五百五十九 志七郎、兄の将来を思い藩の将来を憂う事
「中々に見事な余興でございました、陛下も普段口にする事の無い下々の味を楽しまれたご様子。其方の入れ知恵のお陰でお忍びの事とは言え接待を任された妾の面子も立ったと言う物、礼を申し上げますよ為五郎殿」
帝の御前を辞した後、次に御祖父様の案内で向かったのは、この屋敷の主である四条中町公の元だった。
ちなみに腹を減らせたヒヨコは俺の腕の中で、帝から下げ渡された『火豆』と言う物を食べている。
先祖代々朱雀を使役する皇室には、当然の様にソレを飼育するノウハウが有り、産まれたばかりの朱雀の子に与える餌として常に用意されている物らしい。
それにしても……火元国中のオカマの元締めと言われる人物故に、それはそれはトンデモ無い形相の持ち主を想像していたのだが、其処に居たのは言われなければ男だとは解らない色白美人さんだった。
この人マジで白粉も塗ってない様なのに、行灯の微かな灯りでも解る位に白いんだ。
しかもその顔立ちも俺が此方の世界に生まれ変わってから、見た中でも上から数えた方が早い……つーか、彼女より美しいと断言出来る女性が思い浮かばない辺り、最上級の美人と言い切れるかも知れない。
うん、前世から通して考えても、母上や礼子姉上、そして瞳義姉上辺りより美人といえる様な女性は、テレビで見る事は有っても直接会った記憶は無い。
いや捜査四課長に成ってから俺に近寄って来た色仕掛け要員の女性達の中には、彼女等と同等に整った顔立ちの女も居た気もするが、ああいった輩は大体目の奥に卑しい炎を宿しているので、ソレに惹かれる事は無かった。
つか、この人……素の顔立ちが美人さん過ぎて、周りから男として扱われず、結果としてそっちの道に走ったってパターン何じゃないか?
寧ろ本当に男なのか? と、疑いつつも、失礼に成らない様に目を伏せて観察してみれば……喉仏が男性で有る事を微かに主張している。
「否々、此度は態々儂の孫の為に帝に足を御運び頂いたのだ、その無聊を慰める手立ての一つや二つは用意せねば、ソレこそ此方の面子が立ちませぬ」
「相も変わらず義理堅いのぅ。其方の娘が安倍と縁を結んだ時点で、遠縁とは言え妾と其方も親戚だと言うのに、何時も何時も気を使いすぎですよ」
安倍家の宇沙美姫が帝の孫と言う事は、ソレはそのまま帝が猪河家とも親戚関係に有ると言える。
具体的には安倍家現当主の広陰伯父上は、母親が安倍家から帝に嫁いだ娘で、本来ならば親王殿下と呼ばれる立場だったのだと言う。
だが子宝に恵まれなかった安倍家先代の元に、陰陽術の才能ある甥子で有る故に、養子として跡目を継ぐ事と相成ったのだそうだ。
そして四条中町公は帝の弟に当たるらしいので……うん、直接の血縁は無いにせよ親戚と言って間違い無い間柄では有る。
ただ此処で不思議なのは、宇沙美姫の許嫁が信三郎兄上だと言う事だろう。
政略結婚の類だとすれば二代続けて猪河家と縁付くのは、余り利益が無い様に思える。
賢神の加護と陰陽術の才能を見込んで……と言う事も考えられるが、神々の加護は遺伝する様な物では無いとされている為、次代以降の事を考えると良い選択では無いのではなかろうか?
それに猪山藩猪河家が幕府重鎮と言えるだろう立場は、飽く迄も上様が御存命の間だけの事だ。
次期将軍様からすれば、幕府の頭越しに公家の重鎮と深い繋がりを持つ家臣と言うのは、面白く無いだろうし、使いづらいと考えても奇怪しくは無い。
「しかし此れで安倍が断絶せずに済みそうですね、婿殿と成る子も女鬼を何人も侍らせる程の豪腕だと言う噂は、既に妾の耳にも届いておりますよ」
実の所、三十伯母上は伯父上の唯一の妻と言う訳では無い、彼女が輿入れする前にも三人程公家の娘が安倍様と縁付いた事が有ったらしい。
しかし彼女達との間に子供が産まれる事は無く、石女を掴まされたと離縁する事に成ったが、その三人何れもが再婚先できっちり身籠った事で、今度は伯父上が種無しだと疑われる事と成った。
代々陰陽頭を務める安倍家が、帝の子が種無しが原因で断絶した……なんて事に成れば、実務的にも面子的にも後々に禍根を残す事に成りかねない。
そう判断した帝は何とか成らぬ物かと神々に縋ったのだそうだ。
原因は安倍家に掛けられた『種絶の呪い』……代を重ねる毎にじわじわと、じわじわと種を殺し、長い年月を掛けて相手の子孫を断絶に追い込む、極めて陰湿な呪いだった。
その呪いが為されたのは『大江山の鬼』の頃だと言うのだから、気が長いと言うべきか、執念深いと言うべきか……。
兎角、それほどの長き年月を経た呪いを解除する様な事は、陰陽寮に居るどの術師にも、神々の神通力を代行する聖歌の使い手にも為し得ぬ事であった。
そして如何に世界樹を操作し森羅万象を操る神々でも、全てを問答無用に解決する事が出来ると言う訳でも無く……神々から下ったのは『数多の獣の血を引く、強き一族の血を二代重ねて入れよ』と言うお告げだけだったのだと言う。
基本的に鬼や妖怪の血を入れる事を好まない公家に該当する家は無く、必然的に対象は武家に絞られる事と成った。
そのお告げだけを考えるならば、猪河家以外にも幾つか候補は有ったらしいが、直接では無いにせよ帝と親戚関係に成って余計な真似をしそうに無く、武家公家双方にとって大きな害と成らなそうな相手……と判断されたのが家なのだそうだ。
上様の御代に置いては確かに幕府の重鎮だし、代替わりしたとしても御祖父様が御存命の内は、近隣諸藩だけで無く、火元国中にその影響力は有るだろう。
けれども……幾ら氣功の秘奥を極めたと言っても、寿命そのものが無くなった訳では無い、何時かはその命数が尽きる時は来る。
そうなれば多少経済力に余裕は有るにせよ、その石高は飽く迄も小藩の範疇に過ぎず、その気性は脳味噌まで筋肉で出来た脳筋族、帝との伝手が有ったとしても、影響力を削ぎ落として行くのは然程難しい事では無い、と言う事らしい。
脳筋族に突然変異的に産まれた賢者……ソレが世間一般での御祖父様の評価であり、ほぼ事実を言い当てて居る言葉でも有るのだ。
なにせ今現在の猪山藩の財力も権力も、御祖父様が誕生してから一気に延伸した物で、ソレ以前は石高相応から見れば少し裕福程度の家だったらしい。
そして賢神の加護を受けている信三郎兄上は安倍家に婿入りするし、同じく賢神の加護を受けている筈の智香子姉上は性格的に賢者と言う質じゃぁない。
つまり御祖父様が亡くなれば、再びタダの脳筋族に戻るだろう……と、言うのが大多数の見方な訳だ。
まぁ実際には、父上も仁一朗兄上も御祖父様と比べれば一段劣るにせよ、言う程愚かと言う訳じゃァ無いので、其処まで酷い事に成らないだろうが……。
兎角、そんな訳で安倍家に三十伯母上が輿入れしたのだが、それでもやはり長い事子は出来ず、御祖父様は一朗翁とその弟子に協力させて、夢幻鳥居宮の鶏を仕留めて差し入れたのだそうだ。
その結果なんとか宇沙美姫が産まれ、彼女が信三郎兄上と結ばれれば、お告げが成就し種絶の呪いは解けると思われる。
しかもその鍵たる兄上が、武の方でも下の方でも豪傑と呼ぶに相応しい功績を上げたと言うのだから、否が応でも期待が高まると言う物なのだろう。
更には信三郎兄上と四人の鬼娘との間に子が産まれれば、武勇に優れた安倍家の郎党と成る訳で、帝にとっても公家筆頭格である安倍家にとっても、決して悪い事には成らない……とそう噂されているのだそうだ。
「後は宇沙美との間に子が出来れば、万々歳じゃのぅ。儂がくたばり、四十郎が逝った後でも、陰陽頭との伝手が有らば早々酷い事には成らんじゃろ。仁一朗は知恵者気取りの馬鹿じゃからのぅ……」
あれ? 仁一朗兄上の評価……割と酷くないか?
掌の上に置いた火豆を啄むヒヨコをもふもふしながら、俺は猪山の将来が少し不安に成ったのだった。




