五百四十二 志七郎、兄を思い出し祖母を心配する事
ひらひらと手を振りながら歩み去る蒲田殿と別れ、改めて周りを見てみると、道行く者達は江戸に比べて明らかに女性と思しき姿が多い……のだが、誰も彼も女性にしては妙に体格が良い、先程の話と合わせて考えるに、つまりはそう言う事なのだろう。
解って仕舞えば何の事も無い。
江戸の街が極端な男余りなのは、農村部辺りで継ぐ田畑の無い次男坊や三男坊が、部屋住みのままその身を腐らせるのを嫌い、一旗上げる為に都会を目指すからだ。
江戸を東の都とするならば、その対となる此処は西の都、同じ問題を抱えているのは当然の事といえるだろう。
と成れば、道行く女性が江戸より多い道理も無い、彼女達の全てがそうとは言わないが、少なく無い物が蒲田殿のお仲間と言う訳だ。
うん、外つ国の冒険者達に加え、そう言う方々……時期的に偶々とは言え、中々に混沌な街だな。
「中々刺激的なお知り合いがいらっしゃるのね。未だ十分に若いと言って良い年頃なのに、旦那様や一朗には敵わないまでも、義二郎さんとなら五分の勝負が出来るかしら? 若い頃なら兎も角、今の私では敷物にされるのがオチかしらね」
化粧の所為で、ぱっと見で年齢を推測するのは難しいと思うのだが、どうやら御祖母様はあの短い会話の間だけで、大体の年齢とその実力を推し量る事が出来たらしい。
それにしても御祖父様や一朗翁は、火元国だけで無く世界を見渡しても並び立つ事の出来るだろう者は決して多くは無い程の猛者、それと比べるのは流石に相手が悪すぎるだろう。
そこで次に出て来た義二郎兄上だが、俺が知っている時点で考える限り、恐らく御祖母様の見立てはそんなに大きく外れては居ない……ただし両の腕が揃って居たならば、と注釈は付くが。
蒲田殿とも一度は轡を並べ戦った事が有るが、彼女の得物の鉾は槍と薙刀の間の子……と言うか鉾からそれぞれに派生すると言う感じの御先祖様的な武器で、どちらかと言えば多数の相手を薙ぎ払い、刺し貫く……そんな扱い方をする長柄の武器だ。
義二郎兄上も稽古の場でソレを使っているのを目にした事も有るが思い返す限り、その技量は蒲田殿の方が間違い無く、大きく上を行く。
それでも互角と目する事が出来るのは、義二郎兄上の強味が、その体格と膂力そしてこの世界の有りと汎ゆる武器を、必要に合わせて使い熟す事の出来る引き出しの多さに有るからだ。
鉾の腕で勝てないならば、より相性の良い武器を用いれば良い、そう言う戦い方をすれば技量で劣っていても概ね互角、立ち会えばその勝敗は時の運で決まる範疇に収まる筈……だった、両の腕が揃っていた頃ならば。
片腕を失って尚も凡夫に劣る兄上では無いが、競る事が出来る程の者を相手取るには流石に分が悪い。
まぁ、外つ国で新たな腕を得て、ソレを手に入れる過程でどれほどの経験を積んだのか……それを加味すれば、話は全く変わってくるが。
兎角、此処は俺に取って異邦の地、見知った頼れる人物が居ると知れただけでもめっけ物。
いや御祖父様と御祖母様が居れば、そうそう滅多な事は無いとは思うが、それでも万が一の時には、頼れる伝手と言えなくも無い筈だ。
千田院藩伊達家は自前の武勇よりも、雄藩との友好関係で自領を守る事を選んだ藩の一つ、蒲田殿が俺に手を貸す事で、猪山に貸しを作れると考えるならば、恐らくは悪い事には成らないだろう。
何も無いのが一番なんだけどな!
「さて、そろそろ日も高くなって来たことですし、一寸寄り道してお昼にしましょうか。志七郎さん、何が食べたいですか? 私は普段はお昼を戴かないんですけれども、ヒトは三食食べる物だと旦那様も言ってましたしね」
と、俺の思考が一段落したのを察したのか、御祖母様がそんな提案を投げかけて来る。
「何を食べるって……御祖母様は肉以外を召し上がるとお腹を壊すのでしょう? それなら俺の方が御祖母様に合わせますよ」
アレルギー持ちだと解っている人間に、アレルゲンとなる食べ物を『アレルギーは甘え』等と抜かして食わす馬鹿の話は、前世の世界では偶に耳にする事は有ったが、ソレは軽くて傷害、下手をすると殺人の罪に問われる事も有る行為だ。
御祖母様の場合アレルギーとはまた別なのだろうが、体質的に食えない物を強要する様な阿呆な事をするつもりは無い。
「あら、まだ小さいのに随分と聞き分けの良い事を仰るのねぇ、でも大丈夫ですよ。先程も言ったけれど、私は普段お昼は頂きませんから、お腹を壊す程食べませんよ。まぁそれでも葱や大蒜は避けますけどね」
一部の禁忌食材とでも言うべき物以外は、肉じゃなくても食べ過ぎ無ければ問題は無いらしい。
と言うか、野生の肉食獣でも肉しか食べないと言う訳では無いそうで、野菜的な栄養素を得る為に草食動物の内臓を喰らい、その中に有るある程度消化済の植物を摂取する必要が有るのだそうだ。
で、人の生活環境の中では、そうした中身の入った新鮮な内臓は手に入らない為、ある程度考えて野菜類も食べねば成らないとの事。
普段は朝食った様な炙り肉に根菜類の付け合せを少々添えるのだが、今日は俺と昼食を取る前提で、ソレを省いたらしい。
「うん、やっぱり御祖母様のお勧めの見世で良いですよ、此方にどんな見世が有るのかも分からないですしね。あ、でも出来れば軽い物の方が有り難いかな? 朝の肉が未だ腹の中に残ってる感じなので」
実際、猪山印の健康体でも、朝からあの量の炙り肉は流石に重かった。
胸焼けするほどでは無いが、完全に消化仕切って腹が減ったと言う程の感じでは無い。
「んー、そうねぇ……じゃぁ、あの見世が良いかしら? うん、そうしましょう、彼処なら百貨店に行く途中に有るし丁度良いわね」
そう言いながら、俺を促し歩き出した御祖母様の笑顔は、悪五郎の連れ合いらしく何かを企んでいると思わせる物なのだった。
「さ、付いたわよ。京の都に来たなら此処は外しちゃぁ駄目なお見世の一つよねぇ」
上京と下京を隔てる城壁の近く、百貨店の巨大な建物を見上げようとすれば首が痛くなる……そんな場所にその見世は有った。
諸外国からやって来た冒険者達や、彼等を見込んで商いをする者達が生活する外京とは違い、此処等は古い古い時代から京の都に住む者達が大半を占める、そんな場所の筈だ。
なので此処に来るまでは、純和風料理を出す小料理屋辺りを想像していたのだが……現実と言うものは常に予想の斜め上を行く物らしい。
「御祖母様……よりによって何故この見世を選んだんでしょうか?」
俺の記憶が確かならば、この見世の看板料理に使われている筈の韮は、葱や大蒜同様に猫科動物には禁忌食材だった筈だ。
にも関わらずこの選択はどう言う事なのだろうか?
いや、まぁ、多分、きっと、恐らくは、其れ等全てを抜いた献立も有るんだろうが、万が一混入した場合の事を考えると、避けるべき見世としか思えない。
アレルギーとは違い、ほんの僅かな混入でも命に関わる、と言う程の事では無いのかも知れないが、ソレにしたって普通の野菜を口にするよりずっと危険な筈だ。
「あら? 志七郎さんは餃子お嫌い?」
そう、御祖母様が選んだのは、恐らく前世の日本人で食べた事の無い者は居ないだろう、其れ位日本に馴染んだ渡来料理の一つだった。
「いえ、好きですけど、餃子と言えば韮や大蒜が付き物何じゃないですか?」
「江戸の餃子はそうなのですか? でも此処のには入って居ないから大丈夫ですよ。私も月一位で買ってきて貰うんですから」
そう言えば聞いた事が有る、前世の世界でも本場中国の餃子は韮や大蒜が入って居らず、向こうの人が日本の餃子を食うと、似て非なるものと断ずるのだと。
と言うか確か日本では極めて一般的な食べ方である焼き餃子自体が珍しい物で、蒸し餃子や水餃子を出す店が余った仕込み分を賄いとして食うときにやる位だと言う話だった筈だ。
漂う臭いから察するに、この見世が焼き餃子を商っているのは間違い無い。
此処の餃子は果たして本場風なのか、それとも和風とでも言うべき物なのか。
そんな事を考えながら、御祖母様に続いて見世の暖簾を潜る、
「いらしゃいヨー! お太さんお久しぶりネー! そちのちさい子はお孫さんアルかー? 腕に縒りを掛けて餃子焼くヨー、そちの席開いてるネー」
と、そんな言葉で出迎えてくれたのは、虎の頭の獣人族と思しき人物であった。
うん、自分の食えない物は出さないわな……、そう納得し俺は席に着くのだった。




