五百五十一 志郎、名物を食らい名物を決意する事
がぶりと齧りつくとふわふわもちもちの皮の向こうから、熱々の肉汁がじゅわっと溢れ出す。
この手の物は前世から通して、萬屋で売ってる奴位しか食った事が無いが、ソレと比べるのは……うん、失礼だ。
「肉の味が濃い、脂と玉葱の甘みも凄い……餡には多分、醤油に胡麻油、砂糖……出汁は何から取ってんだ……いや、ソレがこの見世の秘伝なんだろうな」
横で同じ物を食いながら、ボソボソとそんな事を呟いているのは、例のあの男だ。
彼は名を志郎と言うそうで、俺の名である志七郎とは偶然にも漢字表記で一文字違いである。
江戸でも一二を争う料亭の跡継ぎだったと言う経歴に嘘は無かった様で、あれからの三日間、毎日昼まで食べ歩いては夜にはソレを極めて近い所まで再現する……と言う様な事を繰り返していた。
多分、家の両親や睦姉上の様な舌の肥えた者が食べ比べれば、その素材や手順の差を見抜く事も出来るのだろうが、残念ながら俺には何方もが『美味い』としか言い表す事が出来ない程度の差しか感じ取る事が出来なかった。
「態々河中島から遠征して来てるだけ有るわ。うん、こりゃぁ無理だな。多分外つ国の素材が使われるんだろうな。出汁の根っこに覚えが無ぇ」
肩を竦めつつ両の手を上げるその動作は、見たまんまお手上げと言う事だろう。
「此れ自体外つ国の料理だろ? なら、その料理発祥の国で産出する素材が使われてるのは当然だろうさ」
言いながら手の中に残った白い塊を口の中へと放り込む。
「んでも、同じ様な皮を拵えて、中身の肉餡を餡こにしたり、乾酪と赤茄子辺りを入れても美味いんじゃぁねぇかな? うん、コレは色々応用が利きそうな料理だな」
んー、前者も後者も前世に食った覚えが有る定番中の定番だよな。
とは言え、どうやら彼はコレを初めて食べたみたいだし、其処から即座に定番人気と言える程の応用に辿り着くんだから、この男の料理人としての能力は益々疑い様の無い物といえるだろう。
伽哩を入れた物も前世には定番だったが、此方では香辛料が同じ重量の金と等価と言われる程の高級品で、ソレを山程使う伽哩を商う見世は見た事が無い。
睦姉上が何処かの家に招かれて食べた事が有るらしいが、ソレも貿易湊を持つ大名家だと言う話だった。
「たぁ言え、コレを模倣した所で本家が出張ってる以上は、話題を攫うってまでには行かねぇわなぁ……。んー試作の時間も考えりゃぁ、そろそろ献立を確定させねぇと間に合わねぇぞ……」
とは言え、一寸考え方がズレてるんじゃ無いか? 京の街での食べ歩きは、この辺の人達の味覚を探る為で有って、安易な模倣品を作る為じゃぁ無い筈だ。
『全ての芸は模倣から始まる』と言う言葉が有る通り、料理も武芸も先ずは師や同業者の技を模倣する所から始まるが、その先へと発展させて行く努力こそが創意工夫と言う物である。
其処を履き違えてしまえば、日銭を稼ぐ十把一絡げの見世止まりで終わってしまうだろう。
御祖父様の策が成る為には、ソレでは駄目だ。
少なくとも祭りに見世を出す者達の中で頭角を現すだけの物を見せなければ成らないのだから。
「御祖父様が態々銭を出して食べ歩きをさせたのは、安易な模倣に走る為じゃぁ無く、今まで積み重ねてきた業を此方の人の味覚に合わせる為の微調整の為だぞ? 作るべきはお前さんの一番得意な料理じゃないのか?」
眉間に皺を寄せて悩んでいる様子を見せていた志郎だったが、俺の言葉に思い至った事の有る表情を見せ掌を打った。
「そー言われりゃそうだわな。うん、味を盗む事に躍起になっちまってたが、ソレじゃぁ京の都で天辺取るなんざぁ無理だわな。にしても、一番得意って言われてもなぁ……向こうじゃぁ親父の指定した献立通りに作ってただけだからなぁ」
……料理の世界の事は詳しくは知らないが、彼は未だ模倣の段階に居り、その先に有るべき創意工夫を繰り返す段階には至って居なかったのだろうか?
御祖父様の人を見る目を疑う訳では無いが……頭を擡げ始めた不安を、俺は無理矢理噛み殺し次の見世へと足を向けるのだった。
「此処数日食べ歩いて解ったのは、此処京の都では素材の味を活かした料理が尊ばれ、江戸で喜ばれる様な味の濃い物は外つ国の冒険者向けの料理が大半だって事だ。まぁコイツは例外っぽいがな」
鰻の蒲焼きの上に出汁巻き卵を載せた『きんし丼』と呼ばれる物を模倣した物を食べながら、志郎はそんな言葉を口にした。
蒲焼きに使われている汁は、江戸方面でもよく見られる醤油に酒や味醂、砂糖を加えて煮詰めた物だ。
「でも料理全体で見れば、やはり江戸で好まれる味付けとは全然違う、出汁こそを重んじる薄味……いや、旨味味とでも言うべき物っぽいね」
恐らくは江戸由来の鰻丼に、さっぱりとした味わいの出汁巻き卵を乗せる事で、濃い味付けを余り好まぬ京の都の人達にも受け入れられる味へと昇華させた料理なのだろう
鰻のタレと言えば、代々継ぎ足し使う事で味を深めていく物だと、聞いた覚えが有るのだが、ソレを然程の時間も掛けず模倣してしまう辺り、この男の腕前は御祖父様の見立て通り非凡と言って間違いなさそうである。
「後は、魚介類もあんまり好まれて無いのかね? いや、このド内陸とでも言うべき場所柄、新鮮な魚介類が手に入らねぇのか。まぁ陰陽術なり忍術なりの使い手は多く居るんだ、高い銭叩きゃぁ絶対無理って事も無ぇんだろうけどよ」
確か江戸に宇沙美姫が来た時に『鮎鮨』なら食べた事が有ると言っていたし、鰻も割と手頃な値段で提供されていた事を考えると、川魚ならば然程高値では無いのだろう。
だが、ソレはこの地の者達にとっては食べ慣れた食材であり、火元国の都として数多の腕の立つ料理人達が、長い年月を掛けて創意工夫を重ね続けて来た食材だと言う事でも有る。
幾ら志郎が、一度食べただけの料理を極めて高水準で模倣するだけの腕前を持つとしても、無数の先達が積み重ねた物をたった数日で超えていけよう筈が無い。
料理は武芸の一つと数えられるのは、戦場でソレが必要に成る事が有ると言うだけで無く、積み重ねて来た物が担い手を裏切らぬ物だからだ。
武の世界では奇策や秘策の類を以てして、そうした積み重ねを覆す事が出来る事も時には有るが、ソレに頼る様に成れば其処から先の成長性が失われてしまう。
此処一番の勝負に勝つ為に勝負手を用意する事は、間違いでは無いのだろうが、彼は居付いてしまっている様に見える。
事、武の世界に置いて『居付き』――即ち一つの事に拘りそれに因われ動けなってしまう事――は何よりも避けるべき事とされている、相手は常に自分が思った通りには動いてはくれないのだ。
居付いてしまえば思惑から外れた瞬間に敗北が確定する事に為る、衝動や本能に従い戦う者では無く、理詰めで詰将棋の様に戦う理性型の者ほど陥り易い落とし穴である。
ソレは理性型だと言われている俺自身が、猪山藩の武芸指南役である鈴木に、日々の稽古の中で散々注意されてきた事だ。
……その事を指摘しようと俺が口を開こうとしたその時だ。
「うっし! どぜうだ!どぜう鍋は此方でも食えるみたいだが……柳川だ! どぜうは庶民の味方! 江戸の名物! 柳川鍋なら勝負が出来る筈だ! アレなら向こうで散々食ったし作ったし、後は此方の者の口に合う様調整するだけだ!」
志郎は、己の中での結論を下したらしく、確信と自信が籠もった声を張り上げ、拳を高々と掲げてそう吠えたのだった。
……柳川鍋、俺食った事無いんだよなぁ。




