五百七十四 志七郎、艶本を物色し新たな商い思い付く事
見世の奥、外から見れば従業員の控室だと思わせるような、布で仕切られた小部屋の中に並ぶ肌色の多い書籍の数々……。
表に陳列されている絵本に比べればその種類も冊数も多くは無い。
向こうの世界の感覚で言うなら書店のそれと言うよりは、個人商店の本棚という方がしっくり来る程度の量しか無い。
「つか、なんだってこんな偏ったラインナップなんだよ……」
其れ等を一冊一冊、手にとって吟味した訳では無く、ぱっと見渡しただけで持った印象から、俺は思わずそんな事を呟いた。
商売には然程明るいとは言えぬ俺だが、こうして少量しか持ち込めない品物を不特定の人間に売る事を考えるならば、出来るだけ幅広い品を用意するのが普通だと思うのだが……。
何故か此処に有るのは『セーラー服』とか『ランドセル』とか、兎角『幼さ』を感じさせるだろう文言が表紙に踊る本ばかりに見えたのだ。
「そら此方は向こうと違って十四、五歳が女の適齢期だろう? んなら、その辺に見える娘さんの方が需要が有るんじゃねぇの?」
……一理有るのか? いやいや、まてまて、確かに女性の適齢期は其れ位で、二十歳を過ぎても独り身ならば、行き遅れと揶揄される世界なのは間違い無い。
だが、だからと言って十代を過ぎれば、皆婆扱いを受けるかと言えばそんな事も無く、売れっ子と呼ばれる遊女の大半は二十代だ。
つまりはこの世界の男共は必ずしも少女趣味と言う訳では無いのである。
そして何よりも問題なのは……
「なぁ、制服とかランドセルとか、その手の物が子供を表す記号だってのは向こうの文化で、此方じゃぁ丸っと纏めて『異国風の装束』ってだけに成るんじゃぁ無いのか?」
其れ等が幼さを演出するのは飽く迄も『子供が身に着ける物』と言う共通認識が有るからだ。
無論、其れ等が似合う様に幼い容貌の被写体が出演しているんだろうが、向こうの法律的に考えて、実年齢は絶対に十八歳以上の筈である。
つまり少なくとも此処に有る本は『幼さ』と言う『売り』が使えないと言う事なのだ。
「で、この本に一冊幾らの値を付けるんだ?」
そして残念ながら前世の俺の感覚では、此処に有る様な本に大きな魅力を感じる事は無い。
「ま、まぁ……需要の選択を間違えたってのは、その通りかも知れねぇが……此方の世界でフルカラー写真の希少性と、此処まで運んでくる手間を考えりゃ、一両は付けても良いと思うんだがねぇ」
思わず吹いた、一両は流石にボッタクリも良い所だ。
「あのなぁ……何処の高級風俗店だよ? 此方じゃぁ岡場所辺りなら四百文位らしいぞ? 見世を構えた所ですら其れ位だ、下を見りゃもっと安い所だって幾らでも有る」
川の上に浮かべた小舟で商売をする『船饅頭』銭湯や温泉で春を鬻ぐ『湯女』、見世を持たず其処らの掘っ立て小屋や下手をすれば草叢に筵を敷いただけの場所でやらかす『夜鷹』等、安く遊ぶ方法は幾らでも有ると若い家臣達が話しているのを聞いた事が有る。
書庫に有った『江戸夜鷹案内』と言う、風俗の広告紙みたいな書物に拠れば最下級の夜鷹ならば一発二十四文と、文字通り子供の小遣い銭程度の値段だったりする辺り、此方の世界は性と言う物がどれだけ安売りされているのかよく分かるだろう。
とは言え、上を見ればキリが無いのも事実、吉原辺りなら一発遊ぶのに最低三回通わねば成らず、その間は毎回相応の宴を開き遊女を口説く必要が有り、其れ等に掛かる経費を合計すれば百両なんてあっさり吹っ飛んだりするのだから、ピンキリにも程が有る。
ただ女の裸が見たいってだけなら、子供の小遣い銭で済む世界だぞ? そんな所でエロ本一冊に一両も出す奇特な人間が果たしてどれだけ居るのやら。
俺の言葉を聞き、沙蘭の手からぽろりと煙管が落ちた。
「だぁ! The・Ξの口車に乗ったあっしが馬鹿だったよ! いや、世界に依ってはこの手の本がクソ高い所も有るんだけどさ! 何処だったかの世界じゃぁ神の試練を超えた報酬だったりするしよ!」
この世界……と言うか火元国は割とそっち方面が開放的と言える世界であるが故に、其処までの需要が無い様に思えるが、確かにその辺に不寛容で厳しい世界ならば、コレを手に入れようと血眼に成る男が居ても不思議は無いかも知れない。
だが、やはりエロ本一冊に一両は出せないし、出すつもりも無い。
「ああ、もう、解ったよ! 千文……と言いたい所だが、お前さんにだけ特別だ! 二百五十文で勘弁してやらぁな!」
二百文でもまだ高い気もするが、危険を冒してまで長い距離を運んできた物をこれ以上買い叩くのも気が引ける。
ぴんふの好みがどう言う娘かも解らんし、適当に一冊その値段で買っていこう。
そう考え、特に物色する訳でなく手近な一冊を手に取った。
『負けるな! 剣道少女 ――剣野舞 ファースト写真集――』と題されたその一冊には、長い黒髪をポニーテールに結った、白い剣道着姿の少女が、下着も付けずに胸の谷間を晒している姿が写って居る。
凛々しいと表現して差し支えないだろうその面立ち――何処かで見た事が有る様な気がする――と、そんな印象とは裏腹に肉感的な胸元の落差は……うん、多分ぴんふに刺さるんじゃぁ無いだろうか?
「よし、んじゃコレに決めよう。ほい、一朱銀」
財布の中から四角い銀貨を一枚取り出し沙蘭へと手渡した。
「いやぁしかし、ソレを選ぶかい。確か歌って言ったかい? 江戸で見かけたお前さんの仲間。あの子がもちっと大きく成ったらそんな感じに育つんじゃぁ無ぇかしらねぇ?」
沙蘭のその言葉に、俺は思わずぽんと手を打った。
妙な既視感の正体はソレだ、歌がもう少し育ったらこの写真集の様な感じに成るかも知れない。
ただ、歌は多分此処まで大きな持ち物に成る事は無いとは思う。
鬼切りだけで無く普段の稽古でもガッツリ身体を動かしているのだから、その膨らみの主な成分である脂肪が身体に蓄積する量は多くは無いだろうし、何よりも彼女の母親であるお律様は、割と慎ましやかな身体つきだった。
いやいや……友人をそんな邪な目で見る様な事をしては駄目だろう、此方では然程煩く無いとは言え、性的嫌がらせが嫌われるのは間違い無い。
ぴんふの奴その辺が割と解って無いからなぁ、この本を渡したらこの被写体と歌を混同して変な事しないだろうか?
んー、違う本にするべきか、それともこのまま行くか、寸考えたが……結局は、まぁ大丈夫だろうとそう思う事にした。
一応渡す時には、釘を刺す程度の事は言って置いた方が良いかも知れないが。
「ほい、流石にソレを剥き身で持ってくん訳にゃぁ行かねぇだろ、紙袋に入れちゃるから此方ゃ寄越せ」
そういや此方で紙袋って見かけた記憶が無いなぁ。
火元国でも紙は量産されてるし、其処らの屋台でも蝋引きされた紙の皿は当たり前に使われているが、前世の世界の様に機械化した大量生産で作られている訳では無いので、再生紙では無い綺麗な紙は相応の値段がする。
江戸以外の事情はよく知らないが、少なくとも江戸州内では、紙はどんな用途で使われた物でも『屑屋』なんて呼ばれる回収業者の手で回収され、『古紙問屋』へと売られ『漉き返し』と言う再生産業者の手で再び紙が作られるのだ。
前世の様に漂白剤なんかが簡単に手に入る訳では無いので、再生紙は再生される度にどんどん汚れ、綺麗な紙には成らなく成って行く。
そうして最終的には『落し紙』と言う、トイレットペーパーの用途で使われる紙に成り、排泄物と一緒に肥料に成るまでとことん再生されるのだ。
紙袋なら必ずしも綺麗である必要も無いだろうし、此方でも使えると思うんだよな。
造りも然程難しい物じゃぁ無いし、江戸に帰ったら悟能屋にでも見せてみるか。
そんな事を考えながら、エロ本の入った紙袋を大事に懐へと仕舞い込むのだった。




