五百七十三 志七郎、土産の追加を買い呆れられる事
帰りの旅程がある程度決まったなら、江戸へと持ち替える土産物を買っておこう。
そう考えた俺は、御祖母様の屋敷で雇われている若い下男をお供に、京の都へと買い物に出掛ける事にした。
反物の類を伯母上から沢山頂いたし石鹸なんかも買っておいたが、折角京の都に来たのに地の物を買って帰らないと言うのも寂しいだろう。
土産と言うのは気遣いだ、多くて困る物でも無い。
その辺が解らない者は人との縁を長続きさせる事は出来やしない、その事を俺は前世の人生で良く学んでいた。
多少の金を吝嗇って、顰蹙を買うのは馬鹿のする事なのだ。
未だ任官して間も無い巡査だった頃、俺は一寸遠方で行われた研修に参加したのだが、仕事だからとそうした気遣いをせず、同じ交番に勤務する先輩方や同僚に土産の一つも買わず帰った時には、割とガッツリ説教をされた。
無論その先輩本人が土産が欲しかったと言う事では無く、警察という組織の中で協調性を持って仕事に当たらねば成らぬのに、他者への気遣いが出来ない者は出世出来ないし、するべきでは無い……と言う信念からの忠告だった。
その後捜査四課へと異動した俺は、後輩や部下を指導したり、他の組織との折衝する立場に成ってから、そうした気遣いがとんでも無く重要だと言う事を実感する事に成り、その先輩に心の底から感謝したものだ。
と言う訳で、先ず向かったのは伯母上から聞いて置いた、安くて良い茶を商って居ると言う茶問屋である。
「へぇ、ほんまは小商いはやっとらへんのやけど……安倍の奥方様の御紹介や言いはるんなら、無下には出来まへんなぁ」
小商いはやってない……と言いつつ、見世の中には然程大きくない茶入や茶壺も並んでいる所を見ると、所謂『一見さんお断り』の商売をしているのだろう事は容易に想像が付いた。
が、伯母上からの紹介状を見ると直ぐに客として扱われたのだから、まぁ突っ込む必要は無いだろう。
「うちは京の都近隣の茶しか扱っとりまへんけど、その分良え物が色々有りまっせ。予算を言うてくれはったら、その中で見繕うて淹れますよってに、味を見て品を選びやす」
……と言われても、残念ながら俺は茶の良し悪しなんか解らない。
いや猪河家でも、普段から食後なんかに茶は飲むが、その大半は割と安い番茶で、他にも柿葉茶や枇杷葉茶に麦茶なんかの『茶外茶』を飲む事が多い。
一応、他所の茶席に招かれたりした時の為に、御抹茶を頂く際の作法も習いはしたが、その時に飲んだ薄茶は未だ身体が幼い所為か、苦いとしか感じられなかった。
……上様の所で頂いた羊羹と抹茶は、美味しかったがあれは多分、極上の物過ぎて例外と考えるべきだろう。
さて……予算はどれくらいを計上するかなぁ? 嗜好品って割とピンからキリまで様々で、上を見れば天井知らずの値が付くなんてのは割と普通に有る話だしなぁ。
俺は財布の中身を吟味しながら、この見世の番頭が手慣れた手付きで湯を沸かすのを見守るのだった。
「流石は猪山の鬼斬童子と謳われるだけのお人やわ……こんなちまいんに、あんな大枚ぽんっと払ってまうんやから」
結局、味は解らずそこそこ量が入った茶壺一つそこそこの値の物を買い、続けて向かった香問屋でも同額程度の支払いをしたのだが、町人階級の下男にはソレでも大金だったようで、見世を出るなりそんな言葉を口にした。
「これでも一応は猪山の男児なんでね、鬼切りに出掛けりゃそれなりに稼ぐんだよ。ああ、次に行く見世で買う物は他言無用で頼む。当然御祖父様や御祖母様にも言わないでくれよ?」
と、そんな話をしながら向かうのは、奇天烈百貨店である。
目的はぴんふへの土産にする洋物の艶本だ。
俺自身は未だその手の物に、無性に惹かれる様な衝動を覚える事は無いが、一度三十歳半ばまでの人生を経験した事の有る身としては、あの年頃の男子が一番欲しいのはその手の物だと言う事を知っている。
ソレを扱っている見世は、二階の書籍・文房具売場の端の方だった筈だ。
いや、もしかしたら一階に有った沙蘭の見世にも、秘石や絵本だけで無く、向こうの世界からそう言う本を持って来ているかも知れない。
知り合いの所からその手の物を買うのはちと気恥ずかしくは有るが、洋の東西問わず写真が普及して居ないこの世界で、艶本といえば絵と文章だけの物ばかりで、向こうから持ち込まれた写真集なんかは、かなり希少な土産に成るんじゃないだろうか?
……信三郎兄上にも、一冊買っていくと言うのも手か? とも思ったが、四人もの妾を抱えた彼は一人遊びの必要なんぞ無いだろうし、やっぱりぴんふの分だけで良いな。
そんな事を考えながら、沙蘭の見世が有った場所へと行けば、
「おう坊主、お前ぇ一体何やらかした? 昨日、えれぇ強そうな術者が来て、此方に持ち込んだ秘石を根こそぎ買い占めて行きやがったぞ?」
開口一番そんな言葉を投げかけられた。
ああ、うん、伯父上の指示で買い占めに来た陰陽寮の人達だろうな。
「おマエの奴を通して、川中嶋の商家とも交渉を進めてる最中だったのに、公家の強権で持ち込む秘石は全量買取だって言われちまったよ。値付けに文句がありゃ他所に売る……ってな話が使えなく成っちまったのは痛ぇんだけどなぁ……」
……おおっと、どうやら俺はやらかしたらしい。
幾ら太客を確保したとしても販路が一本だけでは、其処が駄目に成った時に大きな損害を被るのは間違い無い。
長い付き合いを考えれば、値付けを吹っかけるのも買い叩くのも悪手でしか無いが『貧すれば鈍す』の言葉通り、どちらかの経済状況が悪く成ればソレが行われない保証は無い。
「申し訳無い……この国の術者の元締めが親戚で、その人に会った時にポロッと言っちゃったんだわ」
しかもその片方が強権を持っていると成れば取れる選択肢は『もう二度と此処には持ち込まない』と言う方法しか無い訳だ。
「まぁ良いさ、別にこの国に全部売らなきゃ成らねぇってな訳でも無ぇし、そん時ゃそん時で外国に持ってくだけだけどなー。伝手が無ぇから此処で販路作るより面倒臭ぇってだけで……」
良いさと言いながらも、さも面倒臭そうにため息を吐き出しながらそう言う沙蘭。
「それにその辺の事ぁ向こうだって解ってるだろうし、そうそう無体な要求はして来ねぇだろうよ。そう考えりゃ、太い販路が労せず出来上がったとも言えるわな」
煙管に煙草を詰め込みながら言ったその言葉に含む物は無さそうで、取り敢えず一安心と言った所か。
「んで、今日は何か欲しい物でも有んのかい? 残ってんのは向こうから持って来た本位だぜ?」
ぷかりと一息紫煙を吐き、ちらりと売り場に目をやる沙蘭に釣られてそちらを見れば、先日見たのとは違う絵本が何種類か積まれていた。
どうやら在庫は余り無い様で、ソレが捌けたら店仕舞の様だ。
「えーっと、其処に有るのとは一寸毛色の違う本が無いかなぁ……と、具体的にはThe・Ξが読んでる様な奴」
向こうの世界で沙蘭が隠棲していた六龍島の四天王が一人『婚活』のThe・Ξ、奴は猫又で有りながら人間のエロ本やエロ漫画を愛読する様な変態である。
そんな奴が読む本が欲しいと言えば、ソレはつまりそう言う事だろう。
「あのなぁ……自分でも忘れてたとは言え、あっしゃ一応雌だぜ? ソレを相手にそんなもん欲しがるなんざぁお前さん恥じらいって物が無いんかよ……」
呆れた様子で深い深い溜め息を付く沙蘭……いやまぁ、うん、その反応はまぁ仕方ないだろう。
だが考えても見て欲しい、俺に『中の人』が居る事を知らない普通の見世で、その手を本を買おうとすれば良くてマセガキ、悪けりゃお前にゃまだ早いと売ってもらえないと言う事も有り得る。
少なくとも向こうの世界で俺位の子供がそう言う本を買ったりすれば、売った店側が御縄を頂戴する事にも成りかねず、先ず間違い無く売って貰えない。
「まぁ、その手の本は何処の世界でも大概需要は有るし、何冊かは持ち込んでは居るが……安くは無ぇぜ?」
ポンと煙管を灰入れに打ち付ける沙蘭に、俺は無言で財布を取り出すのだった。




