五百二十八 志七郎、混迷の状況を見て啖呵切る事
「冗談やないで! これから半日も人殺しが居るかも知れへん場所に居らなアカンちゅーのか!? もし其奴がヤケに成って皆ぶっ殺したる! なんて事に成ったらウチみたいなか弱いオバハンはイチコロやないか!」
船上の全員を食堂に集め、今朝方何者かに依って兵助平が殺された事、犯人は解っていないがこの中に居るのは先ず間違いない事等を、嘉多様が皆に説明した。
一通りの話が終わると同時に声を上げたのは、河中嶋の大店和琴屋の元女将お鮒である。
「お前ならばそう言うと思うて居った……が、先ずは麻呂の話を最後まで聞くでおじゃる。そもお前が殺ったと言う可能性も無い訳ではおじゃらんからの」
「ちょ! 待ちぃな! なんでウチがあんな業突く張りのおっさんを殺めにゃアカンちゅーねん! 幾らお公家様たぁ言えども言って良い事と悪い事が有んで!」
「確か三十年前でおじゃったかのぅ? この船の船主の権利獲得を巡って川下屋と和琴屋が対立し、何方も相応に投資をしていたが故に互いに引く事が出来ず、お上に調停を申し出たのは……あの時の恨み、全く無いと言えば嘘に成るでおじゃろう?」
「ソレを言うたらあんたさんかて、兵助平が居らなんだら太助平を自分所の料理人に出来るって、散々言ってたやないか! 帝に料理を献上出来る料理人を確保する事で得られる利益を考えたら、商人の一人や二人殺めても帳尻合うんちゃうの!?」
「まぁ麻呂と兵助平の事を知って居れば、そう言われるのは解っていた事でおじゃるの。と言うか、麻呂の知る限り、この船に乗っている者の大半がアヤツを殺めるに足るだけの動機が有るであろう?」
噛み付いてくるお鮒の言葉を、嘉多様は軽く肩を竦めるだけで受け流し、他の者達を睨め回す。
その視線に誰もが顔を伏せたり背けたりで、真っ直ぐ目を合わせる事が出来たのは俺と月太郎だけだった。
「正直な話、今此処に居る者の誰が下手人でも麻呂は不思議とは思わん。其れ位には兵助平の奴は強引な商いで身代を大きくして来た男でおじゃる故な。だがだからと言って殺しを捨て置く訳には行かぬ、お鮒の言った懸念も有るしの」
ふと、視線から力を抜き溜め息混じりにそう言うと、
「船の上では船長の権限が絶対……とは言え、動機という点では私も他の者と変わらず十分な物が有りますし、此処で強権を振り翳すのは憚られますな。しかし確かに放置すると言う訳にも行きますまい」
その言葉を受け取った上で、拝様も同調の言葉を口にする。
「いっそ船着き場に着くまで皆部屋から出ん事にしたら良いんじゃぁありゃせんか? 少なくともお互いに疑ってギスギスする位なら、扉に錠を掛けて閉じ篭もってる方が良いとちゃいますのん?」
と、そんな事を言い出したのは、武家出身遊女の衣縫奴である、その出自から考えて彼女は多少なりとも武芸の心得も有るだろうし、氣功使いで有る可能性も高い、自分の身を守るだけの自信が有るのだろう。
「そないな事言うて、一人に成った所をグサッと殺るつもりや有らヘんの? お前はんの様な武骨者と違って、わっちの様な手弱女は碌な抵抗も出来へんやろしなぁ」
ソレに噛み付いたのは乃菊太夫、彼女は一人で籠もると言う状況には成りたく無い様だ。
「なんなん? わっちの事疑ってありんすのん? そう言う姐さんこそ、薙刀の免状持ちですやろ? しかも天下に名高い早乙女流の……とてもとてもわっち程度じゃぁ毛ほどの傷も付けられしませんわぁ」
薙刀は防御寄りの武器だとは言われているし、部屋の入り口から入り込まれぬ様に防衛するのであれば、適していると言えるだろう。
けれども、ソレは相手が刃物を得物にしている場合だけだ。
幾ら優れた薙刀の使い手だとしても、遠間から放たれた銃弾をどうこうするのは難しい。
意識加速を使いこなす氣功使いならばまた話は違うのだろうが、純粋に修練で身につけた尋常の技術と有れば尚更だ。
「儂は全員引き篭もるってな意見にゃぁ反対じゃけぇ、船賃分位は稼がにゃいかんでのぅ。女子供だけが逃げ隠れしときゃええじゃろ」
「わても船の中の事色々やらなあかんから、閉じ篭もってるちゅ~訳にも行かんわ。親父が死んでもうたってぇのに、仕事仕事じゃぁ薄情やと思われるかも知れへんけど……わてと拝はんが長い事手を止めりゃぁ何時までたっても船着き場に着かへん事になるさかい」
矢吉と太助平の若い男二人は、引き篭もり案には賛同出来ない様だ。
前者は兎も角として後者が仕事をほっぽりだすと、それこそ殺人犯とずっとこの船に閉じ込められる状況に成る訳で……ソレに賛成する者は女性陣にも居ないだろう。
「あっしは……まぁ向こうに着くまで部屋に篭もっていても構わねぇっちゃぁ構わねぇんですが、そっちの姐さんの言う通り一人に成った所を殺られるってのは、勘弁願いたい所ですわ、怪談物や捕物帖なんかじゃぁよく有る展開だしなぁ」
自分の商う娯楽本を引き合いにだして、一人に成るのは逆に危険なのでは、と訴えるのは月太郎だ。
嘉多様の言を信じるならば、彼は俺と同じく明確に兵助平を殺す動機が有るとは、断言し辛い程度の付き合いしか無いらしい。
それにしても、彼の言う通り最初の殺人で恐慌に陥った者達が、一人に成った時を狙って連続殺人……ってのは、前世の世界では怪談物や推理物の定番だったが、その辺は此方でも変わらないのか……。
月太郎の言葉に乃菊太夫が、二度三度と首肯する事で同意を示している。
「……このまま船を進めれば、夕方には船は京の船着き場に着きます、ソレまでの間、皆さんはこの食堂で、互いに監視し合うと言うのはどうでしょう? 無論、船を進める為に私と太助平は席を外しますが、私の代わりに彼にこの一件を調べて貰いましょう」
流石にこのままで言い合うだけでは埒が明かないと判断したのだろう、強権は振るわないと言っていた筈の拝様が、俺へと視線を向けてそんな事を曰った。
「彼は火元国で一番の知恵者として名高い、あの猪山の悪g……賢翁のお孫さんに当たる人物で、幼くして既に文武双方で名を上げている『鬼斬童子』殿だ。彼ならばきっと船着き場に着くまでに真相を究明してくれる筈だ!」
え? ちょ……何の相談も無くその無茶振りは不味いんじゃないか? 猪山の賢翁ってのは多分御祖父様の事なんだろうし、その名前を出された時点で俺に断ると言う選択肢は無い。
しかもこの流れからすると、事件解決が出来なければ、御祖父様の……ひいては猪山藩猪河家の名に傷が付きかねない事態にも成りうるだろう。
幾ら俺が、見た目は子供頭脳は大人な彼の少年探偵の如き状態だとは言え、この手の現場捜査の経験が豊富と言う訳では無い。
流石に全く無いと言う訳では無いが、監察医の様に死体解剖をして死因や死亡時刻の特定なんて真似事が出来る訳でも無ければ、鑑識官の様に現場に残った証拠を科学捜査で解明する様な専門知識も無い。
関係者の証言なんかを集める事は出来るし、ソレで容疑者に目星をつける事は出来るだろうが、決定的な証拠とは言い難いだろう。
……時代劇なんかでは、証拠も無いのに拷問するなんて場面が、よく描写されていたが、少なくとも此方の江戸では証拠が明白に有るにも関わらず自白しない時に行われる最後の手段だと聞いた覚えがある。
ソレでも元刑事として、捜査が許されるのであれば、調べ解明したいと言う気持ちが無いと言えば嘘に成るだろう。
「犯人はこの中に居る、俺がソレを暴いてやる! 御祖父様の名にかけて!」
故に俺は、そう啖呵を切って無茶振りに乗っかるのだった。




