五百七十二 志七郎、新たな既知を得行く末を心配する事
紅牙を慰めヒヨコに謝り倒して居ると、昼飯の用意が出来たと使用人に呼ばれ、居間へと足を運ぶ。
其処には御祖父様と御祖母様の他にもう一人、割と裕福な商家のご隠居さん、と言った風情の老人が座っていた。
空いている場所を見る限り、彼の席次は俺よりも上に置かれている様で、実際には武家の隠居なのだろうか?
「おお、志七郎。はよう座れ、此奴を紹介せねば成らぬからの」
明らかに悪巧みをしていると解る様な笑みを浮かべた御祖父様に促され訝しみながらも素直に座る。
「お初にお目に掛かります。拙者、為五郎様の舎弟で嵐丸と申す忍びに御座る。此度は無事、帝への謁見が叶った事、先ずはお喜び申し上げ候」
苗字を名乗らず名前だけで嵐丸と言う事は、彼は武士でも公家でも無い町人階級の身分なのだろう。
にも関わらず、末の子とは言え武士階級の俺より席次を上にしたのは、御祖父様の弟分と言う部分に焦点を当てて見るべきなんだな。
前世に読んだ戦国物のネット小説なんかだと、忍者は透破や乱破等と呼ばれ、一時雇の兵である雑兵よりも更に下の扱いを受けるのが普通だった。
故に一端の武士、人間であると扱う事で、彼等の信用と信頼を得る……ってのが定番だったと思うのだが、此方の世界では忍者――忍術使いは別段卑しい身分と言う事も無く、一種の技能集団として尊敬の念すら抱かれていたりする。
猪河家でも俺が拾ってきたお忠は蕾と共に、母上が何処に嫁に出しても恥ずかしくない娘に育て上げると息巻いて居り、家臣達からも半ば猪河家の姫として扱われていた。
二人共今の時点では、内外全てで武家の娘として扱われる訳では無いが、他所に嫁入りさせると言う話になった時には、猪河家なり笹葉家なりの養女とした上でと言う事に成るだろうから、ソレを軽々しく扱う馬鹿は御母様に折檻されるのが目に見えている訳だ。
まぁ、余程の事が無い限りは武光の奴が二人纏めて面倒を見る事に成るんだろうが……果たして彼女等二人で済むんだろうか?
「有難う御座います大叔父上。しかし何故江戸から遠く離れたこの地で顔合わせを?」
と、悩んでも仕方の無い考えが頭を過るが、ソレは取り敢えず置いておいて、祝の言葉に対する礼と率直な疑問を口にする。
「いやの、此れからお前が江戸へと帰る際、ちくと遠回りには成るが何箇所か連れて行きたい所が有ったんじゃ。じゃが此処京の都より更に西がキナ臭いと言う情報を、この嵐丸の手下が持って来ての。確認しに儂が行かねば成らんのじゃ」
間髪入れずそう答えたのは、大叔父上では無く御祖父様だった。
曰く、大叔父上は若い頃、何処の忍衆にも所属しない所謂『野良忍』で、生きる為に様々な悪事に手を染めていたらしい。
そんな生活の中で当時未だ元服すらしていなかった上様や御祖父様と敵対する事に成り、切った張ったの大騒ぎの末、捕らえられ生き足掻くのも此処までかと言った所で、逆にその二人に仕える事で真っ当に生きる道へと戻されたのだと言う。
その後、様々騒動を乗り越えた御祖父様達は、信頼関係を確かな物とし、義兄弟の盃を交わすに至ったのだそうだ。
「そんな拙者も、兄者達のお引き立てで小さいながらも一党を率いる事と相成りまして、その御恩返しと言う訳では無いですが、火元国中から様々な話を仕入れ兄者にお知らせしているので御座る」
「此度はそうして持ち込まれた話の中にちとティンと来る物が有っての、今儂が向かえば火種が大きく成る前に潰せると思うんじゃよ。でだ、儂の代わりに御主の案内は嵐丸に頼もうと思ってこうして引き合わせた訳じゃ」
話の内容自体は納得の出来ない物では無いが、ソレが出来るならそもそも行きの時点で誰かを付けてくれれば良かったのではなかろうか……とも思ってしまう。
が、行きは割と四煌戌で全力疾走していたので、武士階級の騎獣持ちじゃ無ければ付いてこれなかった。
対して帰りは、彼等の背に土産物を積み、歩行で移動するのだから、身分的に騎乗が許されない大叔父上が一緒に行くと言う選択肢は、間違っていないのかも知れない。
いや、考えてみれば合流する切っ掛けは偶然だったのかも知れないが、火取の伯父貴が同行してくれたのは、もしかして御祖父様が手を回していた結果だった可能性も有るんじゃないか?
大叔父上の手の者は火元国中に居ると言っているし、国許に近い俺が通ってきた地域の大半は当然の如く御祖父様の手の内なのだろう。
一体何手……何十手先を見越して指しているのか……囲碁や将棋は規則が解る程度の心得しか無いが、どう頑張っても勝てる気がしない。
「お話は解りました。で、俺は何処へ行けば良いんでしょうか? 俺と四煌戌の帰りの旅費は幕府から頂けるにせよ、ヒヨコのエサ代が割と馬鹿に成らないので、出来れば早めに帰りたいんですけれども……」
幾ら上との話が付いているとは言え、必要以上の経費を請求するのは、俺の倫理観に反するし、何時帰り着くとも知れない旅路で貯金がどんどん減っていくと言う状況は、精神衛生上避けて置きたい。
「心配要らん、あの鳥は主上から御主が賜った物じゃが、世間一般からすれば猪河家が賜ったと見るが普通。少なくとも御主が元服するまで、その飼育に掛かる費用は藩の財政から出すのが当然じゃ」
四煌戌は『家臣』なので俺が養育せねば成らないが、ヒヨコは『宝物』なので藩が責任を持って費用を出す……と言う論理らしいが、その辺の線引が今ひとつよく解らない。
そういや武光の妖精やお忠の鼠はその体格の小ささから考えて、然程食費その他の費用が掛かりはしないだろうが、蕾の一角獣は多分かなりの銭が掛かる。
普通の馬ですら乗る事を考えて飼育するならば、人より多くの食費が掛かるのだと聞いた事がある、属性を考えて食餌を考えなければ成らない霊獣は、先ず間違い無くソレ以上に掛かる筈だ。
しかも一角獣は分類的には馬と言う扱いで、犬と同様に家臣枠に成るだろう。
と成れば、蕾が自前で食費を稼ぐのが、家訓に沿った対応と言う事に成る筈である。
……まぁ四煌戌は更にその三倍以上食う訳だから、俺の三分の一稼げば良い……と考えれば、鬼切りに勤しめば稼げない範疇では無いだろうし、武光の奴もソレに手を貸さないと言う事も無い筈なので、多分大丈夫……なのか?
考えてみれば、蕾は仁一郎兄上すら認める馬術の腕前に、その兄上ですら及ばぬと言う騎射の名手だったっけか。
戦場選びを間違えなければ、俺達『鬼切り小僧連』よりも効率的に稼げるのかも知れない……いやまてよ、蕾は書類上の身分は未だ武士では無い筈だし、騎乗は許されないのか?
うん、解らん……後から御祖父様に聞いて置こう。
「そう言う事ならば、時間的、金銭的な制約は無いって事ですね。で、俺は何処へ行けば良いんでしょうか?」
「近い所から言うなら、先ずは川中嶋には行っておいた方が良いな。彼処は火元国中の物が集まる天下一の大市場だかんな。外つ国の物なら此処の百貨店だが、国内の物なら彼処で手に入らん物は無い」
と、言われても別段俺に欲しい物は無いのだが……。
「お前の鎧、そろそろ新調する時期じゃろ? 幾ら多少成長を見込んで作ってあるたぁ言えな。限界を感じてから用意するんじゃぁ、事故る原因にも成りかね無ぇ。主素材は江戸の蔵に有る物を使うにせよ、副素材を買うのは恥じゃぁ無いからの」
んー、今俺が使ってる亀甲鎧四式は、ある程度身体が大きく成ることを見越して大き目に造り、更に留め具と紐を調整することで長期間着る事が出来る様に工夫が凝らされている。
なのでまだ大丈夫……だとは思うんだが『まだ大丈夫はもう危ない』と言う格言も有る、御祖父様の言う通り江戸に帰ったら新しい鎧を作った方が良いんだろうな。
鬼亀の甲羅は全部使い切った訳じゃぁ無いが、確かにもう一回り大きな鎧を作ると成ると少し足りないかも知れない。
ソレを補う素材を買っていけと言う事ならば、話は解る。
「後は裸の里に寄って、錬風業も触る程度で良いから学んでおけ。錬火、錬水、錬土……氣功を高める業は他にもあれど、錬風業はどれにも通じる基本を学ぶのに一等適しておるからの」
……裸の里って、来る途中で見かけたあの看板の場所か。
実際どんな場所なんだろう? つーか、俺も其処に行ったら裸で過ごさにゃ成らんのだよな?
おっと、割と不安になってきたぞ? つか大叔父上の裸とか見たくないんだが……まぁ御祖父様の言う通り氣を高める技術は覚えて置きたいし……仕様が無いか。
俺は思わず小さくため息を吐き、それから素直に了承の意を伝えるのだった。




