五百三十四 志七郎、八〇一を疑い物証手にする事
現場に倒れ伏していた死体の状況、壁に埋まった銃弾の位置、それらから察するに銃弾の放たれた場所は寝台の上だった筈だ。
他に寝る場所が無いほどに混雑した状況ならば兎も角、これだけ空き部屋が幾つも有る状況で、良い年をした親子が同衾したり寝台を共有したりしているとは考え辛い。
と、ソレだけを考えるならば、加害者は恐らくは三人の女性の内の誰かだと思うのだ。
まぁ衆道と呼ばれる同性同士のお付き合いは、前世の日本よりも大っぴらで圧倒的に多いらしいが、未だ幼い俺は今の所そう言う事に直接触れる機会は無いので実感は沸かない。
上様や家の兄弟はそっちの趣味は無い様だが、日頃読む瓦版では、男同士の『痴情の縺れ』から刃傷沙汰に発展したと言うような話は、割とよく見かけるのだ。
継ぐ田畑も無ければ嫁の来手も無い、そんな状態で田舎に居ても将来が無い、そんな男達が火元国中から続々と集まってくるのが江戸と言う都市である。
故に江戸は極端な男余りで、一部の勝ち組以外は安い岡場所以外で若い女と話をした事すら無い……なんて事も全く無い話でも無いらしい。
そんな状況でも時には人肌恋しい夜も有るだろう、けれども遊女を買う銭が無い……そう言う男が数え切れぬ程に居るのが江戸という土地なのだ、故に男同士でウホッと来る事が有っても何ら不思議は無いのだろう。
しかし女房も子供も居る大名家の当主が、家臣の色男とそう言う関係を結んで、好いた惚れたの末に刃傷沙汰……と言う話も割と聞くのだから、衆道の類は江戸特有の現象と言う訳でも無く、完全に文化の違いとしか言い様の無い物なのかも知れない。
「なぁ、月太郎。被害者の兵助平ってのは、衆道の気は有ったのか? 男女問わず気に入った物は構わず食っちまうとか聞いた事無いか?」
情夫が浮気したのが切っ掛けに成って、間男諸共に叩き切る……『衆道敵討ち』なんて言葉が有るくらいには、ソレが原因の殺人事件は有触れているのだ。
此処を確認して置かなければ、俺が想定した容疑者は的外れと言う事に成るだろう。
「否々、兵助平の奴ぁ女好きの遊び人で割と有名でしたし、そっちの気は無ぇ筈ですわ。もしもそっちが好みなら四条の若衆茶屋辺りで遊んでるんでしょうが、暇がありゃ島原の遊郭で豪遊してたんはあっしでも知ってる話でさぁ」
若衆茶屋と言うのは上方での呼び名で、江戸の方では陰間茶屋と呼ばれている見世で、修行中の若い女形と銭を払って遊べる場所だと言う。
前世の感覚で言うならば、オカマバーとホストクラブの中間辺りに有る店と言う感じだろうか?
その客層は、武家や公家の男色家や、裕福な家の後家と言った所で、あの和琴屋の元女将もこの船で京の都に向かっているのはその手の見世へと行く為……と言うのは割と有名な話らしい。
「何処に商いの種が転がってるか解ったもんじゃねぇんで、情報集めだけは常にしっかりしてるつもりですが、兵助平がその手の見世に出入りしてたって話は無ぇですわ。ソレにそっちの趣味が有るなら、その手の本の一つも買ってくれてた筈ですしねぇ」
兵助平は、月太郎がこの船に乗る際に、新作の春画本が有れば、毎回必ずと言って良い程に買ってくれる上客だったそうだ。
商品の中には衆道を扱った春画本も有るのだが、彼がそちらに食指を動かした事は無いらしい。
つまり想定通り、容疑者は女性三人の内の誰かに絞って問題ないという事だな。
と成れば、物証を上げる為に彼女達の部屋を捜索するのが良いだろう。
「おし、次は……一番怪しい衣縫奴の部屋を調べに行こう。彼女が何号室に泊まっているのかは解るか?」
そう考え、目的の部屋が何処に有るのかを月太郎に尋ねる。
「確か二十号室、二層の右舷に有る部屋だった筈ですわ」
すると間髪入れず答えは返ってきたが、その口ぶりはさも面倒臭いと言わんばかりの物であった。
「……太助平のあの証言は、どう考えても真犯人を庇う為の嘘だ、ソレを見過ごして安易な解決ってのは道理に反する。そして御祖父様の名に賭けてと口にした以上、嘘で塗り固める様な真似をすれば、その名に泥を塗る事に成るんだよ」
武士に取って名は命に勝る、例えソレが身内で有っても、その名を汚す様な真似をされたのであれば、命で償わせるのが武家の常識なのだ。
ましてや火元国一の知恵者とまで言われる御祖父様を相手にそんな真似をすれば、この地上の何処に逃げようとも、下手をすれば界を渡った別の世界へと行った所で、追い詰められてそのツケを払わされるのは目に見えている。
全力で捜査した結果、力及ばず時間切れってな話なら、多分御祖父様も許してはくれるだろうが、怠惰を理由に適当な捏ち上げをやらかせば、幾ら孫とは言えども……いや寧ろ孫だからこそ『苦しめず一思いに……』なんて事を言い出しても不思議は無い。
「テヌキダメゼッタイ……」
殺意漲る全裸の御祖父様が襲いかかって来る姿を幻視し、背筋を悪寒が駆け抜ける中、俺はそう言葉を絞り出し、二十号室を目指して歩き出すのだった。
二等船室に分類される其処は、俺の部屋よりは幾分か狭いが、同じ広さを二段寝台二つで四人で使う事を想定した三等船室と比べれば、快適と言えるだろうとは思える部屋だった。
いやこの場合、俺の居る一等船室が広く取られていると考えるべきで、此方が普通なのだろう。
二泊三日の船旅と然程長いとは言えない期間しか使わない部屋だけ有って、その調度が特に女性らしい……と言う様な感じは無いが、微かに鼻孔を擽る香水の香りは、此処が間違い無く女性の部屋だと言う事を教えてくれる。
部屋の中に有る物で目を引くのは、少し大きめの寝台と、水差しと杯の置かれた夜卓、見覚えの有る飾箱の乗った卓と椅子、それと恐らくは着物が入っているだろう行李は、多分衣縫奴の私物だろうか……と、その程度だ。
先ず調べるべきは行李だろう、そう思い蓋に手を掛けた所で、
「うわ、坊っちゃん、他所の娘さんの衣装行李を躊躇無く開るなんて……幾ら幼いってもやっぱり男だわなぁ」
そんな阿呆な台詞を月太郎が抜かしやがった。
「お前さんが何考えてるんのか知らんが、別に変な下心でやってる訳じゃぁ無いぞ。と言うかこの部屋で、物を仕舞えるのはコレの中位だろ。つか、お前も怪しい物が無いか調べてくれよ」
行李の中には、真っ白な着物用の下着――襦袢と湯文字が何枚かに、此方は香水の瓶と……油瓶? いや、行灯や油皿なんかが現役の灯明具なのだから、油を常備しているのは決して不思議な事じゃぁ無いか。
「お、ぼっちゃん。この箱ぁ、あっしが大分前に衣縫奴に売った物で間違いねぇですわ。うん、この重みから察するに、小判でも入ってるんじゃねぇかな?」
そう言う月太郎が手にしているのは、卓の上に置かれていた飾箱だ。
「いや、だから……銭金を掻っ払う為に来てるんじゃねぇんだっつーの! つかお前、真逆さっきの兵太郎の部屋でも盗みなんぞ働いて無ぇだろうな……って、一寸待てよ、お前その箱開けれるか?」
「そらまぁ……つか、作りは全部同じの筈だから、坊っちゃんでも開けれる筈ですぜ?」
……ソレは防犯具としてどうなんだろう? いや、同じ工房で纏めて量産した物ならば、一つ一つ構造を変える手間を省いても可怪しくは無いんだろうが……。
兎角、秘密箱の中に仕舞えるのは、金銭だけとは限らない。
かちり、かちりと木と木が当たる音を響かせて、開いたその中からは、黒光りする小さな拳銃が出て来たのだった。




