五百六十九 志七郎、術者と相対し驕りを知る事
「双方構え……始めぇ!」
合図と共に一気に間合いを詰める為、蹴り足に氣を送り前へと跳ぶ。
その際に高く跳び上がってしまえば、隙が大きく成るので、可能な限り水平に近い角度で飛び込む事を心掛ける。
そしてそのまま袈裟懸けに一太刀……それで勝負は決まる、そう思っていた。
しかし現実は違った、俺が踏み切るよりも早く、弾丸すら見切る意識加速の中ですら霞む様な速さで飛んできた人形と呼ばれる紙人形が身体に触れた途端、丸で氣を使い過ぎて枯れた時の様に、全身の氣が散ってしまったのである。
「汝、氣を纏う事能わず! 此れ陰術が一手『禁氣の法』也」
右手に木刀、左手に数枚の御札と人形を手にした狩衣姿の安倍家家臣が、俺に仕掛けた術が何なのかを口にした。
だが氣が使えなくなったからと言って、剣が使えない訳では無い。
当初の様に一足飛びに仕掛けると言う選択肢は潰されたが、ならば素の身体能力で出来る事をすれば良いだけだ。
そう判断し、八相に構えた木刀を改めて握り直して、摺足でジリジリと間合いを詰めていく。
「我、疾き事風の如く! 急々如律令!」
と、再び呪を編み手にした御札を振ると、翠の光が彼を包み込み……氣を纏わねば目で追うのも難しい様な速さで駆け出した。
上手い手……と言うよりは嫌らしい手と言うべきだろうか?
術を使い此方の氣を封じ、ソレが無ければ対処が難しい速度を術を使って身にまとう……恐らくは、陰陽術師が武士と戦う際に用いる常套手段とでも言うべき戦術なのだろう。
「此れは……確かに勉強に成る!」
忍者物の漫画や時代劇なんかで見るような、敵の周りを高速周回する事で、分身しているかの様に感じさせる動き。
事前に聞いた話では、彼は氣を扱う事は出来ないと言う話だったが、陰陽術で自身に強化を掛け、相手に劣化を押し付ける事で、同等かソレ以上の効果を生み出しているらしい。
……とは言え、動きが速くなっても、ソレだけで剣の腕まで上がる訳では無い様で、真後ろに回り込んだかと思えば、不意を突く訳でも変化を入れるでも無く、只真っ直ぐ俺の頭目掛けて木刀を振り下ろした。
対して俺は頭の上で木刀を横たえ置く事でその一撃を受け止める。
突くとか、薙ぎ払うとか、別の攻撃方法をされていたならば、その時点で俺の負けだったかも知れないが、見た感じ刀と言う武器種が手に馴染んで居ない様に見えたのだ。
故に一番基本と成る振り下ろしと山を張ったのだが、見事に刺さったらしい。
片手持ちでの一撃は思ったよりも軽く、受け止めた木刀を強く押し返してやるだけで、大きく後ろへと仰け反った。
「一本! それまで!」
直様振り返ると共に横薙ぎに振り払えば、ガラ空きになった脇腹へと綺麗に一発。
うん、此れは……花を持たせて貰ったと言った所だろうか?
彼は安倍家傘下の陰陽術師の中でも若手な上、術の修行に重きを置いてきた人物なのだろう、もっと年重の……術だけで無く武芸にも身を入れてきたと見える人物は周りを見渡せば何人も居るのだから。
そもそも何故、陰陽術師と手合わせ等しているのかと言うと……
昨日の宴席の後、暗い夜道を帰るのは辞めた方が良いと言われ、安倍の御殿に御祖母様と共に泊まる事になり、源泉掛け流しの温泉と、ふかふかの御布団でさらなる歓待を受け、ゆっくり休ませて貰ったのだ。
そして朝になり普段と同じ様に、庭先と木刀を借りて軽く身体を動かして置こうと思った所で、
「火元国の術師は基本的に我々陰陽寮が管理しておるが、御主の様に陰陽寮に属さない術師が全く居ないと言う訳では無い。そして中には悪の道に堕ちた者と相対する事が絶対に無いとは言い切れぬ。何事も経験、家の陰陽術師とも手合わせしていくと良い」
伯父上にそんな言葉で、葛葉山で修行する陰陽術師達の稽古の場へと誘われたのだ。
そしてその結果が冒頭からの一連の流れである。
生まれ変わって此方、氣功と言う超常に依って、圧倒的優位な戦いばかりを経験してきたが故に、氣の使えぬ一般的な陰陽術師だと聞いて、俺は何処か相手を舐めていたのだろう。
陰陽術は引用術、神々の定めた法を収めた『六法全書』とでも言うべき物から、必要な条文を引用する事で世界樹に局地的かつ一時的な『世界の改変』を行う術である。
その性質故、術の詠唱には基本的に長い時間を要するのだが、抜け道が無いと言う訳でも無い。
事前に準備する時間が有れば、その条文を呪符と呼ばれる御札に書き写す事で詠唱を劇的に簡略化したり、場合に依っては今回の様に無詠唱で術を放つ事も可能なのだ。
信三郎兄上と初めて釣りに行った時、巨大な雷帝魚に対して兄上が術を使った際にも、呪符を使った簡略詠唱をしていたのだから、俺がその事を知らなかった訳では無い。
けれども俺は氣に拠る万能感に酔って、ソレを封じる手立てが有ると言う事すら考えず、有ったとしてもソレを為すよりも速く勝負を決めれば良い……と思い上がって居たのかも知れない。
「志七郎、お前の行末には様々な困難が待ち構えて居るだろう。其れ等を目の前にして猛り逸るは悪手……彼を知り己を知らば百戦して尚危うからず。敵が如何なる能力を持つのかを知らねば、時には不覚を取る事も有ろうぞ」
今の手合わせは、形式の上では俺の勝ちと言えるかも知れないが、だとしても負けに等しい勝ちだ。
「伯父上、金言誠に有り難く。そちらの御人も俺への忠言の為に態々慣れぬ剣を振るって頂き有難う御座います」
稽古を始める前に言われた通り、陰陽術を悪用する様な輩が相手だったならば、もっと悪辣な手で俺の命は奪われていたかも知れない。
だがそう言う事ならば、もっと経験豊富な者に相手させると言う選択も有った筈だ。
俺の相手を務めてくれたのは、恐らく二十歳に少し届かない位の若手で、武士が武芸に励むのと同じ位の時間を陰陽術の鍛錬に充てて来た者なのだろう。
「其方の術は悪く無かった、知らぬからとは言え彼の鬼斬童子殿を相手に、一時は優位を掴めたのだ。だがその後が良くない、相手は幼いとは言え武芸に通づる武士、しかも二つ名を持って呼ばれる程の相手ぞ。不用意に近づき半端な腕の剣を振るったのが敗因だ」
ああ、うん成程、この手合わせは俺の為だけじゃぁ無い訳か。
時に鬼や妖怪と相対し、京の都を守る陰陽術師達は、術だけで無く武芸も奨励されている様で、ソレを怠っている若者に自分より幼い俺に負けさせる事で、灸を据える様な意図も含まれていたのだろう。
そう言う意味では、彼も俺も指導者だろう年嵩の術者の思惑通りに動いたって事か……俺も彼も精進が足りないって事だな。
「さて鬼斬童子殿、朝餉前の腹ごなしには少々物足りないかと存じます。次は私が御指南致しましょう。碌に素振りすらして来なかった馬鹿者とは違い、私は武芸の方にも多少覚えが御座います。陰陽と武の真髄をお見せ致しましょう」
と、そう言いながら進み出てきたのは、四十歳絡みの長柄の武器を手にした陰陽術師である。
それは長さ七尺程の柄に、鎌の様に内側に刃の有る刺突部が真っ直ぐに取り付けられた、薙鎌と呼ばれる武器だった筈だ。
無論、彼が今手にしているのは刺突部まで木製の稽古用の物だが、猪山藩の江戸屋敷の武器倉には実戦用のソレが有るのを見た事が有る。
「鬼斬童子殿も精霊魔法を扱う事が出来ると聞いて居ります。剣でも魔法でも全てを使って、存分に打ち掛かって参られい!」
歴戦の古兵の雰囲気を放つ彼に、俺は一礼し木刀を構え直し、四煌戌を喚ぶ為の詠唱を始めるのだった。




