五百四十四 志七郎、経歴を知り新商品手にする事
「いやはや、騒がせてすまんネー。あの手の輩にゃぁ慣れてるとは言え、そんなんお客さん達にゃぁカンケー無いアルね……うん、騒がせ賃って事で、皆餃子一人前分お代は勉強するヨー」
折角の料理が不味く成りそうな場の空気を入れ替える為だろう、店主は肉食系猛獣には似合わぬ朗らかな笑みを浮かべながらそんな台詞を口にした。
「よ! 虎さん太っ腹!」
「ほなら儂はもう一人前追加や」
「わてはその分で麦酒を貰おうか」
当然その場に居た客達もソレに乗っかる様に、楽しそうに囃し立てるが、彼等の顔には『得をした』と言う様な感覚で騒いでいる者は居ない様に見える。
先程の騒動は、見世側が不手際をやらかしたと言う様な事では無く、与太者が一方的に騒いだと言うべき物で、見世が損害を引っ被ってまで他の客に奉仕する必要は無いと言う事を、皆辨えて居るのだろう。
故に多くの者は、無料に成ったと喜ぶのでは無く、その分で何かを追加し見世に利益を還元しようとしている訳だ。
とは言え……
「流石に俺はもうコレ以上食えないな……」
飲み物の一杯位なら入らない事も無いかも知れないが、残念ながら美味しくは飲めそうに無い。
「気にしなくて良いヨー、お太さんも坊っちゃんも、助けてくれたからネー。全部無料って言いたいけど、流石にソレじゃ商売上がったりネ。まぁあんな陳平如きには負けないけどナー」
ぐっと二の腕の力瘤を見せつけながらそう言う虎さん。
彼は今でこそ餃子専門店を営む料理人をしているが、元々は龍鳳大陸で活躍した冒険者だったらしい。
肉食系獣人の優れた身体能力と、龍鳳大陸北部に有る『鳳武連合国』で学んだ武把で若い頃にはそこそこ名の知られた存在だったと言う。
そしてそんな彼は、より大きな名声と財産を求めて、この京の都へと来て高難易度の戦場へと挑み……古空穂と言う靱――背中に背負う大ぶりの矢入れ――の九十九神と戦い、膝に矢を受たのだそうだ。
当時の彼は徒党を組まず単独で活動出来る程の猛者で、普段ならば絶対に貰う筈の無い一撃だったと言う。
だが彼が名前持ちの化け物を相手取り、ソレを打ち倒した直後に不幸は起こった。
本の少し気を抜いた所に、少し離れた場所に居た古空穂の放った流れ矢が、彼の膝を貫いたのだ。
その一撃で戦闘不能に陥った訳では無いが、身軽な動きをウリにする武闘家が脚を痛めて仕舞えば、翼をもがれた鳥と変わらない。
せっかく倒した大物の素材を持ち帰る事も叶わず、戦場を脱出した時には既に半死半生とでも言うような状態だった。
当時はまだこの火元国には錬玉術士は居らず、俺が智香子姉上に持たされた『死んでさえ居なければ何とかなる霊薬』なんて物は当然手に入ら無い。
治癒の術で有る『聖歌』の使い手も、神々に仕える者の中でも極々一部だけ、と極めて希少な存在で、その能力を借りるには財も伝手も足りなかった。
結果、命を落とすことは無かった物の、財産の約半分とソレまでに積み上げた功夫の大半を失う事と成ったのだそうだ。
しかも膝は完治する事は無く、厳しい復帰訓練を経て日常生活には戻れた物の、強い踏み込みや素早い動きは失われ、武闘家としては死ぬ事に成ったのだ。
とは言え、先程の様な武の欠片すら纏わぬ様な与太者如きが相手ならば、腰の入らぬ手打ちでも十分なのだろう。
それにしても……前世の世界から此方へと戻る道中にも一人、似たような経歴の料理人が居たが、膝を痛めた男が料理人に成るのは、世界を超えて法則的な何かが有るのだろうか?
万が一の時の事を考え、俺ももう少し料理を練習して置いた方が良いかも知れないな、うん、江戸に帰ったら睦姉上に習うか……
と、そんな事を考えながら、お勘定を済ませた御祖母様に連れられて『餃子の王虎』を後にするのだった。
さて、とうとうやって来ました『奇天烈百貨店』……うん、デカイ。
いや、前世の世界で見慣れた高層ビルと比べりゃ十分小さいの範疇に成るんだろうが、それでも地方都市に有る百貨店と同じくらいの規模は有るんじゃ無いだろうか?
遠くから見る分には、仏教が無いはずのこの世界にも関わらず、前世の日本の京都や奈良の寺社仏閣に有る『仏塔』その物のなのだが、こうして近づいて見ると太さが全然違う。
まぁ仏塔ってのは仏舎利――御釈迦様の遺骨の欠片――を収めて祀る為の施設で、此処の様な大人数が同時に入り込む商業施設とはそもそも建てられた目的が違うのだから、同列に見るのが間違いなのだろう。
だと言うのに、見た目が完全に京都のアレをオマージュしたとしか言い様が無いのは、多分この百貨店を企画し建てた者の中に、前世の世界かソレに近い世界から来た者が居るのではなかろうか?
迷姉酢とか飯場賀辺りは海外に元と成るモノが有ったのかも知れないが、二郎系とかどう考えても向こうの食文化をパクっ……食文化からインスパイアを受けたとしか思えない物が有る訳だし、今更と言えば今更なのかも知れない。
と、そんな事を考えながら、外から見れば荘厳な仏教系宗教施設にしか見えないその中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ!」
「安いよ! 安いよ! 本日全品一割引き!」
「北方大陸直輸入! 最新の遊技盤だよ!」
途端四方八方から飛んでくる客寄せの声、その雰囲気は格調高い百貨店のソレと言うよりは、海外の市場の方が近い様に思える。
入り口に設置された案内板に拠れば、どうやら一階毎に似たような業種の見世が纏められて居る様で、前世の世界の商業施設にもよく有った形態らしく、此処一階は玩具や遊技盤なんかの娯楽品を扱う見世が並んで居る様だ。
……前世の世界の感覚で言えば、一階は化粧品や女性物衣料辺りの女性向けか、若しくは食料品なんかを扱う店が有り、この手の娯楽品は比較的上の階層に配置される物だと思うのだが、其処は文化の違いと言う事なのだろうか?
二階は書物と文房具、三階が輸入武具、四階の術具……八階が宝飾品と、どうやら階層が上の方が値の張る物を扱う見世が入っているらしい。
なお最上階の九階は展望楼で、幾つかの茶店や喫茶店が有るだけだと書かれている。
多分この配置は、客の利便性よりも防犯を優先した結果なのだろう。
万が一盗人が入り高価な物を盗まれたとしても、脱出までに必要な距離が長ければ、逃げられる前に捕らえられる可能性は高く成る……とかそう言う感じなのではなかろうか?
「ちょいと其処行くお坊ちゃん、見て行かねぇかい? 遠い遠い遥か彼方の異世界から猫商隊が、界渡りを繰り返し運んだ珍奇な品々を格安価格でご奉仕だぜ!」
土産に良さそうな目を引く品を探し歩いて居ると、聞き覚えのある声で、そんな台詞が聞こえて来た。
その声に惹かれた……と言う訳では無いが、気に成ったのは間違い無く、兎角そちらへと目をやれば、見覚えのある茶白の猫又が一匹……。
此方の世界に来てから、猪山藩江戸屋敷の倉に住み着いて居たはずが、何時の間にやら姿を見かけなくなった『旅猫』沙蘭が何故か此処に居た。
「暫く見かけないと思ったら、こんな所で何してんだ?」
「って、おお! 坊主じゃねぇか! 何って商売している様に見えねぇかい? 江戸じゃぁ持ち込む物は一々全部幕府が検査するけど、此処なら好きに売って良いってまーちゃんに聞いてな、向こうまで仕入れに行って来たんだわ、ほれ一本奢ったるわ」
そう言いながら、彼女が後ろに置かれた青い保冷箱から取り出し投げよこしたのは、俺が前世に愛飲していた赤白青の高良の……見覚えの無いデザインの商品なのだった。




