五百五十八 志七郎、宝を賜り母と呼ばれる事
勝負が終われば敵味方無し、と言う言葉が此方の世界に有るのかは知らないが、あの後二人はその場で協力して料理を仕立てる事に成ったらしい。
なんせ勝負の場として使われていた四条中町公邸の前庭は、此れから夜通しオカマ達が集まる酒宴の場に成ると言うのだ、其処に提供される酒肴は幾ら有っても困る事は無い。
と言うか、例年料理の出来るオ仲間さんが調理を担当するのだが、祭りの参加者側でも有る為、酒が入りグダグダの展開を迎えた結果、最後の方は色々ヤバい代物を肴に呑んでいる状態になるのだそうだ。
なお、オカマ祭りと銘打っては居る物の、この祭りの参加者オカマだけではなく、衆道家達の出会いの場でも有るらしく、このままこの場に居続けるのは、色々な意味で危険が危ない事に成るそうで、俺は御祖父様に屋敷の中へと連れて行かれて居たりする。
……朝まで志郎の尻が無事で有る事を少しだけ祈り、俺は俺の本来の目的を果たす為に頭を切り替える事にした。
事前に御祖父様から聞かされた話通りならば、今から行く場所にこの火元国を統べる帝が御座す筈だ。
相手は上様の更に上司に当たる人物で、礼を失する様な事が有れば幾ら石高に見合わず、幕府重鎮と言っても過言ではない権力を持つ猪山藩でも、不味い事に成るのは間違い無い。
故に昨夜は割と遅くまで御祖父様から謁見の礼儀作法を叩き込まれたのだが、その時の面白い物を見る様な目を鑑みるに……上様程では無いにせよ、帝本人は多分礼儀に煩い人では無いんじゃないだろうか?
そもそも官位を持たず、御所に上がる事の出来ない俺に会う為に、態々お忍びでの祭り見物なんて名目を付けて、此処まで御出になられている時点で、かなり気を使って下さっている事は間違いない。
まぁ、だからと言って無礼を働いて良いかと言えば、そう言う訳じゃぁ無いが……余り硬く成りすぎない程度に礼を払えば恐らくは大丈夫な筈だ。
と、そんな事を考えながら、渡り廊下を歩き、別棟の更に割と奥の方へと進んでいく。
「この部屋じゃ、上様に会う時の二割り増し位の積もりで対応するんじゃぞ」
言いながら開いた襖の向こうには、狩衣とはまた違う、衣冠と呼ばれる独特な衣装を身に纏った公家の方々が何人も座っている。
昨夜の作法教室での説明に拠れば、帝が御座すのは更に奥の部屋で、此処は次の間と呼ばれる控室の様な物だ。
真正面には三本の巨大な角を持つ朱色の鬼と、五人の鬼切り者が相対する勇ましい襖絵が描かれて居り、その出来の良さに思わず目を奪われた。
が、この場の主賓とでも言うべき立場の俺は、長々とその絵を眺めて突っ立っている訳にも行かず、その襖の真ん前まで歩み寄ると正座し平伏する。
「御呼び出しを受け、猪山藩猪河家四男、猪河志七郎罷り越して御座います」
斜め後ろに同じ様に座り平伏した御祖父様に促され、俺はそう口上を述べる。
すると次の間に居た公家の方々が、微かな衣擦れの音だけを響かせて、襖を左右に引き開いた。
「差し許す面を上げよ、と仰せである」
待つこと暫し、その言葉に従い顔を上げれば、部屋の奥に垂らされた御簾と呼ばれる簾の前に座った、武家で言う所の小姓に当たるらしい青年が目に入る。
「江戸に大穴が開けばこの天下泰平も終わり、再び火元国に死と不幸が撒き散らされただろう事は明々白々、ソレをその身を挺し防いだ其方の功績は決して軽く無し。故に其方に神々より褒美を賜って居る、と仰せである」
俺の座る所まで帝の声は届かず、丸で拡声器の様に御簾の向こうの言葉を、推定小姓の青年が口にする。
帝だけで無く皇族と言葉を交わす事が許されるのは、ある程度の官位を持った者だけなので、直接言葉を掛けられる事は無いし、俺の方も直答する事は出来ないのだ。
「また安倍家の姫は陛下の外孫に当たる故、その身を救った事に対して、一人の祖父とし感謝の念を送ると伴に、それに見合う褒美を陛下の私財より遣わす、と仰せである」
彼が言葉を切り目を伏せたのを確認してから、俺は再び畳に額づき
「恐悦至極に存じます」
とだけ返事を返した。
目を伏せるのを待ったのは、万が一にも帝の言葉を遮る様な無礼を働く事の無い様にする為の作法らしい。
「御簾を上げよ、と仰せで……は! 畏まりました」
俺が顔を上げるよりも早く再び小姓の青年が口を開いた……がソレは俺に対しての言葉では無かった様だ。
彼は帝の命に従い、立ち上がって御簾を持ち上げ……俺が顔を上げた時、帝は座したまま僅かにでは有るが、間違い無く此方に向かって頭を下げていた。
ざわり……と、控えの間に居た他の公家達に動揺が走る、火元国の頂点に位置する帝が、神々以外に頭を下げると言うのは、異例としか言い様の無い事なのだろう。
その状況を察した小姓は素早く御簾を戻し、先程までと同じ様に座り直し、咳払いを一つ。
「ほ、褒美の品に付いて説明させて頂く、先ずは火元国を守護せし神々から賜った品……その名を『聞き耳頭巾』と称される物で有る。此れは込められた神通力に依り、鳥獣その他、人の言葉を介さぬ者達の言を聞き取る事の出来る神宝也」
小姓の言葉に合わせ、控えの間に居た公家の一人が朱塗りの木箱を俺の前へと置き蓋を開ける。
中には、猫か何かの動物の耳を模したと思わしき物が付いた、紅色のバンダナらしき物が入っていた。
目線で促されソレを手に取り額とあてがう、すると有るべき所に収まるべく布が勝手に動きだしぴたりと頭を覆う。
似合っていると言いたいのか、頭巾を持って来た公家は笑みを浮かべ一つ頷くと、頭巾の入っていた箱を手に先程まで居た場所まで素早く戻っていった。
「陛下より遣わさるは、この京の都を守る四霊獣が内の一体、南方守護の朱雀が産み落とせし卵である。四霊獣は代々の帝が使役せし聖なる獣、無事育てる事が出来たならば、彼の家安公と同じ精霊魔法を扱う其方の何よりの力と成ろうぞ」
先程とは別の公家がやはりその言葉に合わせて、漆塗りと思わしき黒い木箱を置き、その蓋を開ける。
中から取り出されたのは紫色の袱紗に包まれた、金色に輝く大きな卵。
多分、前世の世界で猫魔達が此方の世界との連絡を付ける為の儀式に使った、ダチョウの卵より更に一回り以上大きく、楕円の長い方で一尺程は有るのではなかろうか?
光沢の有る金属的な輝きは生き物が産み落とした物には見えず、前世の世界で何処だったかの美術館で見たロシア皇帝が作らせたと言う、復活祭の卵の様に思える。
だが公家に促され手を触れて見れば、中からは生命の息吹とでも言うような温かい氣が間違い無く感じる事が出来た。
生きているのは間違い無い、だが此れをどうやって孵化させれば良いのだろうか? 真逆ずっと抱いて生活するとか?
そんな疑問が脳裏を過るが、ソレを口にするよりも早く状況が動いた。
触れた掌から丸で掃除機で吸い出される彼の様に、俺の氣が流れ出したのだ。
咄嗟に手を引く事も考えたが、卵が孵化の為に必要な氣を得ようとしているならば、このまま氣を送り込むのが正解なのだろう。
氣を漏らして周囲を威圧しないよう細心の注意を払いながら氣を高め、吸い出される力に抗わず掌に氣を集めていく。
そして次の変化は然程の時間を置かず訪れた、卵の中で脈動する鼓動が大きく成り、右へ左へと揺れ始めたのだ。
その唐突な動きにその場に居る者、皆息を呑む。
ピシリと微かな音が、やたら大きく響き渡った……その直後である。
「ピッピカピー!(かーちゃん腹減った!)」
そんな産声を上げながら、殻を突き破り、丸々と太ったヒヨコが爆誕したのだった。




