五百三十七 志七郎、事件解決し苦虫を噛み潰す事
「以上の事から、下手人は太助平では無く……衣縫奴、貴方だ!」
推理を披露する時は例えソレに自信が無くとも、堂々と胸を張って力強く。
コレは前世の仕事で覚えた事じゃぁ無い、よく読んでいたネット小説サイトに投稿されていた推理モノの主人公達の姿を思い出しての事だ。
推理は俺達の仕事じゃぁ無い、膨大な証拠を集めてソレを組み立てていくのが警察のやり方だった。
対して今回のソレは何方かと言えば創作の世界の探偵のやり方だろう。
そう言った作品では、我々警察官は基本的に無能の代名詞の様に描かれるが、ソレは一人或いは少数の探偵が目立つ様にする為で、警察の捜査と言うのは何時だって人海戦術の賜物なのだ。
……実際、俺の心臓は早鐘の様に鼓動を繰り返し、その音が皆に聞こえないか心配したく成る程である。
とは言っても俺は元々、暴力団やら半グレやら海外マフィアやらと、時には交渉したりする事も有った捜査四課の刑事、無表情を装ったり、強面を活かして恫喝紛いの事をしたりも無かった訳では無い。
生まれ変わってから暫くは、考えが直ぐ顔に出る癖も有ったが、それもきっちり意識していれば、余程親しい相手でも読まれなくは成った筈だ。
何処かの弁護士か、それとも怪しいせぇるすまんか、ビシッと音がしそうな程に力強く衣縫奴に向けて人差し指を突きつける!
此処で迷いが出れば、例え真実を突き付けた結果だとしても、知らぬ存ぜぬとしらばっくれる事だろう。
だか、だからと言ってドヤ顔で決め付けたにも関わらず、全く違うと言う事に成れば、恥ずかしいでは済まない、家の名誉に傷を付ける様な結果に成れば、良くて勘当……下手すりゃ切腹だ。
「でも……一つだけ解らない事が有る。さっきあんたの語った話は嘘じゃぁ無い筈だ、にも関わらず何故、兵助平を殺すに至ったのか。その本当の動機だけが……」
指を下ろし、だが視線は逸らさず、声を荒げる事無く問い掛ける。
「せやから! ワテが殺ったんや言うてるやろ! お衣はんが殺ったんちゃうて!」
「太助はん、もうええねん。わっちが得物を後生大事に持っとったから足が付いたんや、太助はんが言うた通りに、川へ捨てとったら逃げ切れたかも知れへんけどなぁ……」
膝を付いたまま自棄糞に成って叫び声を上げる太助平を、武家の娘らしい覚悟を決めた笑みを浮かべ押し止める衣縫奴。
「わっちが殺ったんで間違いありゃしまへん。最初から殺る心算やった訳や無いけどなぁ……ほんまにどうして、こないな事になってもうたんやろなぁ」
どうやら、俺の下手な推理は的外れと言う訳では無かったようだ……と、心の中で人知れず安堵のため息を吐くのだった。
「わっちがあの人の部屋に行ったんは、太助はんとの事で話がある言うて、あの人に呼び出されたからでありんす」
そんな言葉から始まった彼女の言に拠れば、俺が見つけた起請文の通り、衣縫奴と太助平は矢張り特別な関係だったらしい。
遊女と言う仕事故、太助平以外の男と関係を持つのは当たり前の事では有るが、その中でも心まで委ねる事が出来た真夫と呼べるのは彼だけだと彼女は言う。
往年の乃菊太夫程では無いにせよ、毎晩彼女と褥を共にしたいと嶋原の遊郭へと足を運ぶ男は決して少なく無い。
彼女と一夜を過ごすと成れば、普通の町人階級では到底稼げぬ莫大な御銭が必要で、客の大半は公家か大店の旦那さんか、それとも鬼切り者や外国からきた冒険者か……。
兎角、多くの男達が彼女と遊ぶ為に見世へと訪れたが、『武士の娘』と言う肩書の女を抱いた事で『自分の貫目が上がる』と言う認識の者が殆どで、彼女自身を見てくれたのは太助平だけ……とまでは言わずとも、ほんの僅かだったそうだ。
そしてそう言う肩書を目当てに来る男は、一度逢瀬を交わしただけで後は御見限り……それなりに心を通わせた筈の男も、彼女の元に通い詰めるとなると財布が保たず、馴染みの客といえる程長く通ったのは、彼一人だったらしい。
「無理も有りゃしまへん。わっちは乃菊姐さんの言う通り、芸も禄に磨いてへん即席遊女やからなぁ。一度遊んで『武家の娘っても普通の女と変わらへん』って嘯けりゃソレで良いって男が大半やねんなぁ、芸の格で言うたら其処らの夜鷹と変わらへんねん」
と、自嘲するような笑みを浮かべて言い切る衣縫奴。
一度致すまでは死物狂いで銭を積み上げる男達が、二度三度と繰り返し自分の元を訪れる事は無く、自身の価値は所詮肩書だけと、否応無く自覚させられる日々。
そんな中で、銭の出処は親の懐かも知れないが、足繁く通い詰める男が居れば、情を抱くなと言う方が無理が有る。
何度と無く遠征仕事を受けたのも、この船の上では他の客が来る事を気にせず、太助平の懐を痛める事無く彼と共に有る事が出来るから……と言うのだから、その感情は一時の錯覚などでは無いのだろう。
しかしソレが兵助平には気に入らなかったのか、彼女を呼び出した兵助平は他所の大店から嫁を取りより事業を拡大するから、その邪魔をするなと言われたのだと言う。
無論、そんな直接的な言い方をされた訳では無い『太助平を思うなら身を引いてくれ』と言う様な言葉回しだったそうだが、其処に含まれていたのは『子を思う親の情』では無く、『商売を拡大する為ならば子をも道具にする』そんな下卑た感情に思えたのだそうだ。
けれども恋愛結婚自体が極めて少数派で、家の都合で縁付くのが一般的なこの世界、ソレだけならば飲み込み一度は身を引く事も考えた。
身請けしてもらうのでは無く年季明けを待った後ならば、妾に成ると言う道も有るだろうとそう思ったのだ。
だが……兵助平はその道すらも断ち切った。
「太助はんを思って身を引くんやったら金輪際会わ無いと誓い、変な未練を残さん様にキッパリ振ってくれ……そう言われたんでありんすぇ」
とは言え、ソレでも愛おしい人の父親を、殺すなんて事を決意するには至らない。
どう返事を返して良いのか戸惑う彼女に投げかけられた『五八さんを失うんだから、その分代わりの客は紹介する、銭が入るなら客なんて誰でも良いだろう』そんな言葉も歯を食いしばって耐えきった……そう、歯を食いしばって耐えたんだ。
彼女の色良い返事が無い事に業を煮やした兵助平は、彼女を寝台の上へと突き飛ばすと、
『それでも首を縦に振らねぇってんなら俺にも考えが有る。お前さんの実家にゃぁ、未だ回収してねぇ掛売り金がたんと有る……そっちに迷惑を掛けたく無けりゃぁ……解るだろう?』
等と、脅す様な言葉を吐いたのだと言う。
流石に実家に迷惑を掛けると解っていて、突っ張れる程に彼女は自分だけが可愛い質では無かった。
身を切る思いをしながらも、了承の言葉を口にしようとしたその時だ。
『太助平の馬鹿にゃぁ困ったモンだ。女に現を抜かす様な事が無い様、躾ける為に安くない銭出して連れて行ってやったってのに、遊女の手練手管にころっと騙されやがって。女なんざぁ子供作る為の道具に過ぎねぇってのによ……』
前世の日本でどっかの閣僚が口にして大炎上したのと似たような……いやもっと悪質な言葉を口にしたのである。
男女の情を全否定するその言葉を聞いた時、何故態々こんな真似をしてまで、二人を別れさせようとしたのか合点がいった。
理由は解らないが極度の女性不信を拗らせた兵助平が、自分の息子である太助平にも同じ考え方を強制したいと言う、ただソレだけなのだと。
『自分は親父の言う通り生きているだけで、ほんまの自由なんて何も有らへんねん』
何時だったか事が済んだ後の布団の中で、子供の様に泣きじゃくりながらそう言った、太助平の言葉が脳裏を過ぎり……彼女は懐に忍ばせた、彼から貰った護身用銃を握りしめていたのだと言う。
「気が付いた時にはもう手遅れやってん……でも、コレで太助はんが自由に成れるんやったら、わっちは本望でありんすぇ。太助はんの言ってくれた今生で結ばれんなら来世で……て言葉に縋るより、此方の方が未だ良かったとほんまに思うねん」
絶望に泣き崩れる太助平と、覚悟を決めた目で清々しく微笑む衣縫奴……
相反する二人の表情に、俺は事件が解決したというのに、何とも言えぬ苦い物を噛み締めざるを得ないのだった。




