五百三十三 志七郎、推測を積み上げ嘘見抜く事
うーむ……捜査に対する態度から衣縫奴が怪しいと踏んでいたんだが、彼女の話からも嘘らしい気配は感じられない。
確かに乗員の大半に動機と思わしき物が有るのは間違いない様だが、そこから犯人を絞り込むのは一寸無理っぽいぞコレは。
いや、まぁ、動機云々で決め打ち捜査なんてのは、前世なら絶対にやらないし、それを部下がやっていたら全力で怒鳴りつける様な悪手中の悪手だが……時間も手も足りない以上は、ある程度目星を付けて絞込んで調べないとどうしようも無い。
あと話しを聞いてないのは、被害者の息子である太助平だけだが、遺体発見時の完全に腰を抜かしていたあの状態を考えるに、彼が犯人とは思い辛いんだよなぁ。
なんせ父母や兄、その他自分よりも上の世代の血族――所謂『尊属』を傷付け殺めた事が公に成れば、例えソレが正当な防衛行為だったとしても、最低でも打首下手をすればそれ以上の罰が下ると、火元国の法には明記されているのだ。
前世の感覚からすれば、理不尽極まりない悪法とも思えるのだが、家長の権限が強く長男一括相続が当たり前のこの国では、そのへんを緩くすると未だに『下剋上』が頻発しかねないのだと聞いた覚えがある。
逆に卑属に対する殺人は、割とどうでも良い理由だとしても、表向きの建前さえ立つのであれば、大概の場合お咎め無しと成るので、父兄に表立って逆らう位ならさっさと逃げる方が余程安全と言えるかも知れない。
無論だからと言って『疑わしい事件』が全く無いと言う訳では無いし『事故』で片付けられたそう言う件の話を聞いた事も無いと言う事も無い。
師を雇えぬ零細武家で、息子に剣の稽古を付けて居た父親が、狙い誤り頭を木刀で叩き割る……なんて話は割とよく有る話で、ソレが逆に成ったとしか思えない様な『稽古中の事故』は、火元国中を見渡せば有触れているとまでは言わずとも、珍しいと言う程でも無い。
その場合、例え取って代わる為の殺人だったとしても、事実を公に訴え出る者が居なければ、基本的に詮議される事すら無く事故で解決してしまう訳だ。
俺の感覚からすれば、余りにも適当過ぎる法運用に色々と物申したい気持ちが湧かない訳では無いが、法治国家である前世の日本ですら、全ての法律を厳格に運用するには、ぶっちゃけ人手も予算も知識も足りなかったのが実情である。
ましてや此処は、法よりも各地の領主や上様、場合に拠っては帝や神々の判断が、ソレよりも優先される人治――神治国家と言うか、世界な訳で……飽く迄も、上の恣意的な判断が無ければ法を優先する、と言う程度に過ぎないのもまた事実な訳だ。
とは言え、幾ら手広くやっていると言っても川下屋は飽く迄も商家、その浮沈云々にお上が態々乗り出して特例措置を通すとも思え無い。
嘉多様や拝様は京の都の司法に深く関わる家の者故に、そうした特例措置をぶち上げる事が出来ないと言う事は無いだろうが、こうして態々俺に捜査を依頼した以上、証拠をさえ押さえれば、ソレを曲げる様な事はしないだろう。
しないよな? 時間切れを前提にしていて、実際にソレを見つけたら梯子を外すとか無いよな? 万が一ソレをやられたら、御祖父様の名を出した上で暴れるしかなく成るんだが……。
まぁ御祖父様の悪名は、京の都にも鳴り響いているらしいし、其処は恐らく大丈夫だろう。
「と言う訳で、貴方にも嘉多様が言っていた動機とやらを聞きたいんですよ。仕事中申し訳ないんだが、素直に話してくれると助かる。余計な嫌疑を掛けられたままってのはお前さんも嫌に成るだろう?」
つらつらとそんな事を考えながら、俺は月太郎を伴って、太助平が作業している動力室へと赴きそう問いかけた。
すると返って来たのは、
「……ワテが殺ったんや。このまま親父の言いなりで生きてくんが嫌に成ったねん。親殺しが大罪やってんはよう知っとる、せやけどワテはこんな自由の無い生活はもう嫌やねん」
此処に来るまでの考えを丸っと否定するそんな言葉だった。
「手前ぇが下手人だぁ? まぁ本人が言ってるんだから間違いねぇわな。おし! 坊っちゃん、此処はあっしが此奴を見張りまさぁ、んで船着き場に着き次第ふん縛ってやりやすぜ!」
否々、なんでそんな簡単に早合点すんだ月太郎。こんな見え見えの嘘に踊らされてどうするよ。
そもそも彼が犯人ならば、朝の段階で態々声を上げて、事件を発覚させる必要など無い。
船着き場に付いてから、ゆっくり適切な始末をし、事故死とでも報告すれば良いだけの話だ。
完全に腰を抜かし驚愕の声を上げていた、あの朝の姿こそが真実で、今の言葉の方が偽りだと考えた方がしっくりと来る。
では何故そんな嘘を吐いたのだろうか?
「……尊属殺人は、理由の如何に関わらず最低で打首、場合に依ってはそれ以上の刑も有り得る重罪だぞ? それを解った上でそんな台詞を吐いて居るのか?」
脅しでは無い、彼以外の誰が殺ったにせよ、その動機に依っては情状酌量の余地が認められる場合も有るだろう、だが彼だけは駄目だ。
尊属殺人は最低でも死刑と法に明確に記されている上に、本人が事故では無いと言い切ってしまったのだから、彼を犯人だと認めてしまえば、死を避ける事は出来ないと言う事になる。
にも関わらず、そんな命懸けの嘘を吐く理由は何だ?
その目は言葉どおりの疲れ切った自殺志願者の物には見えず、何方かと言えば前世の暴力団関係者が行う『代貸』と呼ばれる、上の者が逮捕されないように下っ端が自首して来た時の様な、誰かの為に自分を犠牲にする事に酔う……そんな覚悟の様な物が感じられた。
と成れば、答えは一つ……太助平は誰かを庇って罪を被ろうとしているのだろう、それも命を掛けて。
ソレが誰かを今の段階で断定する事は出来ないが、まぁ……候補は絞られる。
「せや、ワテが殺ったんや。せやからこれ以上の詮索は止めとくんなはれ。船が向こうに付いたら嘉多様を通してきっちり裁かれるさかいにな」
ああ、そう言う事か……此奴、嘉多様の縁故を頼りに法を曲げさせる事が出来ると、高をくくってやがるんだな。
若しくは表向きは死刑を執行したように見せかけて、別人として生きる事が出来る様に取り計らって貰う……とかな。
嘘か誠か此奴には、嘉多様曰く『帝に献上出来る程』の料理を作る腕が有る、ソレを只々刑死させるのは惜しいと考える可能性は零では無い。
俺が死んだ時点で日本では導入されていなかったが、海外ではそうした一種の『司法取引』は割と普通に行われているのだから、無い話では無いだろう。
けれども……だからこそ、この証言を鵜呑みにして捜査を打ち切る様な事をしてはいけない。
真実と言う物は何時も一つしか存在しないのだ、たった一つのソレを見抜く事こそ、捜査官の使命なのだから。
「碌に証拠も出てない段階で、捜査を打ち切るなんて出来る訳が無いだろう? 江戸の吟味方だって自白を取る前に、先ずは証拠固めをするんだ。自白は『証拠の王』なんて言葉も有るが、だからって物証が必要ない訳じゃぁ無いからな」
嘘です、江戸の捜査事情の詳しい事なんて知りません、つか自白を強要する為に拷問だって罷り通って居るんじゃなかったか? でもソレを馬鹿正直に言う必要は無い。
「お前さんが本当に犯人だって言うのなら、兵助平を殺した得物が何処に有るかぐらいは吐いてくれや。ついでにどうやって殺したのか、その手口まで謳ってくれりゃぁあんたを犯人として告発してやんよ」
その問に対して即座に応えが無い時点で、其処に真実が埋もれていない事は、明々白々たる。
「え? ちょ!? 坊っちゃん! 此奴が下手人って事で良いんじゃ無いですかい? これ以上面倒な事しなくたって良いじゃぁ有りゃぁせんか!」
空気を読む事無く、そんな事を吠える月太郎を尻目に、俺はさっさと踵を返し、次の手掛かりを求め歩き出すのだった。




