五百六十七 志七郎、饗膳を楽しみ馳走に感謝する事
「焼き物、当家の御用牧場で育てた肥恵山牛の赤身肉、その炙り焼きでござります」
続いて出てきたのは、熱々の鉄板に乗ったステーキだった。
肉の焼ける音を響かせ続けるソレは、御祖母様の前に積み上げられている物と同じ物の様に思える。
箸とは別に添えられた肉刀と肉叉に持ち替えて、早速一太刀……ん? 割と硬い?
先日、御祖母様の家で朝食に食べた象花火のステーキは、肉刀を入れれば殆ど抵抗無く切り裂け、口に頬張れば齧る事も無く蕩ける……そんな肉だった。
それに比べ此れはただ切るだけでもはっきり解る手応えを感じる……そして頬張れば、うん? 思った程には硬く無い、程よい歯応えが有り、脂の甘みよりは肉の旨味を感じさせる、そんな良質の赤身肉だ。
たぶん此れは前世の日本では、余り美味いとは言われないだろう、けれども研修なんかで欧米に行った際に食べたステーキハウスの肉は、此れに近しい物だったように思う。
そーいや、江戸でも鮪が余り好まれないのは脂が多すぎるからだった筈だし、火元国全般として脂の甘みよりも、肉の旨味が好まれると言う事なのかも知れない。
そう考えて食べれば十分に美味いし、決してお安い物をポンっと出したとも思わない、ただ一つ不満が有るとすれば……甘酒では無く、葡萄酒か麦酒が飲みたいと言う事だろうか?
「お凌ぎ、壬生菜の清浄野菜でござります、胡麻垂れ、玉葱垂れ、ポン酢醤油垂れの中からお好みの物を掛けてお召上がりやす」
二十七匁程度の肉々しいお肉を、ぺろりと平らげた所に出てきたのが、壬生菜と言う見た事も食べた事も無い、謎の葉野菜のサラダだった。
化学肥料が一般的では無いこの世界で、生のまま食べられる清浄野菜と言うのは基本的に高級品である。
なにせソレを作ろうと思えば専用の畑を用意し、数年間は其処に寄生虫の原因と成る様な一般的な肥料を撒かず、薬師や錬玉術師が調合する高価な肥料と清浄な水だけを使い育て無ければ成らないのだ。
其れ以外には妖怪化した野菜を討伐し、その可食部を剥ぎ取ると言う方法しか無いので、農神の加護を持つ礼子姉上と、智神の加護を持つ錬玉術師の智香子姉上の二人が揃って居る猪河家ですら、年に数度しか食べられない様な品である。
流石に今日の日の為に安倍家が自ら栽培したと言う事は無いだろうが、希少なソレを市場で探し買い求めたならば、其処には手間も銭も大いに掛かった筈で、これ以上無い饗しといえるのは間違い無い。
俺個人の好みを言うならば、掛ける垂れは胡麻が良いのだが、折角食べた事の無い野菜なのだから、先ずは何も付けずそのままの味を口にしてみよう。
舌の上にぴりりと感じる辛さと苦味、そして鼻に抜けるなんとも言えない独特の風味……不味くは無いが、此れは一寸好みが別れるんじゃぁ無いだろうか?
ちなみに俺は嫌いじゃぁ無い……が、うん素直に垂れを掛けて頂こう。
シャクシャクとした生野菜の歯応えを感じながらソレを食べて居ると、少な目だったとは言え肉の脂が残っていた舌がさっぱりした気がする。
「油物、河豚の唐揚げでござります。此方は河豚の本場、背角藩で修行した料理人が捌いた物です故、安心してお召し上がりやす」
言わずと知れた猛毒を持つ魚の河豚……ソレは此方の世界でも変わらず、江戸でも適当な調理をして中って死んだ者の話は毎年少なからず耳にする。
中たれば死ぬと言う所から、鉄砲料理なんて揶揄する様な言葉も有る程だ。
当然、幕府はソレを規制しては居るのだが、多少危なくても美味けりゃ食いたいと考えるのが、火元人の悪い癖で、無条件で完全に『食うな!』と規制しても無理な事。
故に今では河豚の本場だと言う背角藩できっちりと修行し免状を得た者だけが、河豚料理の看板を掲げて見世を出す事が出来るのだと言う。
京の都は幕府の管轄では無く、朝廷の管理下に有る場所で、幕府の規制は通用しないのだが、河豚を安全に食べたければ背角藩で修行しろ……と言う点は変わらないらしい。
さくりと軽い歯触りの衣に、魚の唐揚げと言うよりは肉にも近い身の感触、中から溢れ出す肉汁の旨味……普通に美味い、麦酒が欲しくなる。
「旬物、鰤大根でござります」
……本当に海の物が多いなぁ、いや内陸部で海に面して居ない京の都で、海の物は無条件で贅沢な物なんだろうけれども。
ああ、上手く炊いてるなぁ、臭みが全然無いし、大根の芯まできっちり旨味が染みている。
日本酒が……いや、米の飯が欲しい。
と言うか、日本酒は米から作られる物なので、米の飯に合う物は基本的に日本酒にも合う事になっている、と酒飲みだった先輩刑事が事ある毎に言っていた記憶が有る。
ぐいっと盃に注がれた甘酒を飲めば……うん、此れも米から出来た物だけ有って合わないと言う事は無いな。
鰤大根は江戸でも、冬に成れば毎年睦姉上が作ってくれる料理だが、此れも全然負けてない、優れた技量の料理人が丁寧な仕事で作っているんだろう。
素材も河中嶋の市場で揚がった物を術を使って傷まない様に持って返ってきた、刺し身に使われていた魚と同様の処置がされているんじゃなかろうか?
「お待たせしました、御飯物、鯖寿司でござります。祭りや祝い事には絶対に欠かせへん、京の都の名物料理おすえ。人様を饗すんにも此れを外したらあきませんえ」
そう言いながら次に出されたのは、表面が昆布らしき海藻に覆われた光り物の寿司。
江戸では露店なんかで割とよく見かける握り寿司とは違い、柵のままの塩鯖を酢飯の上に乗せ巻き簾で巻き固め、更に出汁昆布を巻き、それから竹皮で包んで熟成させた、所謂『熟れ寿司』と言う奴らしい。
前世から寿司のネタの中では〆鯖が一番好きだった俺だが、此れはどうだろうか? 前世には食べた事が無いんだよな。
熟れ寿司と言う括りだと警察学校の同期だった男が連続殺人事件の捜査で北海道に行った際に、土産として買ってきてくれた飯寿司と言う奴を食べた事が有るが、アレは何方かと言えば漬物の部類だった様にも思う。
そんな事を思い出しながら、皿に乗った四貫の鯖寿司の内一つを箸で口の中へと放り込む。
途端、口の中に広がる酸味と魚特有の生臭さと、その向こうに微かな発酵臭……しかしそのどれもが不快に感じないギリギリの所に有るようで、綺麗に纏った味わいは長年京の都の人達に愛されて来た事にも十分納得出来る物に思える。
魚の生臭さが苦手な人だと一寸厳しいかも知れないが、俺は割とその辺平気だし、何より〆鯖を好む時点で此れは好みの味に近いといえるかも知れない。
「お次は留椀、赤出汁でござります。此れを飲みはってお口をさっぱりさせはったら、最後は水菓子で〆おすえ」
赤出汁は関西方面でよく食される豆味噌の味噌汁……だったか? 此れも実は初体験。
……ああ、なんだろう、ほっとする味。
いや、普段よく飲む味噌汁とは全然違う事は間違い無いんだが、此れは一品……いや逸品料理とでも言える格の物で、今までの料理の余韻を心地よく消して行く。
思わずため息が溢れるのをあえて止める事はせず、残った甘酒をぐいっと飲み干す。
「水菓子は下手に手を入れんと果実をそのまんま出すんがほんまなんやけれど、今宵は一工夫した物でござります。匙で掬って御賞味下さいまし」
そう言って出されたのは、淡い柑橘色の半透明の中に、より濃い柑橘色のむき身の果実が透けている……蜜柑のゼリー? 違うな、ゼリーにしては匙を入れた手応えが硬い……此れは羊羹?
一匙掬い口の中に入れれば、広がる酸味と甘さ……うん、間違い無い蜜柑の水羊羹か。
しかしこんな透明度の高い羊羹はどうやって作るんだろう?
まぁ、何にせよ美味い、食事の量としては一寸物足りない様な気もするが、内容自体は大満足だ。
「御馳走様でした」
最後の水羊羹もぺろりと平らげ、俺は両手を合わせてそう言い放つのだった。




