五十二 志七郎、手柄を奪い、老臣涙する事
「爺、そうがなり立てるでない、童子の前で。見よ怯えてる……様子はないの。中々に肝の座った童子じゃ。お主が差配したと言うならばその意図を述べてみよ」
いくら想定通りの反応とはいえ、激昂した大人の怒鳴り声に一切竦む様子が無いことに、苦笑を浮かべつつ上様はそう問いかけてきた。
「上様からお褒めの言葉を頂けるという話を聞き、何かお礼の品を用意する事を思い着きました……」
それに対して当然馬鹿正直に真実を語るような真似はせず、兄上が考えたカバーストーリーをさも自分の考えであるかの様に語る。
「上様は大層な上戸であるが、合わせて下戸も嗜む粋を解するお方であると伝え聞きました。ですので菓子を送るのが宜しかろうと考えました」
武家社会に置いて上戸――酒に強いと言うのは武勇に秀でる事と並んで、強い男の象徴なのだそうで、酒が飲めず甘いモノを好む下戸は、女子供の様で弱々しいという印象を持たれるのだと言う。
なので『甘い物が好きだと聞いたので』等と言えば、弱い将軍と侮るような風評が流れている、もしくは父上がそのように言っている、と取られても可笑しくはない。
前世でも『呑める男は強い男』と言う考え方自体はよく聞く話だったし、男が甘いモノを好めば良くも悪くも『スイーツ男子』等と言われる事もあった。
だが先に上戸だと称えた上で、下戸も解するという言い方をするならばそれは『下戸も上戸も解する粋人である』との褒め言葉になる……らしい。
粋というのはいまいちよく分からない概念ではあるが、物の言い方一つでそれが尊称に成るのだというならそれに越したことはないだろう。
「拙者の手元に有ったのは先日釣り上げた鯛の代価のみ、これっぽっちの銭では見栄えのする物を用立てる事は出来ませぬ。故に見栄えより質実を重んじ安くとも美味い物を買い集めました」
昨日上様が食べたがっていた『黄金色の菓子』それだけを買ってきたならば、その名前から撚た見方をする者が出るかもしれない、そんな兄上の気遣いもあり甘党の彼推薦の菓子を山盛りにしてきたのである。
それらは1つ辺りで見れば一文からせいぜい四文という値段であり、大人にとっては例えそれが特権階級である武士でなくとも、大した出費とは言えないだろう。
だが四文あれば一人分のおかずが一品買える、そう考えると俺の差し出した物は決して安い金額では無い、むしろ子供がそれを出したと言うのだから褒めて欲しい物だ。
「見栄えより質実、それは其方が自分で考えたのか?」
そう、口を挟んだのは当然例の煩型である、言外に父上や兄上の入れ知恵が有り、下戸を好む弱い将軍そう侮っているのだろう、と言っている。
腹芸など出来もしない素直な普通の子供ならば、それに応ずる事もあるだろう。だが、残念ながら中身は狡辛い事を幾つも経験してきた俺だ。
「猪山は一万石少々の小藩なれど武勇に長けし雄藩。質実剛健を旨とし見栄えは二の次三の次。生まれ出しその時よりそう言い聞かされて参りました」
胸を貼ってそう答えた。
「爺、その辺にしておけ。童子に儀礼を求めるのは八百屋に魚を求める様な物。しかしその辺の童子に比べれば随分と聡い様子ではないか。それに……」
歯噛みするような様子の煩型を諌めながら、上様は籠へと手を伸ばしそこに盛られた幾つもの菓子の中から、目当ての物『黄金色の菓子』を掴み取った。
「これは余がまだ幼い頃、猪山屋敷で世話になっていた頃に食った覚えがあるぞ。ほれ見てみよ、お主とてこの中の一つや二つ童子の頃に口にした物が有るのではないか?」
繁々とまさに懐かしむ表情で手にした菓子を見つめ、香りを嗅ぎそして誰が止める間も無く大きく口を開け頬張る。
「おぉ、この甘さ……。懐かしいのぅ……。ほれ、これ程の量じゃ、余だけでは食べきれぬ、其方らも懐かしい物の一つ位はあろう……」
二つ目の菓子を手に取り籠を側役へと押しやると、彼はそれを煩型へと差し向けた。
これは事前の打ち合わせには無い行動だ……、今までとは違う行く先の見えない動向に俺は思わず息を飲んだ。
だがそんな俺の思いを他所に、彼が軽く肩を竦め諦めた様な顔で手を伸ばしたのは、水飴を南部煎餅ではさんだ物だった。
後から聞いた話だとこの状況で『甘い物は苦手』等と断れば、それは『下戸を解さぬ無粋者』と自ら喧伝するような行為であり、元より堅物等と陰口を叩かれている様な者でなければ、その名を落とす事になっていたのだそうだ。
そしてその『堅物』が菓子を手にした以上、その籠が差し向けられる他の家臣たちもが、ある者は懐かしそうな、ある者は物珍しそうな表情で思いおもいの菓子を手にしていく。
ひと通り菓子が行き渡る頃には、それまでの堅苦しい雰囲気は成りを潜め、控えめながらも楽しそうなどよめきが広がっていた。
「爺、お主が手にしたのはなんじゃ? やはり童子の頃に食った物か?」
上様も最早堅苦しい場ではない、と言わんばかりに相好を崩し誂うような口調で問いかける。
「飴せん、でござる。香ばしい煎餅と甘い水飴。同じ見世の物かは解りませぬが、母上が健在であった頃に口にした覚えがございます」
言いながら一度齧り付こうとして、何かを思い出した様に手を止め、懐紙を取り出しそれを添え改めて口にする。
零れ落ちる破片を懐紙で受け止めながら、ゆっくりと味わうよう咀嚼し嚥下した。
「あの時は着物に随分と破片を零し、母上の手を煩わせた物です……」
薄っすらと涙すら浮かべた目で駄菓子と自ら斬り捨てた物を見つめている。
いや彼だけではない、多くの者が菓子に纏わる思い出が有るらしく、涙を堪え鼻を啜る声が至る所から聞こえてくる。
「たかが菓子、されど菓子……。大の大人では見栄や名誉が邪魔をして考え付くことも無い素晴らしい進物でござる。猪山守殿、志七郎殿、御無礼仕った」
正直驚いた……、自身の過ちを認め謝罪する、言うは易く行うは難し、その代表の様な事柄だ。
父上に対してだけならば兎も角、俺のようなガキに対してもそれを行えると言うのは、本当に難しいだろう。
だがその老臣は、他の家臣たちの目の前でハッキリとそれを成したのだ。
対してどうして良いものか考えも付かない俺に、父上はひとつ目配せをし、
「その言葉を頂戴頂けただけでも、この上なき名誉にございます。我が子ながら武勇だけでなく人の機微にも通じた賢い子。此の者が驕り道を誤ること無き様、拙者だけでなく此の場にいる皆々様方にも御指導御鞭撻の程、伏して願い奉ります」
そう言うと改めて平伏した、当然俺もそれに習い頭を下げた、その言葉は俺ではなく、義二郎兄上が受け取るべきものと感じながら。
その後も和やかな雰囲気で場は推移し、茶が運ばれて来ると籠は二巡三巡と皆の間を巡っていた。
懐かしい物だけでなく自分の知らない物、他の者が美味しそうに食べている物と、興味が湧いた様だ。
気に入ったので妻子にも食わせたいと言う声もあり、どこの見世で買い求めた物であるとかそういう事を聞かれるままに答えていく。
「美味い菓子を妻子にも食わせたいと言うのは解る。だからと言ってそれを余らが賞賛し買い求める様な事があれば、値が釣り上り子供たちから菓子を取り上げる様な結果となるやも知れぬ」
だがそんな話にとうの上様がそう待ったを掛けた。
確かに此の場にいるのは皆、幕府でもそれ相応の立場に居る者達だ、彼らが好み買い求める物、とあればそれだけでも品薄となる原因になるだろう。
先ほどまでの朗らかな雰囲気が、その一言で一瞬にして引き締まる。
「故に、この場で有ったことは口外法度と致す。代わりに別口で庶民の菓子を楽しめる催しを考えるとしよう」
そう口にする上様と、居並ぶ家臣たちは当に為政者の顔をしていた。




