五百五十五 志七郎、喧騒を見やり騒動を収める事
初夏の空に響き渡るは鐘鼓の拍子に笛に琴、三味線や胡弓等など、聞いただけでは数え切れない程様々な楽器の数々……。
その全てが渾然一体と成りながらも、耳障りな不協和音を奏でないのは、其れ等を操る演奏者達の並外れた技量の証左と言えるだろう。
何よりも驚くべきは、それ程の技量を持つ者の大半が専業の音楽家では無く、火元国中から集まった武士や、この地に住む公家、果ては態々西方大陸から遠征して来た貴族……と、貴人の嗜みとして幼い頃から楽器に親しんで来た者達だと言う事だろう。
しかも割合としては少ない筈の町人階級の者達も含め、その全て誰一人として例外無く皆オカマなのだと言う事実は、彼等が貴人故に倒錯した存在では無いと言う事を表しているのかも知れない。
にしても、俺がぱっと見た限りでは有るが……これ本当にオカマ祭りなのか?
前世に付き合いでオカマバーの類に飲みに行った事は有るが、所謂美人さんもそれなりに居たが、印象深かったのはやっぱり怪物としか表現出来ない様な者達だった。
しかし今、目の前の大通りを練り歩く者達は、生物学的に見て雄だと言うのは少々信じるのが難しい者ばかりに見える。
「あ~ら、鬼斬童子殿じゃぁ無いの。先日ぶりねぇ、今日はお祭り見物かしら? でも気を付けなきゃ駄目よ、貴方みたいな可愛い子なら、ノンケでも構わず食べちゃう様なのも居るからね~ぇ」
と、思ったら、うん正統派と言うか、ぱっと見てオカマらしいオカマの蒲田殿が、オカマ行列の中から此方を見つけ、そんな言葉を投げかけてきた、尻の穴がヒュンッてするからそ~言う事言うの辞めてくれませんかね……。
このオカマ祭りと言う催しは、主催者である四条中町公の御屋敷から引き出された山鉾と呼ばれる一種の山車を、火元国中から集ったオカマ達が引き回しながら練り歩く、と言う物である。
近年は京の都周辺の戦場で狩りをする外つ国の冒険者も増えた為、態々この祭りを狙ってやって来る外国人のオカマも居るらしい。
また綺羅びやかに着飾った者達や、四年に一度しか公開されないこの山鉾を見る為に、多くの者が集まるらしく、此方の世界に生まれ変わってから、此れに比する賑わいは三歳に成ったばかりの頃に経験した初祝の儀以来の物だった。
いや江戸周辺でも祭りの類は有るのだが、大半は町人達の為の物であり、武士が主役を張ると言う事は無く、其処に子供とは言え武家の子がしゃしゃり出るのは宜しくないそうなので、祭り見物自体が初めてと言える訳だ。
……と言うか、思い返して見れば、学生時代に地元の祭りで出店を冷やかして歩いた事は有っても、こうした催しを見物した事は無い気がする。
任官してからは、祭りと言えば休日返上で雑踏警備に当たらねば成らない面倒臭い物……と言う感覚しか無かったからなぁ。
「ご心配有難うございます、もう少ししたら御祖父様と合流する予定なので多分大丈夫でしょう……。あ、そうそう蒲田殿、今回の祭りにはウチが支援した柳川鍋を出す見世が有るので、良かったら食べてみて下さい」
兎角それだけ多くの参加者が居るのだから、ソレを見込んだ出見世が多数出ている訳で、宣伝の一つもしてやらねば厳しいだろう。
「あら、柳川なんて暫く食べてないわねぇ。殿のお供で江戸に上がった時には吉原へ繰り出す前によく食べたわ。ウチの殿が好きなのよねぇ助平だし」
ああ、やっぱりそう言う位置づけの料理と言う認識が一般的なのね。
「江戸の夏は千田院と違って蒸し暑いし、若い子は良く夏バテ起こすから、そう言う子にも柳川は良く食べさせたもんよ。どぜうは鰻よりも安いしね」
夏バテ防止に鰻……と言うのは割と眉唾物で、確か前世の世界では江戸時代の発明家が広めたマーケティング戦術の類だと聞いた覚えがある。
対してどぜうや牛蒡が精の付く食材だと言うのは、古くから言われている言い伝えらしいので、経験則としてそう言う事実が有るのだろう。
……此方の世界でも夏の暑く成りかけの頃に鰻を食べる習慣は有るらしいが、ソレはやはり家安公が持ち込んだ文化なのだろうか?
「千田院では鰻やどぜうは食べないんですか? 江戸より涼しいとは言え、夏バテを起こす者が居ない訳じゃぁ無いでしょう?」
「鰻屋は有るし其処ではどぜうも商ってるけれど、あんまり流行って無いわねぇ。千田院だと、精を付けるなら焼き肉かずんだを食べる事の方が多いからね」
ああ、千田院は肉処だっけか、足が早くて輸出に向かない放る物はかなり安く食えた覚えがある。
ずんだ餅が精の付く食べ物に分類されると言う話は、残念ながら聞いた覚えが無いが、恐らく地元では有名な話なのだろう。
と、そんな話をしながら蒲田殿と志郎の屋台へと足を向けたその時だった。
「手前ぇあの時の東夷やないか!」
「碌な物食うた事も無い東夷如きが天下の都で見世を出しとるたぁどう言う了見や!」
「せやせや! おんどれぇ! 誰に許可とって此処に見世出しとんじゃ!」
「まぁ、お前等……そないにがなり立てんでもええやろ。兄貴の料理を不味いなんて抜かす様な馬鹿舌が作っとる物なんぞ、美味い訳あらへんのやからなぁ」
志郎の屋台に群がる与太者達が、回りに通り掛かる見物客を睨め回しながら、口々にそう騒ぎ立てていたのだ。
ちらりと聞こえただけのその内容だけで、絡んで居るのが数日前に志郎を袋叩きにしていた連中だと言う事は容易に想像が付いた。
それにしてもあの連中、御祖母様が割り行って助けた時は完全にビビり倒してた癖に、よくもまぁ懲りもせずに絡んで行くよなぁ。
ぱっと見る限り、どいつもこいつも三下としか言い様の無いちんぴら達なのだが、回りの見物客達は面倒事を嫌ってか、そそくさと別の見世へと行ってしまう。
んー、此処はやっぱり俺が口出しする必要が有るよなぁ……。
「てやんでぃ! 許可ってーなら、猪山の御隠居様を通して四条中町公にゃぁきっちり話が通ってらぁ! それに美味い不味いをどうこう言うなら先ずは食ってからにしやがれ! 少なくとも手前ぇ等の兄貴とやら寄りは美味い物出してんだよ!」
ああ! もう、なんで俺が口を挟むよりも早く喧嘩を買ってるんだよ! 強くも無いのに粋がってんじゃねぇよ!
当然、その言葉に反発したちんぴら達は、触即発としか言い様の無い雰囲気を纏う。
「双方其処まで! 四条公の祭りで余計な揉め事は、公の顔に泥を塗る事になるわよ!」
……うん、また一歩出遅れた。どうしてこう、俺は突発的な反応が遅いんだろう?
「ンジャこら!」
「カマ野郎が口を挟んどんちゃうぞ!」
「せやせや! おんどれぇ! 誰に向かって口聞いとんじゃ!」
「ど阿呆! この祭りでそりゃ禁句!」
見回す限り、数えるのも馬鹿らしい程のオカマが居るこの祭りで、彼女達を軽んずる発言は世論を敵に回す悪手なのは間違いない。
実際、ちんぴらの一人がカマ野郎と口にした瞬間、通りを練り歩く行列の一部が足を止めたのだ。
乱闘なり袋叩きなりの荒事が起きれば、ソレはソレで祭りの運行に支障が出ただろう。
そうなれば蒲田殿の言う通り、祭りの主催者である四条中町公の面子を潰す事に成る。
しかし愚かなちんぴらの発言は、彼女の気遣いを丸っと押し潰し、練り歩いていたオカマ達の足を止めさせた。
これでは結局、折角の祭りに水を差した、と言われても仕方が無い状況だ。
……前者ならば喧嘩両成敗と、志郎も当事者扱いを受けただろうが、この場合はあの連中だけに責任を押し付ける事が出来そうなのが幸いか?
いや、何方にせよ、揉め事を起こした者として、志郎の出見世も、その後援をした猪山藩も、名を落とす事に成るやも知れない。
「料理が揉め事の原因ならば、料理で決着を付ければ良いだろう! 幸いこの祭りには火元国中から人が集まっている、地元だけを贔屓にするのではなく、公平に近い味比べが出来るだろう。勝負事は祭りの余興にも良いはずだ!」
俺は咄嗟にそう叫んだ、ソレが正解だったかどうかは解らない、けれども放置して荒事に成るよりはまだマシな結果に成るだろう、そう考えて。
「面白い! その勝負、麻呂が取り仕切るでおじゃる! 四条中町公には麻呂から話を通してやるでおじゃる。料理に置いて美味いは正義じゃ、何方が正しいか等どうでも良い。美味い物を出して居る方が正義なのでおじゃる!」
するとそんな声が響き渡り、大通りを行くオカマの行列が割れ……見覚えの有る公家――大川を遡る船の上で出会った嘉多様――が姿を現したのだった。




