五百六十六 志七郎、武を感じ京の幸に舌鼓を打つ事
「皆様、夕餉の支度が整いました故、大広間へとお越しやす」
そろそろ山の間に日も落ちた頃、安倍家の女中がそう知らせてくれた。
それまで俺は御抱えの楽師に太鼓を習い、ソレに合わせて宇沙美姫が舞いを踊って過ごしたのだが、彼女の軸が通った立ち振舞いは此処から来ているのだろうと、思わせるには十分な物に思えた。
前世の世界ではとある格闘技の大家が『バレリーノとは喧嘩するな』と格言を残したと言う話を聞いた覚えが有るが、古来日本でも『舞は武に通づる』とか『武は舞也、舞は武也』なんて言い伝えられても居た覚えが有る。
実際、両の手に扇を持った彼女の動きは、朝稽古で見る睦姉上のソレに親しい物の様にも見え、短刀や匕首に持ち替えたならば小鬼程度には遅れを取る事も無いのでは無かろうか?
とは言え彼女は、陰陽術の大家である安倍家の姫、何らかの理由で戦いに出る事が有ったとしても、より危険な近接戦闘等せず、後ろから陰陽術で支援するのが本道だろう。
借りた太鼓と撥を返し、宇沙美姫が扇子を片付けるのを待って、皆で連れ立って食事が用意されていると言う大広間へと案内された。
……うん、すげぇ。
いや、猪河家も父上が江戸に居る時には、家臣達も皆で食事を取るので、宴会場の様な広い部屋で食べるが、広さは兎も角、部屋の壁や天井に施された装飾が比べ物に成らない。
柱や長押は朱に塗られており所々に金色の金具が飾られ、欄間には見事な透かし彫りが施されている。
しかも欄間のソレは一枚として同じ絵柄の物は無く、見比べて見た感じ何かの絵物語をそのまま彫り込んでいるのだろう。
ぱっと見える範囲だけでも、相当に銭が掛かっているのが見受けられるが、ソレ以上に気になるのは、この部屋に満ちた灯火とはまた違う不可思議な白い灯りだろう。
揺れる事の無いその光は、前世の世界で広く用いられていた蛍光灯のソレに親しい物にも思えるが、ぱっと見て光源が何処と断定出来ない辺り、電気機械のソレとはまた違う物なのだと思える。
大分前に行った江戸の馬比べ場や、義二郎兄上と伏虎義兄上の決闘、そして大奉納角力にも『スピーカー』と『マイク』らしき物が、何らかの術や魔法で再現されていたっぽい事を考えるに、この部屋を満たす光は恐らく陰陽術に依る物なのだろう。
まぁ武家である猪河家は、銭金を掛けた雅よりも質実剛健を旨としているが故、公家――即ち貴族のソレも筆頭格足る安倍家とは比べるのが間違っているのかも知れないが。
「ささ、鬼斬童子様……此方へお座りやす」
部屋に入って右手側、家だと父上や母上が座る、一段高くなっている所には伯父上達安倍一家が座っており、俺が案内されたのは其処から見て右側一番手の上座だった。
本来の席次で考えるならば、俺が御祖母様より上座に座る事は許されない筈なのだが、態々俺を最上位に据えるのは、やはり宇沙美姫の恩人だからと言う意味合いが強いのだろう。
何処からか流れる穏やかな琴の調べを聞きながら、案内された場所へと腰を下ろすと、早速料理の乗せられた膳が運ばれてきた。
「先付、筍、大根、蕪のお造りでござります」
どうやら今夜の献立は会席形式の様で、膳の上には薄く切られた野菜の刺し身とでも言うべき物と一緒に、漆塗りの盃と、それと揃いらしい急須の様な……お銚子が乗っている。
会席料理と言うのは、酒を飲む事を目的とした宴会の為の料理だった筈なので、俺の前にもこうしてお銚子と盃が有るのは何ら不思議は無いが、まだ子供の俺の身体では呑むと言う訳にも行かない。
いや、俺を饗す為に態々最高の品を用意したと、御殿まで案内してくれた者が言っていたのだ、子供に酒を呑ませる様な非常識な真似はしないだろう。
となると、この中身は御神酒か、若しくは甘酒といった所だろうか?
「京の都の南、伏水の地で帝御用の酒蔵を営む公家、酒作部から頂いた酒粕を使うた甘酒でござります、姫様もお上がりの品でございますので、安心してお召やす」
うん、やはり幾ら公家の筆頭格とは言え、私事に御神酒を神々から賜るのは難しいんだろう。
それでも使われているのは、京の都でも最高峰と言える酒粕なら、最大限の饗しなのは違い無い。
さて、野菜のお造りってのはどんな物だろうか?
先ずは筍……普通は灰汁抜きをして調理する様な物の刺し身……美味ぁ!?
いや、此れどうなってんだ? 竹の清々しい香りが口の中に広がり、齧れば瑞々しい程よい硬さの果肉がサクッと音を立てて割れる。
「筍のお造りはこの季節の早朝、日が出るよりも早くに、僅かに土の上に頭を出しただけの物を掘り起こし、それから四半刻の間にしか食べられへん逸品でござります。今日はその時に掘った物を術で時を止めて今、饗して居ります」
筍は伸び始めてから時間が経つにつれてどんどんエグみが増す為、本来なら掘ったその場でしか味わえないのがこの刺し身らしい。
時を止める魔法は、俺も短い時間ならば使えない事も無いが、朝掘った物を今の時間帯まで保たせるのはまだ無理だ。
陰陽術と精霊魔法で術の原理は違うし、効果の程も差は有るとは思うが、同じ結果を出すのに何方かだけが異様に簡単と言う事は無いだろう。
御馳走とは方々を走り回り最高の食材を集めるその行為を差すのだと聞いた覚えがある、手間暇を掛けそう簡単に使う事の出来ぬ術まで使った此れは、本来の意味のソレだと言っても過言では無い様に思える。
と、成れば当然一緒に並んでいる大根の刺し身も……うん、美味い。
水っぽいとは違う瑞々しい歯ざわりと舌触り、土臭さの欠片すら感じられないのに、確かに大根のソレと解る風味。
続けて蕪の刺し身を口に入れれば、見た目は然程差が無いにも関わらず、此方は幾分か柔らかくそして甘い。
会席料理の名に恥じない酒が飲みたく成る其れ等を咀嚼し飲み込み、甘酒を一口啜る様に呑む。
甘酒と言うには甘すぎないすっきりとした味わいが、舌の上にしつこく残る事無く、口の中の余韻を押し流していく。
物足りない……なんて事も無く美味い。
ちなみに御祖母様はきっちり別献立で肉を食っている。
「椀物、牡丹鱧と椎茸のお吸い物でござります」
透明な汁の中に浮かぶ白い牡丹の花の様な鱧と千切りの椎茸。
季節柄椎茸は干し椎茸を戻した物だろうが、内陸部に位置する京の都で海の魚である鱧は、間違い無く高級品だ。
「鱧は生命力が強く、河中嶋に水揚げされた物でも、生きたままで持ち込めますのんや。そやから鱧は京の都の味の一つなんおすえ」
前世から通して鱧を食べる機会は無かったが……先ずは汁を啜って見る……うん、美味い。
癖の無い淡白な白身の旨味と椎茸の香りと、其れ等を邪魔しない出汁の風味。
続けて白い花の様な鱧を箸で摘み上げ口の中に入れると、お? 骨が有るんだが、気にならない弾力の有る肉厚の身……此れが骨切り鱧って奴か。
「向付、海鮮三種盛、甲烏賊の鹿の子造り、赤貝のいちご造り、鰆の銀皮造りでござります」
鱧に続いてまたも海の幸、鱧は活魚で持ち込めると言う話だったが、此れはどう言う物だろう?
「どれも今朝、河中嶋の魚河岸に揚がった物を氷の術で冷やしたまま、早馬で運ばせた物にござります」
夏場でもかき氷を提供する雪女が居るのが、この火元国……冷やすと言う事自体はどうとでも成るらしいが、ソレを冷やしたまま運ぶとなると、途端に難易度が跳ね上がる。
術を使いながら荷物を背負って早馬を走らせると言うのは、冷凍車で物を運ぶ程簡単では無いだろう。
一体、今回の饗しの為にどれほどの人員が動員され、どれほどの銭が投入されたのか……想像するだけでも身震いをしそうに成る。
……とは言え、美味いは美味いんだが、この辺は前世に食った事がある刺し身と、大きくは変わらないなぁ。
刺し身を食べ終わり甘酒をもう一口呑んで、俺は次の料理を待つのだった。




