五百三十五 志七郎、現物を手に覚悟決める事
大人の掌に乗るほどの小さな拳銃、弾倉の無い中折式のソレは前世の世界では『デリンジャー』と呼ばれる類の物だろうか?
漆で塗られた木の握りと、西洋唐草が細やかに彫金された黄金色に輝く銃身は、ソレが決して安く使い捨てる為の実用品として作られた物では無く、高貴な身分の者が護身用に持つ為に用意された高級品だという事が見て取れた。
買おうと思えば恐らくは俺のDW47よりも数段高い値が付けられだろうが、ソレは性能差に依る物では無く装飾的な価値故だ。
しかし武器と言うよりは工芸品にも近いコレを、借財の形に身売りされた筈の衣縫奴が持っていると言うのは、少々不自然では無いだろうか?
見る限り家紋入りの一点物と言う訳では無さそうだし、売り払えば少なくない金子を得る事が出来る筈の一品だ。
彼女が犯人だった場合、出てくるだろうと想像していたのは、ソレこそ『サタデーナイトスペシャル』の様な安価で低品質な物だったのだが、コレはコレで逆の意味で想定外である。
だがもしもコレが犯行に使われた銃だとすれば、彼女が川に投棄しなかったのも理解出来無くはない。
実家から持ち出した物で無いとすれば、馴染みの男から贈り物として受け取った物と考えるべきだろう。
そして彼女もソレを気に入り、護身用として持ち歩いて居たとすれば、先程感じた違和感が間違いだと言う事にも説明が付く。
とは言え、ただ見ているだけでは何が解る訳でもない、証拠物品に素手で触るのには少し抵抗が有るが、どうせ指紋の検出など出来ないのだから、と開き直ってその小拳銃を手に取って見る。
薬室を空けて見れば中に弾丸は入って居ないし、撃ち終わった後の証拠とも言える薬莢も残っては居なかった。
撃った直後の銃身は熱を帯びる物では有るが、流石に時間が立ちすぎていて、触った所で熱さを感じる事も無い。
硝煙反応検査薬でも有れば、コレが撃たれたのかどうか調べる事も出来るんだが……残念ながらそんな便利な物は此処には無い。
せめて硝煙の臭いが嗅ぎ取れれば良かったのだが、部屋に漂う香水の香りが邪魔をして、今ひとつはっきりしなかった。
ならばと廊下まで出て銃の臭いを嗅いで見るが、感じられるのは香水の香りだけである。
……ん? 奇怪しく無いか? 硝煙の臭いがしないのは未だ解る、けれどもこれだけきっちり手入れされている銃だと言うのに、何故鉄と油の臭いが感じられない程、香水の臭いが塗り込められているんだ?
ソレを解明する為に、俺は氣を高め鼻に意識を集中する。
犬なんかの嗅覚が鋭い動物は、濃い臭いの中に混ざった微かな臭いすら嗅ぎ分ける事が出来るのだ、氣を高め意識を集中すれば、それと同じ事が出来る筈……。
ガツンと鼻を殴られた様な濃ゆい花と酒精の臭いが過ぎ去り、その奥に隠された様な微かな鉄と油の臭い、更に深く沈んだ所から嗅ぎ取れたのは、入念に拭き取られたのだろうがソレでもほんの僅かに残った硝煙の臭いだった。
うん、間違い無く今朝……とまでは断言出来ないが、ソレでも割と最近、最低一発は発射されただろう事はほぼ間違い無さそうだ。
さて……他に箱の中に入っている物は……予備の銃弾が数発有るだけか。
現場に遺された弾丸と予備弾を見比べた限りでは、恐らく大きさは一致すると思えるが、目見当では絶対に……とは言い切れない。
鑑識課って本当に有り難い存在だったんだなぁ……彼らが居れば、現場だってもっと多くの証拠が出て来ただろうに……。
己の無力さと怠惰さを突き付けられている様な、この現状に俺は思わず溜め息を一つ付くのだった。
「お……坊っちゃん、この箱の中に何ぞ文らしき物も入ってやすぜ?」
飾箱の中は銃を包んでいた飾り布と緩衝材としての綿が詰められていたのだが、ソレらを取っ払った下に、月太郎の言う通り丁寧に折り畳まれた紙が一枚収められていた。
「えっと……なんだコレ? 鴉?」
広げてみると、其処には無数の鴉の様な鳥が黒墨で描かれた上から、同じく墨字で何らかの文章が記されている奇妙な文書だった。
「こりゃぁ……起請文って奴だな。まぁ衣縫奴も遊女なんだ、この手の物の一枚や二枚持ってても奇怪しいって事ぁ無ぇが、にしたって随分と大事な一枚見てぇだな」
墨の上から墨で字を重ねてるので、読み辛い事この上ないが、ソレでもなんとか文字を辿ると……衣縫奴の年季が明けたならば太助平の元へと嫁ぐ、年季が明ける前に身請けするに十分な銭を溜めたならば、太助平が身請けする、と言う様な事が書かれている様だ。
「いや坊っちゃん……ソレだけじゃぁ有りゃせんぜ? この手の証文にゃぁ神々の定めし天網に悖る事ぁ書けねぇ事になってんだ、んだから此処にゃぁ書かれてねぇが、絶対と言って良い約束も有る筈なんだ」
月太郎曰く、年季云々、身請け云々と並んで、将来を誓い合う男女ならば交わしているだろうという約束、それは今生で添い遂げる事が出来ぬのであれば、互いの命を絶ち来世で添い遂げよう……と言う、心中の誓いなのだそうだ。
「なるほど、この証文を交わしてる時点で、太助平は衣縫奴の為に命を絶つ覚悟が有る……とつまりはそう言いたい訳だな?」
例え自分が親殺しの汚名を被り打首になろうとも、衣縫奴が後追いで自害するだろうと、そう考えて彼女の罪を庇ったと言う事だろう。
衣縫奴が兵助平を殺めていた場合、その理由如何に依っては死罪では無く、遠国への島流しなんかで、二度と会う事が出来ぬ様な場所へと送られると言う可能性が有るからだ。
「へぇ、年季明けまで暫く有る様な遊女が罪を犯して所払い……なんて事に成りゃぁ見世には置いておけねぇ。だからって無料で足抜けさせてやる程世の中甘かぁ無ぇ。大概はどっか人里離れた鉱山にでも売り払われて、一生飯炊き女ですわな」
飯炊き女と言うのは別に料理を用意するだけの女の事では無く、普通は街道沿いの旅籠で仲居仕事の傍ら、割と安い銭で春を鬻ぐ女達の事を指す言葉だ。
しかし鉱山の飯炊き女とも成れば、荒くれ者の鉱夫達の欲望を満たす為に、客を選ぶ事も出来ず酷使される、娼婦の中でも最底辺に位置すると言っても良い立場の事を指すらしい。
「武家の娘で高い身代、あの歳なら年季明けは未だまだ先の話……と成りゃぁ、相応の値が付く場所に売られる事に成る訳で、人殺しにンな銭払う場所は魔須ヶ島の鉱山迷宮しか無ぇだろうしな」
魔須ヶ島と言うのは火元国の西に浮かぶ小島で、その島全体が金銀銅に白金の様な貴金属の他にも真銀や緋々色金等の魔法金属も取れると言う国内最大級の鉱山なのだと言う。
だが人と化け物が生存圏を奪い合うこの世界、そんな人を送れば送っただけ儲かりそうな場所が安全な訳が無い。
鉱山と言っても壁を掘って金属を採掘するのではなく、鉄が欲しけりゃ鉄人形を、金が欲しけりゃ金人形を……と、余程の手練で無ければ倒せぬ化け物を打ち倒さねば成らないのだ。
しかも厄介な事に、連中実は身体の大半は泥や石で出来ており、ぶっ倒したからと言って大量の貴金属が丸っと手に入る訳じゃぁ無いと来たもんで、ぶっちゃけ苦労の割に大した利益には成らない場所らしい。
とは言え、希少金属を手に入れる機会を指を咥えて見て居る事が出来る程、人間の欲と言う物は軽くも無い訳で……ある程度腕の立つ罪人がブチ込まれ、一定額分の金属を収めるまで収監される、そんな一種の刑務所的な扱いを受けているのだそうだ。
んで、そんな荒くれ者と言う言葉ですら可愛らしい、最早世紀末世界の住人としか言い様の無い連中が暮らす島での女性の扱いなんぞ、推して知るべしと言った所だろう。
仮にも好いた惚れたと将来を誓い合った女が、そんなこの世の地獄とでも言う様な場所へと送られると解っていて、ソレを無視出来るなら其奴は男じゃぁ無い。
だがだからと言って、実の親が殺されてソレを庇うなんてのも、人の道に背く行為だ。
きっとこの事件には、俺が今まで聞いた『動機』以外の何かが有るのだろう。
手にしたコレ等が、真犯人の残した証拠とは限らない……が、残された時間を考えれば、コレに賭けるしか無い。
見事真犯人から自供を得られるか、それとも俺が腹を切る羽目に陥るのか……此処からが勝負だ!




