五十四 志七郎、英雄と対面し出陣す。
天下無双、現世最強、当代無二の武人、等々数多の二つ名を持つ音に聞こえた大英雄、鈴木一郎。
確かに事前に聞いていた様々な話の通り、その佇まいには一部の隙も無く、また着物の上からでもよく鍛えられたその身体には無駄な物一つ無いように見える。
身長こそ義二郎兄上に劣る物の、その立ち振舞は当に歴戦の武士のそれであり、彼に比べれば兄上が敵わないと言うのも納得できる物、だがその姿には落ちない点があった。
目の前の彼はどう高く見積もっても三十路前、下手をすれば二十歳そこそこの若者にしか見えないのだ。
彼は祖父がまだ藩主を務めていた時代からの家臣である、少なくとも父上と同年代かもしくはそれ以上の筈だ。
だが顔にはシワ1つ無く、つややかに輝くその肌は若者のそれである
「あれが……鈴木一郎?」
思いも寄らないその姿に俺は思わず、そう呟いた。
「ん? そうだ俺が鈴木一郎だ。お前が話しに聞く鬼斬童子か」
すると多くの者達に囲まれ歓迎の言葉を受けていた彼は、此方へと向き直りながらニヤリと笑いながらそう言った。
俺の声は決して大きい物ではなかった筈だ、少なくとも彼の到着を喜ぶ他の者達には聞こえた様子は無くその唐突な言葉に驚いている者すら居る。
「そうじゃ、あれが我が末子、志七郎じゃ。本来ならばアレを指南する為に其方を呼んだのじゃが……。状況が状況じゃ、屍繰り討伐、其方にも尽力してもらうぞ」
そんな彼の反応を予期していたのか、父上は何もないかの様に返答と共に参陣を命じる。
「それは構わんが、アレは連れて行かぬのか。見た所生き屍を斬れる程度の氣はあるだろう?」
彼は主君である父上に対しても改まった態度を取ること無く、そう軽い口調で問い返した。
「あれは今氣脈痛を起こしておってな、戦に連れていける状態では無いのじゃ。童子とは言え尋常な状態ならば十分戦力になるがしょうがあるまい。皆も一郎との再会を喜びたいのは解るが時間がない行軍の準備を続行せよ!」
その言葉に弾かれた様に動き出す家臣達だったが、一郎はそれを無視するかのように俺に歩み寄る。
「おいボウズ、お前ぇは行きてぇのか?」
「え?」
射抜かれる様な鋭い視線で見下ろしながらの、その言葉を俺は一瞬理解できなかった。
「お前は戦に行きたい、戦いたいんじゃねぇのか? と、聞いてんだ」
屍繰り、生き屍との戦いでは術も氣も使えない今の俺では足手まといになる、そう言われたばかりだ。
「戦いたい訳じゃない、俺は守りたいんです。自分の身も守ることが出来ない者が人を護る事等出来ない。ならば行くべきじゃない」
「はっ! ガキが賢しい口を叩きやがる。なら、てめぇで戦える状態なら戦いに行くんだな」
口では俺の言葉を笑い飛ばしながら目は笑っていない。
「無論、俺は守るために剣を握るのだから」
視線を逸らさずただ静かにそう答える。
「よぉーし、ソレでこそ雄藩猪山の男よ。形は小せえが兵の面構えをしてやがる!」
それまでの厳しい表情は一転、彼は破顔し俺の頭に手を伸ばした。
撫で回されるのかと思ったのだが、その手が頭に触れた瞬間。
「あ、ぎぃ……がぁぁぁぁ!」
バチッと感電するような音と共に全身を激痛が駆け抜け、思わず声を上げる。
尋常では無い俺の様子に、それまで行軍準備に忙しく動きまわっていた者達は手を止め此方を見た。
「お、おい一郎! 其方、志七郎に何をした!」
その中には当然父上も居り、父上が詰め寄っているのが見える。
「何って氣脈痛を治してやっただけだが?」
「「「え?」」」
氣脈痛の原因、以前聞いた氣の使い過ぎで気脈が傷んだ為と言うのは俗説で、氣が尽きた後霊薬などで強引に氣を回復したりすると、氣脈の中に残る微細な古い氣が気泡の様に残り、それが新しい氣と馴染ま無いために痛みを発するのだそうだ。
そしてそれを治すには、時間を掛けて古い氣が抜けるのを待つか、大量の氣を流し強引に押し出せば良いのだと言う。
他人の身体に氣を流し込むと言うのは通常攻撃の方法であり、相手の氣と馴染む様に氣を流す等ということは常人に出来る事では無く、達人それも極々一部の高みに居る者故の荒業らしい。
その言葉に嘘は無かった様で痛みは直ぐに消えていた。
「ほれ、もう痛みは無かろ? 氣を練ってみぃ」
言われ、目を閉じ呼吸を氣を練る為の物に変える。
胸の奥に閉じ込められていた熱が、心臓の鼓動、そして己の呼吸に合わせて全身に広がっていく……。
「出来た! 痛くない! これなら戦えます! 父上!」
全身に満ち溢れる力、その強さを感じ俺はそう叫んだ。
「行くならば、早う支度をせよ。そなたの武具はそこの武具蔵に置いてある」
「はい!」
指し示された場所へと俺は文字通り飛ぶ勢いで駈け出した。
鎧も刀もしっかりと誰かが手入れをしてくれていた様で、汚れ一つ無く。
その黒光りする艶やかな輝きは、初めて目にした時と一分の差も無いように見えた。
前に身に纏った時にはずしりと重かったこの甲冑も、氣の扱いを覚えた今では殆ど重さを感じない。
鎧具足を身に纏い、兜の緒を絞め、刀を佩く。
俺の鎧刀と共に置かれた小さな木箱を開ければ、中には印籠が収められていた。
一応その中を確かめると、子供たちに与え使ったはずの霊薬がしっかりと補充されている。
だれがしてくれたのかは解らない、だがきっとこれには俺が無事に帰ってこれる様、とそんな思いが篭っているのだろう。
これを腰に下げれば、準備は完了だ。
蔵を出ると、俺が最後だったらしく、準備を終えた皆が門の前に集合していた。
急ぎ父上の元へと走った。
総勢六十余名、我が藩の江戸にいるほぼ全ての人員が武装し居並んでいる。
居残りは母上と家老笹葉の妻、女中とおミヤの猫又四名の計六人だ、屋敷に何か有った場合に困るのではないかとも思ったが、猫又と言うのは妖怪としては強い部類に入るとの事でちょっとやそっとの相手ではこそ泥することすら難しいのだそうだ。
母上も笹葉の妻も、武家の妻として恥ずかしくない程度には武芸も出来るらしく、後顧の憂いは無いとの事だった。
どうやら移動は馬で行う様で、皆が皆馬に跨がり徒歩の者は一人も居ない。
「ボウズ、おめぇは俺とだ。ほれさっさと来い」
一人下馬したまま待っていた鈴木一郎がそう言って俺を呼び寄せる。
鎧兜を身に纏う者が多い中、彼は先程まで同様旅装束姿である。
もっとも必ずしも皆が鎧兜と言う訳ではなく、義二郎兄上はこの間と同様の歌舞伎者スタイルだし、信三郎兄上も陰陽師や公家が着るような服装――狩衣というらしい――だ。
智香子姉上に至ってはデニムパンツに皮の胸当て、と言う場違いにも程がある姿だ。
その他の家臣も必ずしも物々しい鎧という訳では無い様だ。
また一人で馬に乗らず相乗りしているのは俺だけではない、信三郎兄上は父上と、智香子姉上は礼子姉上とそれぞれ同乗している。
あと目について奇異に見えるのは、両肩、兜飾りにと複数の鳥が止まっている仁一郎兄上だろう。
肩に止まっているのは鷹だろうか? その手に持った槍にも鳩の様な鳥が止まっている、他にも彼の乗る馬の周りには猟犬と思われる犬達が行儀よく座っていた、あの動物達も戦に連れて行くのだろうか?
抱き上げられ、馬に乗せられるとなれた様子で俺の後ろに一郎が乗った。
「皆、揃ったな。信三郎はこれが初陣、なれど屍繰りが相手となれば此奴がこの戦の要となる。万が一の時にはわしよりも此奴を守ることを優先せよ」
「「「おう!」」」
静かに、だが力強い声でそう命じると、皆が揃った声で応じた。
それに対し父上は満足気に一つ頷き、大きく息を吸い込み、
「いざ! 皆の者、出陣である! 太鼓を鳴らせ! 法螺を吹け!」
高らかに陣太鼓、そして法螺貝の音が響き渡った。
それに応えるように少し遅れて、我が屋敷だけでなく他の場所からもそれらが鳴り響くのを背に、俺達は出発した。




