は、初陣の子供が初めて手にするソレ以外は、自分で手に入れた素材で作るのが習わしで、買い求めた物で身の丈に合わぬ装備を纏うのは恥以外の何物でも無い、と言うのがこの火元国の文化だ。
にも拘らず、こうして明らかに武具の素材として用いられる物が売りに出されているのはどういう事なのだろう?
「刃物は何も武器だけに使われる物じゃぁ無い。市井の料理人の包丁だって刃金だけでなく妖の素材が必要に成る事も有る。それに刃牙狼の牙ならば、より上位の得物を作る際に副素材として使われる事もある程度の品だしな。売っていても不思議は無い」
とは言え刃牙狼は割と希少な妖怪で、その目撃情報が有ったからこそ態々千田院まで遠征して狩ったのだが……火元国中を見渡せば絶対に見かけないと言う事も無いのかもしれない。
しかも討伐した者がそれ以上の得物を持っていたのであれば、売り払って銭に変えると言うのも可怪しい話では無いのだろう。
ただ問題は……牙と一緒に置かれた木札に書かれている『一本十両』と言う文字の方だ。
ゑ!? 刃牙狼の牙ってそんなお高いの? 江戸の蔵に残ってるのを何本か売り払えば、子供の小遣い銭と呼ぶにはちと多すぎる位の銭に成るぞ?
「あら? これ良いわね。でもちょっと高いかしら? ねぇお兄さん、もう少し安く成らない? 手持ちの得物を駄目にしちゃって商売上がったりなのよ」
いや……丁度、その刃牙狼の牙を買おうとしている冒険者らしき女性が、その胸元を強調しながら積極的に値切り交渉しているぞ?
「今此処に有る分だけの品やさかい、そう値引きは出来へんのやけど……。ほな、五本全部纏めて買ってくれるやったら、四十五両まで負けたるわ!」
二十代半ば位の商人は、着物と違って胸元の開いたワンピースから覗くであろう谷間に鼻の下を伸ばしながら、あっさりとそう値下げを口にする。
「それなら此方の亀の甲羅? も一緒に買うからもう一声……お・ね・が・い」
品を作りながら一歩商人へと近づき、礼子姉上には及ばぬまでも、智香子姉上よりは大きい……そんな女の象徴を押し付け、耳元に囁く様に彼女はそう言った。
「ほ、ほなら……牙五本に鬼亀の甲羅二つ付けて四十両や! これ以上は鼻血も出えへんで!」
……余程女性に縁の無い生活をしているのだろうか? 商人はそんなあからさまな色仕掛けに負け、品物を増やした上で更に値を下げやがった
つか、鼻血も出ないと言いつつ、実際に鼻血出してないか? ガチで出血を大サービスしても意味無いだろう。
「本当!? 嬉しー! 有難う! これで新しい得物を作ってまた暴れられるわ」
綺麗な薔薇には棘が有る、なんと無くそんな言葉が脳裏を過ぎる。
その足運びを見る限り、恐らく彼女は前衛系の戦闘者だ。
不埒な真似をすれば間違いなく鼻血とは別の意味で血を見る事に成るだろう。
それはさておき、これで解った事が一つ有る。
恐らく此処では、書かれた値札は余り当てにはしない方が良いと言う事だ。
前世の日本でも地域に依っては、海外だと割と多くの場所で、値切り交渉がされる事を前提に少し高めの値札を付けて置くのが当たり前だったりする。
俺はそうした値切り文化の無い地域で生きて来たので、余り慣れているとは言い難いが、亜細亜圏の某国に出張で行った際には、そうした事も何度か経験はしているので、多分何とか成るだろう。
「大叔父貴、俺は素材を取引で手に入れた事が無いんで、どれぐらいが相場なのか全然解らないんで、教えてくれると有り難い。あと何を買うと良いかも助言をしてくれると嬉しい。蔵に残ってる素材は、確かこの帳面に書いてある筈……」
今使っている刃牙逸刀と亀甲鎧四式を作った際には、素材を溜めておく事をしていなかったので、態々素材を手に入れる所から始める必要が有った。
しかしソレに懲りた俺は、取り分の素材を全て売り払うのではなく、ある程度蔵に残す様にする癖を付けたのだ。
結果的に貯金が増える速度は落ちたが、最悪武器や防具が丸っと駄目になった時でも、新たな物を用意出来る程度の素材は溜まっている。
……筈なのだが、御祖父様曰く、俺の溜めている量は小さな子供の身に付ける分量で溜めているだけで、これから来るであろう成長期を見越して装備を一新する事を考えると少なすぎるのだそうだ。
それで蔵の素材を主とした上で、足りない分をこの川中嶋で買い足しておけ……という訳である。
「そうですな……志七郎様はどちらかと言えば鎧で受け止める事を前提とせず、きっちり躱す戦い方を好まれるのでしょう? 拙者の推測が外れていなければ、金属に混ぜ込む素材では無く、甲羅や革の様に其の物を纏う様な防具を作るのがよろしいかと」
大叔父貴の言に拠れば、防具の作り方は大きく分けて二種類、刀を作る為の刃金と同様に素材を金属に混ぜ込み強度や属性を付与し、その金属で防具を仕立てる方法と、甲羅や鱗、革の様に素材其の物を加工し防具を作る方法だ。
防御力其の物は前者の方が高く、多少の攻撃は気にする事無くその身に受けながら戦う、そんな者達が身に纏うのがそうした金属鎧で、敵の攻撃を可能な限り躱したり捌いたりして戦う者が纏うべきは比較的軽い後者の方なのだそうだ。
けれども相手取る鬼や妖怪が強くなれば成る程に、硬い防具を身につけていた所で、ソレを簡単に打ち抜いてくる攻撃をしてくる可能性は増えて行く為、ある程度以上の格を超えると、防具は屁の突っ張り程度の意味しかなさなく成ると言う。
無論、金属防具に全く意味が無いという訳では無く、複数の素材を一つの金属に混ぜ込む事で、様々な属性に対する耐性を付ける事も出来るので、単一素材で作った防具よりは鬼や妖怪の使う妖術から身を守る事が出来る様にも成るらしい。
要するに一長一短な訳だが……大叔父貴の言う通り、防具で受けるのは最後の手段で有って、可能な限り回避を優先するのが俺の戦い方だ。
そう考えると、軽装系一択と言う事に成る。
「ふむ……この帳面を見る限り鬼亀の甲羅はある程度有るようですし、刃牙狼の毛皮も有るのでしたら、革の鎧を甲羅で補強する……と言う手も有りますな。となると、必要なのは繋ぎと成る膠の類でしょうかね?」
膠って……江戸でも普通に手に入る物じゃぁ無いか? 俺は訝しんだ。
「ああ、勿論、普通の膠じゃぁ無いぞ。それ相応の妖の骨や皮から取れた膠には、元となった妖の性質が出る物でな、より上質な膠を手に入れようと思えば、希少な妖から取れた素材を使う必要が有るのだ」
成程そう言う事なら話は解る、それに膠は確かに主素材とは言えない物と言って良いだろうな。
んじゃ、まぁ膠其の物か、ソレが取れそうな良さげな何かを探すとしますかね。
そう考えて俺は、雑多な見世が居並ぶ中へと踏み込むのだった。




