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大江戸? 転生録 ~ファンタジー世界に生まれ変わったと思ったら、大名の子供!? え? 話が違わない? と思ったらやっぱりファンタジーだったで御座候~  作者: 鳳飛鳥
京の都と土産物 の巻

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五百五十『無題』

 吸い物を一口啜り、舌の上で転がしながら、鼻から息を抜くと、思わずほぅっとため息が出た。


 砂糖、味噌、醤油……と兎角濃い味付けが好まれるこの江戸に有って、何の濁りも無い出汁だけの吸い物を堂々と出すこの度胸の良さは、流石は上様すらもが唸った見世だけは有る。


 次は肉味噌の掛かった風呂吹き大根へと箸を伸ばす、此れも味噌の主張が強すぎず、肉や大根の旨味を出汁がよく引き立てていた。


 付け合せに添えられている玉菜キャベツと鰊の漬物は、北の竜頭島でよく作られていると言う物で、家でも長女が以前漬けていたのを食った覚えが有る。


 此処の亭主は頑固で意固地な男なのは有名な話、素材は兎も角、他所で買った漬物をそのまま出す様な不精はしないだろう。


 と、なればこの鰊漬けはこの見世で漬けた物の筈だ。


 恐らくは何種類もの漬物を態々漬け込み、その漬かり具合や献立に合わせて最適の物を選んで出しているのだろう。


 一つひとつの料理に、驚く程高価な食材は使われている様には見えない。


 そう言う点で言えば、清望(きよみ)藩の下屋敷の方が余程珍奇な素材を揃えている筈だ。


 料理人の腕だって、石井家の次男銀次郎は火元国中でも一二を争う腕前なのは間違いない。


 にも関わらず、この見世が江戸一の料亭と認められているのは、飛び抜けた一人の天才がその屋台骨を支えるのではなく、所属する全ての料理人が一級品で、その彼等が兎角丁寧な仕事を施した料理が出されると言う事に有るのだろう。


 そして『江戸料理』に拘らず美味い物ならば、火元国中何処からでもソレを取り入れると言う柔軟な姿勢もまた、火元国中から武士が集まる場所である江戸の富裕層に受け入れられる理由の一つだと言うのも容易に想像が出来た。


 石銀は『其処でしか食えぬ逸品』を出す見世だとすれば、此処魯山亭は『江戸に居ながら火元国中の美食を楽しめる』見世と言えるだろう。


「お待たせ致しました、本日の主菜は鶫の治部煮で御座います」


 治部煮と言うのは確か風間藩辺りの郷土料理だっただろうか? 国許で一朗の嫁のお栗殿が拵えた物を食ろうた事が有る故、多分間違っては居ない筈だ。


「ふにゃぁ……此れも出汁がすげーにゃ。醤油に酒に味醂……あと砂糖も結構入ってるっぽいのに出汁が全然負けてにゃぁ。鶫のつくねは骨も丸ごと叩いて丸めてるにゃ? 食感が面白いのにゃ。うん、手間掛かってるにゃ」


 此処の料理は睦には良い刺激に成るだろうと連れてきたが……儂にはただ美味いとしか解らんこの複雑な味わいも、彼女の舌ならば見えぬ素材や作り上げる為の工程まで捉える事が出来て居るらしい。


「有触れた素材でも十分に吟味し、その中でも一等の品を揃え、耳掻き一匙分にも満たぬ塩梅を突き詰める、然すれば至る事の出来る程度の品で御座います。まぁその味を見切る舌を持って居ればですが、食神の加護を受けし姫君ならば届かぬ事はありますまい」


 睦の言葉を受け、黙って儂等の食事を見守っていた亭主の厳海(げんかい)が口を開いた。


 特別な食材では無く、特別な才能でも無く、只々当たり前の技巧の先に有る物だと、料理道の先達として己の後ろを歩む料理人()に向けて言葉を紡ぐ。


「良い勉強をさせて頂きました。未だ今のにゃーにはこの味は出せないにゃ。でも何時か辿り着き、超えて行くであろう境地の一つとして、胸と舌に刻み込みましたにゃ」


 猫又の血が色濃く出ている割に生真面目で、特に料理に関しては妥協する事を知らぬ末の娘は、厳海の言葉に一旦箸を置き姿勢を正してそう言葉を返す。


 その言葉を聞き満足そうに頷く厳海は、その身分こそ町人階級に過ぎないが、料理と言う一つの芸を極めた貫禄とでも言うべき物を十分に感じさせた。


 儂の目には、この男が親父殿からの文に有った様な無道をする様には映ら無い。


 いや、一芸を極める為に他の全てを犠牲にして……と言う者の話は割と聞く。


 が、その手の者は得てして孤高が行き過ぎており、何人もの料理人や仲居を抱えた、こんな大きな料亭を回すのは難しいだろう。


 慕い付き従う弟子や使用人が居るからこそ、最高峰の味を提供し続ける事が出来るのだ。


 ……さて、どう話を切り出した物か。


 武士と町人と立場は違えど、父親として子の無事を願う気持ちは同じであろうし、家長として家の意に背いた子を許せぬと思うだろう事も理解出来る。


 親父殿の策が当たれば、流石に厳海も無理矢理連れ戻す様な事はせぬだろうが、失敗したと成れば果たしてどうなるか……場合に依っては見世の名を貶めた故に始末する、と考える事も有り得るかも知れぬ。


 向こうで上手く行けば、多少のやらかしは名誉で打ち消す事も出来るだろうが、問題は転けた場合だ。


 商家の者達も、武士に負けず劣らず面子――即ち『信用』を背負って生きている。


 ソレを汚したならば、例えソレが己の子だとしても、汚名を雪ぐ為ならばどんな事でもするだろう。


 しかも彼の者は、京の都に辿り着くまでにこの見世だけで無く、大手瓦版問屋の『火ノ出屋』の名を利用した集りを散々っぱらやらかして居たらしく、其れ等が明るみに出れば……まぁ愉快な事には成らぬ。


 事前に勘当やら縁切りやらの根回しをしていなければ、魯山亭と火ノ出屋の間で出入り沙汰が起こっても不思議は無い。


「……其方の息子が逐電し行方知れずだと耳に挟んだが、その後何か手掛かりの一つでも見つかったのかの?」


 此処で儂が話をせず、万が一にでも人死が出る様な大揉め事に発展したならば、後味が悪いなんて物では無い。


「武に長けし御方は、巷の噂話にも耳が早う御座いますな。いやアレが姿を消して早五年、多少でも付き合いの有る者で有れば誰でも知っている事ですな」


 儂の探りを入れる程度の言葉に、厳海は其れまで威厳が嘘の様に疲れを色濃く見せならが口を開く。


「如何なる理由で有れ、やる気を失い逃げた者を無理矢理連れ戻した所で、物には成りませぬ。あれが別の道を歩もうと言うのであれば、私は態々探し出そうとは思いませぬ。見世は弟子の誰かを養子として継がせれば良いだけの話ですからな」


 目に宿るのは子の行末を心配する父親の表情(かお)……その言葉に恐らく嘘は無い。


 成れば彼の者のやらかしと現状を話して置くのに何ら問題は無いだろう。


「実は儂の親父殿が、京の都でお主の子を名乗る者を拾ったらしくてのぅ……」


 と、そんな言葉から、儂は親父殿からの文に書かれていた内容を話して聴かせる。


「あの馬鹿息子が……」


 静かに押し黙って聴いていた厳海は、一通り話が終わると、ただ静かにそう一言声を漏らした。


「真逆、女房の死を斯様に捉えているとは思いもよらぬ事……。確かに我が家が有する書画や茶器等の美術品を売り払えば、最高峰の霊薬とて買えたやも知れませぬ。だが其れ等は皆女房自身が選び求めた物が大半。故にあれも其れ等を売り払う事は望まなんだ」


 なるほど……我が家は智香子が居る故、効果の高い霊薬を手に入れる事は比較的容易と言えるが、市井の商人が『死んで無ければ何とかなる霊薬』を買うとなれば、莫大な銭が居るのは当然の事。


 其れを購おうと思えば、言う通り幾つもの財産を売り払う必要が有るだろう。


 しかし女房自身が、夫の立身出世と見世の繁栄を願って、料理に見合う其れ等を見繕い用意したのであれば、己の命よりも其れ等を残す事を選択するのは、想像に難くは無い。


「馬鹿息子には、私の持つ技術はほぼ全て叩き込んであります。この五年で其れを錆びつかせていなければ、其処等の料理人では太刀打ち出来ぬとは思います。が、アレは心が未熟、料理は舌を打たせるのではなく、心を打たねば成らぬ事を果たして理解しているかどうか」


 父親として、師として、亭主として、深い深い苦悩に満ちたため息を着く厳海の姿に、儂は親父殿の策が上手く当たる事を、同じ父親として願うのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 家即ち旦那の未来をって事ですか… 視点で読み方も変わりますからね
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