五百四十六 志七郎、井戸端会議を横目に眺め将来の心配をする事
「いやいや済まないね、お嬢さん。あっしらの内輪話に付き合わせちまって」
俺が二度目の大きなげっぷを放り出した時だ、沙蘭が唐突に御祖母様へと向けてそんな言葉を投げかけた。
「あら、お嬢さんだなんてお上手ねぇ、こんな可愛い孫の居るお婆ちゃんですよ?」
その言葉を御世辞の類と受け取ったらしい御祖母様は、袂で口を隠してころころと笑い声を上げる。
その振る舞いは食事の時に見せる肉食獣の姿では無く、大名家の奥方に相応しい雅な物と、俺の目にも映った。
「にゃぁに言ってんだ、見た所未だ百にも成ってねぇだろ、んならお嬢さんの範疇だらぁな、噂に聞く御宮御前様程じゃぁねぇにしろ、あっしも数えるの馬鹿らしくなる年月は生きてっかんな」
……そりゃ寿命の軛を外れた本物の猫又と、人のソレより緩やかとは言え老いを退ける事の出来なかった御祖母様では、年齢を比べる事自体間違っているだろう。
俺の記憶が正しければ、御宮御前……我が猪河家の女中頭のおミヤは齢七百余歳、長命種の代表格である森人ですらソレを越える辺りで一気に人数が減る頃だと言う。
化ける事を覚え修行を積んだ猫又も森人同様に寿命と言う枷を持たぬ種では有るが、だからと言って怪我や病気で命を落とさない訳では無い。
世界の運行を司る神々ですら死を完全に克服する事は出来ず、外界からの侵略者との戦いでの討ち死や、超過勤務に依る過労死等で、その生命を散らす者は決して少なくは無いのだ。
神仙術や聖歌、陰陽術の様に、世界樹の機能に働きかける術を用いれば、死を無かった事にする『死者蘇生』が絶対に出来ないという訳では無いが、ソレが成り立つには様々な条件を満たす必要が有るのだと、お花さんの授業で聞いた覚えがある。
先ず何よりも大事なのは、蘇らせる者の『肉体』がある程度揃って居る事で、失われた量が多ければ多い程、蘇生率は劇的に落ちていく。
極論としては足の小指一本からでも、復活する可能性は完全に零とは成らないが、逆に肉体が完全な状態だったとしても絶対に成功するとは限らない。
術を掛ける者の技量や、本人の蘇る意思、その他諸々、失敗に繋がる要素は幾らでも有るのだ。
しかも術に依る蘇生の類は、どの手法でも一度失敗すると遺体は焼け落ち『灰』に成り、その状態で更にもう一度蘇生術を掛け、失敗すると完全に『消滅』するのだと言う。
極々一部の神は、その消滅すら無かった事に出来るとは言い伝えられて居るが、その恩恵を受けて死の淵から蘇った記録が有るのは、この火元国だと禿河家安公ただ一人だけで、大御所様が特別な存在だとされる所以の一つとされている。
ちなみにその手の術の中には『欠損部位再生』なんて物も有るのだが、義二郎兄上の様に『妖刀の呪い』を受けたり、外の世界から来た存在に食われた様な場合、失われた部位が世界樹の管轄外に成る為、再生する事は出来なく成るのだそうだ。
兎角、寿命という縛りの無い存在でも死ぬ時は死ぬ……と言うのが、生命ある者の定めという事だろう。
「あら貴方様もそんな言う程の御老人には全然見えませんよ? 私と同じ位の年回りだと思ってましたのに」
てーか、変化で姿をある程度自由に出来るこの人達は何故『見た目年齢』で相手を判断してるんだろう?
まぁ一応は同じ猫系の変化だし、その辺を見分けるコツの様な物でもあるのかも知れないが……。
商売そっちのけで、井戸端会議の様相を呈し始めた二人の会話を横目に見つつ、俺は残った高良を味わいながら飲み干しその余韻に浸るのだった。
「ああ、今度は坊主の方をほっぽりだしちまったか……いやぁ歳を食うと話が長くなっていけねぇやな。取り敢えずお嬢さんにゃぁお近づきの印って奴だ、この石を持ってってくんな」
暫く笑談を続けた二人だったがそれも一段落付いたらしく、そんな言葉を俺へと投げかけつつ、商品の中から秘石を一粒取り上げ御祖母様へと手渡した。
「あら宜しいんですか? 商売物でしょう? 小粒では有りますけれども、殆ど氣の塊にも等しいコレは買い叩いても十両、出す所に出せば倍……いえ五倍は固い物でしょう?」
そう言いながら、手にした石を窓の方へと掲げ、差し込む光に当てて覗き込む。
直径二分程の小さな石は、ほんの僅かな陽の光を受け金色の輝きを返す、俺の目が確かならば虎目石と呼ばれる半貴石だろう。
「なぁに仕入れ値で考えりゃ、大した額面でもねぇさ。ソレにコレを仕入れる為の種銭は、そっちの坊主を此方に連れて来た礼に貰った物を向こうで売っぱらった銭だかんな、また仕入れに協力して貰えりゃ十分割に合うってもんさね」
そーいや、沙蘭への謝礼って何をどんだけ渡したのか、確認して無かったな。
彼女は俺が私的に雇った者では無く、正式に猪山藩猪河家からの依頼で俺を連れ帰った事に成った為、その報酬は俺の財布では無く、藩の財政から出される事に成ったのだ。
その言から察するに金銀や銭では無く、向こうから依頼された武具や霊薬の類で支払われたのだろう。
んで、仕入れの協力ってのは、要するに其れ等を作る素材を集めてこい、と言っている訳か。
「そう言う事なら、遠慮無く頂戴しますわ。うん、この大きさの石なら簪の飾りにしても良いかもしれないわね……って、これからも定期的にこの質の秘石が手に入るなら、志七郎さんが意中の相手に渡す簪の副素材を頼むのも良さそうねぇ」
火元国では求婚する際、簪を拵えソレを渡すのが一般的な作法で、町人や商人ならば、素材も含めて買った物で済ませる事も有るが、武士や腕に覚えの有る鬼切り者の場合には、主となる素材は自分の手で打倒した化け物の素材を用意するのが最上とされている。
とは言え、複数の素材を集めて作った簪ならば、脇役に成る素材に買い求めた物を使っても、別段『恥』には成らないらしい。
世界樹の盆栽では中々手に入らない秘石を、それと釣り合う主素材の簪に飾りとして取り付けたならば、確かに素晴らしい逸品に仕上がるかも知れないな。
ただ問題が有るとすれば、そんな物を渡すべき相手と出会う事が出来るかという事だろう。
女性に興味が無い訳じゃぁ無いし、出会いだってこの先色々と有るとは思う。
小藩の七子四男とは言え仮にも大名家の子なのだから、その内見合い話の一つや二つは持ち込まれるのも間違い無い。
けれども此方の世界で結婚適齢期とされている女性は、俺にとって若過ぎるのだ。
十代中盤には結婚するのが当たり前、二十歳すぎれば生き遅れ……というのが此方の価値観だが、その年頃の娘さんに手を着ければ懲戒免職は免れない、そんな前職の感覚が未だに俺を縛っている。
少なくとも生き遅れ未満の女の子は、保護すべき子供にしか見えないんだよなぁ。
あー、でも……うん、俺自身の為じゃぁ無く、信三郎兄上や武光の奴を紹介するのは有りかも知れない。
二人共、山程簪を用意しなきゃ成らない運命を背負ってそうだしなー。
俺は未だ十歳、満年齢で数えりゃ八歳だ、今から深刻に考えずとも成るように成るだろう……と、将来の事からは目を逸らし、一旦棚に上げて置く事にする。
「取り敢えず今回の品が捌けたら、適当に土産でも抱えて江戸の屋敷にも顔出すわ。此処で手に入る物じゃぁ、向こうに持っていくにゃぁちと神秘が濃すぎるかんな。仕入れはそっちでさせてもらうわ。注文したい品が有るんならその時に聞くぜ?」
持ちつ持たれつの関係で行こう、とそう言う意味で捉えて間違いないだろう言葉を口にした沙蘭に、俺は無言で一つ頷き肯定の意を返し、本来の目的だった土産探しへと戻る為に踵を返したのだった。




