五百五十四 志七郎、砲撃を受け最強生物に恐れなす事
四方八方から耳が痛く成るような咆哮を轟かせ、俺を目掛けて飛んで来る砲弾の如き攻撃。
ソレを刀で、大袖で、兜で捌き、懐に抱いた目的の物を守り走り続ける。
と、嫌な予感を感じ、脚へと氣を集め無理矢理速度を落とすと、目の前に白い砲弾が着弾し地面を大きく抉った。
危なかった……今のが直撃していたら、折角手に入れた物だけで無く、俺自身も無事では無かっただろう。
背筋を伝う冷たい汗の感覚に身を震わせながら、再び速度を上げ全力で走り出す。
無数に飛び交うソレは常に俺を目掛けて来る以上、足を止めれば被弾は免れない。
兎に角、減速加速を繰り返し、右へ左へ舵を切り、的を絞らせない事……遮蔽物の無い状態で銃撃を受けた場合の対処方は前世に学習済みだ。
とは言え、こんな途切れ無く無数の砲撃を受け続ける様な経験は前世にも無い。
軍人ならば兎角も警察官が銃では無く砲で撃たれるなんて事はそうそう有る事では無いだろう。
「ほーら、どうしたどうした! さっさと逃げねば、怪我では済まぬぞ! ほーれ、ほれ、ちゃっちゃか走れい、ちゃっちゃか!」
そんな言葉で俺に発破を掛けてきたのは、同じく獲物を抱えて走る御祖父様。
当然ながら白い砲弾は彼も狙い飛んで来ているのだが、その動きは俺と違って余裕すら感じられる物だった。
俺が自身に当たるだろう砲弾の気配を感じてから、無理矢理回避しているのに対して、御祖父様は何時何処にソレが飛んで来るのかを読み切って避けているのだ、そりゃぁ対処に余裕の差が有るのは当たり前と言えるだろう。
「ほれ気を抜くで無いぞ、氣を入れて走れ。あの鳥居を越えりゃ奴等は付いて来れん。彼処まで逃げ切りゃ勝ちじゃぞ!」
出口が近づいた所為か、激しさを増す砲弾の嵐に俺の方は御祖父様の声に答える余裕は無い。
それでも一歩でも前に、少しでも早く鳥居を目指す。
「「「コッコッコッコ! コケッコー!」」」
奪われた卵を取り戻せ、と言わんばかりにその身を砲弾と化し飛び込んでくる鶏の群れ。
御祖父様曰く、京の都周辺に有る七つの戦場に現れる妖怪達の中で、最強の一角とされているのがこの『鶏』達らしい。
『夢幻鳥居宮』と呼ばれるこの戦場に生息する鶏系統の妖怪達は総じて異様なまでの耐久力を誇り、普通に戦って倒す事は先ず不可能なのだと言う。
幸い積極的に人を襲う類の存在では無い為、危険度その物は然程高いとは言えないのだが、何らかの理由で敵視されるとその縄張りから逃げ切るまで徒党を組んで執拗に追いかけてくるのだ。
その際、何処からともなく援軍が駆けつけて来る上に、鶏の癖に普通に飛ぶ様に成るので、今俺達が晒されている様な『鶏が七分に空が三分』なんて状況に成るのである。
そこまで敵視を集める状態に成るのには幾つかの条件が有る、一つは無抵抗な鶏を虐める事、一つは食事の邪魔をする事、そして俺達がやらかした最後の一つは卵を盗る瞬間を目撃される事だ。
三歩歩けば考えてる事を忘れる鳥頭……と言われる鶏達、その性質は妖怪で有っても変わらず、決定的な瞬間さえ目撃されねば、彼等は其処に自身の卵が有った事すら忘れてくれるのだが、卵を他人が手にとっているのを見れば流石にそうは行かない。
一匹が高らかに鳴き声を上げたかと思えば、ソレに同調し他の鶏達もが声を上げ、大合唱に成ったかと思えば、あっという間に修羅場が巻き起こった。
御祖父様や一朗翁ですらきっちり対策を講じても、一匹仕留めるだけで息も絶え絶えに成るという化け物が、数えるのも馬鹿らしく成るほどに集まり襲ってくるのだから、打てるのは逃げの一手しか無かった訳だ。
そうして俺は本塁へと頭から飛び込む様な動きで、御祖父様が指し示した鳥居へと滑り込む。
普通に考えれば、次の動きが制限されるその行動は悪手だろう、だが、この時この場所に限ってはコレが正解なのだ。
鳥居をくぐった瞬間、凶悪な殺気を放ち、殺意の籠もった突撃を繰り返して居た鶏達は、蜘蛛の子を散らす様に、さっと引けていった。
本当どういう理屈に依る物なのかは知らないが、此処の鶏達は鳥居で区切られた領域から脱出すれば、ソレ以上は絶対に追って来る事は無いのだと言う。
「ちなみに御祖父様……彼奴等食った事は有りますか? 俺の少ない経験からすると食える化け物は、大概その強さと味が比例する物だと思うんですが……」
割と全力で走りきった事で、乱れる息を整えながら、脳裏を過ぎった疑問を口にする。
御祖父様や一朗翁ですら苦労する程、凶暴では無いにせよ凶悪と言える強さを持つ化け物なのだ、その味に興味が湧くのは、火元人としての性だろう。
「おう、そりゃめちゃくちゃ美味いぞ。むかーし一度だけ彼奴等で作った水炊き食った事が有るが、ありゃぁ絶品なんて言葉じゃぁ収まらん美味じゃった。んでも、味だけじゃぁ、労力に合うかどうかっつったら……まぁ割にゃぁ合わねぇわな」
そんな言葉から始まったのは御祖父様の若い頃の思い出話だった。
子宝には恵まれた物の、生まれてきたのは女児ばかり……そろそろ年齢的に跡継ぎは婿養子を迎え入れるか、妾を追加するか……そんな検討しなければ成らないと言う状況だったと言う。
そんな折に聞き及んだのが、此処の鶏を食えば精力が付き男児に恵まれるという言い伝えだったそうだ。
当初は与太話の類……と考えていたのだが、よくよく調べてみれば皇家に男児が生まれぬ時には、多くの犠牲を出してでも献上されてきた歴史が有るらしく、根拠なき伝説と切り捨てるべきでは無いと判断したらしい。
で、御祖父様に一朗翁、更には今は亡き曾御祖父様の三人で、策を巡らせ一羽を孤立させた上で、丸一日袋叩きにする事でようやっと仕留めるに至ったのだと言う。
その頃はまだ、御祖父様も一朗翁も今の様に世界でも類を見ない最強格の一人……と数えられる程では無かったにせよ、武勇に優れし猪山の武人が三人掛かりで一羽を狩るのに丸一日と言うのでは、確かに割には合わないだろう。
ちなみにその水炊きを食って励んだ結果、無事父上が産まれたそうなので、その効果自体はバッチリ事実だったと言える物らしい。
「まぁ何方にせよ、童貞にゃぁまだ早い物じゃて。有りゃぁ鰻やどぜう、牛蒡に鼈、山芋に牡蠣……その辺りの精が付くと言われとる物を纏めて食った時よりビンビンに来たからのー。龍尾諸島に居る赤蝮三太夫を漬け込んだ酒も試したがアレより上だったの」
それ程の効果が見込めるのであれば、猪山の身内であり高位の公家である安倍家でも、彼奴等を狩ろうと言う動きは無かったのだろうか?
「とは言え、男児が必ず出来る……と言う効果は流石に眉唾物じゃったようじゃがの。祝言の後、永らく子の出来なんだ広陰殿にも食わせてやる為二度目の狩りをしたが、ソレで出来たのが宇沙美だけじゃからのぅ」
ああ、うん、そうだよな、食い物一つで確実な産み分けなんて出来ないよな。
恐らくは前世の世界で流通していたどんな精力剤よりも強力な効果で、下手な鉄砲数撃ちゃ中る状態にしているだけなのだろう。
ただ不安なのはそんな強力な効果の有る生き物の卵を、料理に使ったりしても良い物か? と言う事だ。
先程の御祖父様の言葉だと、どぜうも牛蒡も精が付く食べ物とされているらしいし、オカマ祭りで所構わず魔羅ビンビンなんて事に成れば、ソレは地獄絵図としか言いようが無い惨状に成るのでは無かろうか?
「さて、そろそろ息は整ったの、次の場所で次の卵を掻っ払いに行くぞい。足りなく成る位なら余る方がマシじゃからの、根こそぎ行くぞ。根こそぎ腐乱犬じゃ、立直一発自摸龍三じゃ!」
脳裏に過ぎったそんな疑問を投げかけるよりも早く、御祖父様は別の鳥居へと駆け出し、俺は慌ててソレを追いかけるのだった。




