五十三 志七郎、危機を知り、歯噛みする事
ドタドタドタドタ……!
「緊急! 緊急ぅ! 一大事でござる!」
籠の菓子もあらかた無くなり、皆が茶碗を置き始めた頃、一人の若者が謁見の間ヘと飛び込んできた。
当然部屋の前に居た警護の者に押し留められた様だが、彼はそれらをぶら下げたままこの場へとやって来ていた。
「む……? 桂よ、あれは鬼斬奉行所の同心ではないか?」
その男の顔を一目見て、上様は列席する家臣の一人に問いかけ、
「はい。拙者の配下としてお預かりしている者でござる。上様の御前で無礼なれど、相応の要件が有る様子、平にご容赦下さいませ」
桂――おそらくは鬼斬り奉行所で会った、兄上の友人である桂殿のお父上だろう――様がそう応じる。
「よい、尋常では無いことは見て取れる。無礼を許す、その方その場で申せ」
「はっ! 江戸州第七戦場、通称『小鬼の森』にて『屍繰り』の出現を確認しました」
若侍が『屍繰り』と口にした瞬間、居並ぶ面々に緊張が走った。
以前読んだ『江戸州鬼録』という書物には記載されていない妖かしなので、俺は詳細を知らないがこの場に居る者達は誰もが知っている存在らしい。
「その後定めに従い『大社様』へ救援を要請するも、中央よりの呼び出しにより三日前より不在との事。現在、無主君の鬼斬り者達を動員し対応しておりますが、術者が居らず潰走は時間の問題です!」
殆ど悲鳴に近い様なそんな物言いで発せられた言葉がこの場に浸透するのに数瞬、今度は動揺とどよめきが誰彼となく響き渡る。
「父上……」
空気を読んで黙っている事も考えたのだが、状況が読めないと父上に呼びかけた。
父上曰く『屍繰り』と言うのはその名の通り屍――死体を操る能力を持つ妖怪の一種で、人だろうと鬼だろうと妖怪だろうと、生あるもの全てに襲いかかり死体を増やし自らの徒党を大きくしてゆくのだという。
更に厄介な事に『生き屍』と呼ばれる操られた死体は、普通の武器では突こうが斬ろうが叩こうが、一切ダメージを与えることは出来ず、倒すには何らかの『術』を用いるか、莫大な氣を叩き付けるかしか無いのだという。
通常であれば、万大社に常駐する神様の一柱である『大社様』が術を掛けた武具を使う事で何とでもなるのだが、今はその神様が居ないのでそれも出来ず遅滞戦闘をするのがやっとの状態らしい。
そしてこれは後から知ったことなのだが、術者と言うのはどこにでも居るものでは無く、この火元国ではその殆どが京の陰陽寮で管理されており、稀に違う場所にいるとしてもそれは各藩の国元で、江戸に居ると言うのはレアケースなのだそうだ。
うちのような小藩に術者が居ると言う事自体が奇跡的な事らしい。
「現在、江戸市中で鬼斬り登録された術者は居りません。故に最悪の場合には市街を捨て籠城し、近隣諸藩より援軍を待つという事に成りましょうか……」
報告を受け動揺する素振りすら無くそう言い切る桂様、
「桂ぁ! 何だその人事の様な言い草はぁ! 其方、鬼斬奉行であろう、これは其方の失態ではないか!」
「そうじゃ! 責を取って腹を切れぃ!」
そして、それに対して居並ぶお歴々からは、彼を責める様な台詞が立て続けに飛ぶ。
だが、それに対しても彼は涼しい顔で、
「何を今更……。拙者が奉行に就任した当初より、大社様の存在だけに頼る今の体制には問題があると言い続けて参りましたが、術者の江戸常駐を許可しなかったのは此処に居ます皆様ではござらぬか」
と、切り返した、だがそれも決して責任を他者に擦り付けるつもりで言ったのではないらしく、
「無論、責が無いとは申しませぬ。故に前線に赴き氣脈尽き果てるまで連中を斬る所存。拙者は参ります故後の対応はお任せ申す」
腹を切り死んだ所で責任を取った事には成らない、と言外に匂わせる様な物言いでそう言うと彼はそれ以上何も言わずに席を立つ。
「桂。お主の言う通り、この状況を作ったのは余ら幕府執行部の失態。それをお主だけに背負わせる気は無い。それに、この状況を何とかする気が有るのはお主だけでは無いようじゃぞ?」
だが上様は彼を引き止める言葉をその背に掛けた。
「この様な状況に対応する為に、我ら諸藩大名とその家臣は江戸に居るのです。上様の下知有らば我らは何時でも命を賭けましょう」
その言葉を継いだのは我が父上である。
「幸い我が猪山には術者が二人、生き屍を斬れるだけの氣功使いが三人、霊刀を賜っている者も数名居ります。猪山だけではなく諸藩の子弟には術者も居れば優れた氣功使いも居りましょう。江戸を護るは幕府と大社様だけではござらぬ」
いつものにこやかで優しい父親の姿はなく、武士として命を賭す覚悟を決めた侍がそこに居た。
「皆の者、聞いての通りじゃ。責任を云々するのは事が終わった後で良い、己の責務を果たせ。だが徒に命を捨てる事は許さぬ、一人死ねば敵の兵が一人増えるのだ、
生きて今一度菓子と茶を楽しもうではないか」
「「「御意」」」
「皆の者、屍繰りが出た。戦支度をせよ! 江戸を護るため、我が猪山の武勇を示すのだ。他藩に遅れを取ってはなるまいぞ!!」
馬を駆り屋敷に戻ると、父上はそう高らかに宣言した。
武勇に優れし雄藩の、というのは伊達では無い様で、父上が多くを語るまでも無く皆が即座に動きだす。
「大社様は出かけて居り、助力は望めぬとの事だ。礼子、智香子、信三郎、此度は其方らにも出陣してもらう故、気張れぃ!」
その三人は通常ならば戦場へと出ることのない女性に初陣前の子供、それでも生き屍を倒せる見込みがある以上は連れて行か無いという選択は無いらしい。
だが、義二郎兄上以上の氣功使いである礼子姉上や、陰陽術を学んでいる術者の信三郎兄上は兎も角、智香子姉上が行く必要が有るのだろうか?
「あや、志七郎君。姉様を侮ってるの! 錬術士はアイテム作るだけじゃ無いの、作った物を使いこなすのも錬術士なの!」
俺の懸念は相変わらず顔に出ている様で、智香子姉上はさも怒っていますと言うような表情で例の巾着から取り出した手形をつきつける。
それは鬼切り手形で、そこに記載されている格の数字は三四と中々に高い。
「仮にも武勇に優れし猪山の娘、女で有っても戦えないなんてことは有り得ないの!」
そう言って彼女が指し示した先には、礼子姉上が居た。
見れば礼子姉上もいつもの野良着の上から甲冑を慣れた様子で身に纏い、戦いに赴く準備は万端である。
というか、父上が命じてからさほど時間がたっても居ないと言うのに、皆が皆いつでも出発出来る状態に成っているように見える、例外といえるのは、俺と信三郎兄上位の様だ。
睦姉上と母上すら城に避難する様子は無く、猫又の女中達と共に屋敷を護るらしい。
と、なれば既に初陣を済ませている俺も、戦いへと行くべきだろう。俺一人だけ置いて行かれると言うのは少々納得が行かない、俺だって戦えるのだ。
「俺の甲冑と刀は何処に有りますか?」
そう思い、母上に問いかけるが、
「生き屍を相手取るとなれば、氣か術が使えねば足手まといです。氣脈痛が無ければ止めませんけれど、昨日の今日では無理です。わたくしと一緒に留守番です」
と、返って来たのは連れない返事。それに対して更に言い募ろうとしたその時である。
「おうおう、出迎えもねぇと思ったら何だ? 面白そうな状況みてぇだなぁ」
そんな声が響き渡った。
決して大声では無いがよく通るその声の主を見て、悲壮な表情をしていた者、覚悟を決めた表情をしていた者、そのどれもが喜色に彩られていく。
「おお! 一郎、調度良い所に参った、屍繰りが出たゆえ直ぐに出陣するぞ!」
一騎当千と名高き男がそこに居た。




