五十一 志七郎、謁見し、老臣を激させる事
「上様のおな~り~」
ドン、という太鼓の音と共に俺と隣りに座った父上は平伏し将軍様が座に付くのを待つ。
「よい、面を上げよ」
昨日の好々爺とした口調とは違う、引き締まった厳しい物言いで将軍様の声が響く。
だが、この段階では俺も父上も頭を上げては行けないと事前に言われている。
「上様が面を上げよと仰せである、面を上げよ」
わざわざそうオウム返しに将軍様の側役が繰り返すのを待ってからゆっくりと顔を上げる、だがその際にも目を伏せ直接視線を将軍様へは向けては成らない。
「猪山藩、藩主猪河四十郎、そしてその子、志七郎。上様のお召により罷り越しました」
父上がそう言うと、やはり側役がまずひとつ頷き、将軍様へと向き直り
「猪山藩、藩主猪河四十郎様、その子志七郎。上様のお召により参りましてございます」
と、今度はそのままの文面ではなく言い換えて伝える……。
正直、面倒な対応にしか見えないのだが、これが格式と言うものなのだろうか。
事が酒宴等の堅くない場であるならば兎も角、今は公の場として謁見しているのである、形式貼ったやり取りとなるのは当たり前の事、前世でも式と付く様な行事では歩き方の訓練までさせられた覚えがある。
それに比べれば、昨日の今日でこうして謁見に挑めるのだ、ある意味で『ゆるい』と言えなくも無いだろう。
「苦しゅうない、直答を許す」
「上様が直答を許すと仰せである」
このやり取りが有って、初めて視線を上げても良いと言われていた。
目は口ほどに物を言う、と言う言葉が有るが視線を合わせるだけでも色々と伝わる事がある、それ故に『直答を許す』=『視線を合わせ直接物を言う事を許す』という意味に成るのだそうだ。
見ると昨日の様な地味だが品の良いそんな装いではなく、金色と山吹色が目に痛い派手派手しい着物を身に纏った将軍様が座っていた。
……どこぞのバカ殿様の様な着物なので、他の者が着ていたならばきっと下卑た物に見えただろう。
だが、静かに此方を見下ろす佇まいと相まってか、不思議とそのようには見えずそこはかとなく上品ささえ漂って見える。
「近う、顔をよく見せよ」
直答の許可を得た以上は、側役の反応を待つこと無く行動しても許される、俺は立ち上がること無く躙り寄る。
それだけでも周囲から小さなどよめきが感じられるのは、初祝を終えたばかりの幼児が曲りなりにも礼に叶った立ち振舞をしている故だろう。
「その方、今一度名を聞こう」
将軍様は他の者が座る場所よりも一段高い場所に居るのだが、俺はその段の下で歩みを止める、すると彼は間を置かずにそう口にした。
幾ら聡いと思われていても、子供は子供、事前の取り決めを忘れてしまう事もあるだろう、そんな気遣いに思えた。
「猪山藩、藩主猪河四十郎が七子、猪河志七郎でございます」
それに対して俺はゆっくりと時間を使い姿勢を正し、可能な限り堂々とそう名乗りを上げ、真っ直ぐに将軍様を見つめる。
「ふむ、頑是無い……と言うには少々賢しい面構えをしておるが、それでもその幼い身で大鬼斬りを成し遂げるとは、流石は武勇に優れし猪山の子よ。其方の兄、鬼二郎、義二郎もこうして呼んだ事があるが、あれは完全に大人の体躯をしておったな」
如何にも初めて会いました、という体を取って将軍様が俺の顔を見そう口にする。
「この度は、大鬼討伐大義であった。その幼き身体で良くぞ成し遂げた。被害らしき物は無いが、其方の当日の戦果を鑑みるにその場で討てねば、場所も相まって多くの若者が散っておったであろう、と報告を受けておる」
そこで一度言葉を切り、居並ぶ家臣たちを見渡すその姿は、昨日見た人の良さそうな老人のそれでは無く、一人の武人いや統治者のそれである。
「よって褒美として、金二両並びに感状を与える物とする。但し飽く迄も齢五つで成し得たと言う事に対する特例である。尋常の鬼斬り者が小鬼が変じた物を討とうと与えられる物では無い。志七郎、これに奢らず精進せよ」
強い口調でそう言うのは、幼い俺が奢らない様にというよりは、俺に対して過度の褒美を与えているという印象を家臣たちに与えないためだろう。
「有難き幸せにございます」
両の拳を畳に突き立て深々と平伏する、将軍様の気遣いも有っての事か周りから反対する様な意見は出ない。
「御礼ではございませぬが、しょ……上様に献上したい物がございます」
さて、ここからが本番だ……。
危うく将軍様、と呼びそうになるが、それは決して無礼な事では無いが武家の子弟が口にするには相応しい物言いでは無いらしく、彼を呼ぶ際には上様と称する様に言われていた。
だがその誤りも誰が非難する様な事も無く、むしろようやく子供らしい姿を見たと言わんばかりに周りの空気が弛緩するのを感じる。
「上様、猪山からの献上品は今期、既に受け取っております。献上品の受け取りとて立派な政、前例を外すような事をすれば、賂を取り感状を出したと看做す輩も居るやも知れませぬ。そうなれば双方にとって良い事ではございませぬぞ」
しかし、やはり中には空気が読めないと言うか、煩型と言うのは居るものらしい。
上様よりも更に年嵩の、座る位置は最も上座で恐らくは家臣の中でも最も発言力の有る方なのだろう。
「ふむ、猪河これが持ってきたと言う献上品は、猪山藩からの物か」
「いいえ。皆様方御存知の通り、我が猪山藩ははるか祖先の頃より『己の小遣い銭は己で稼げ』を家訓として参りました。此の度、我が子が献上したいと申す物も志七郎本人が己の手で稼いだ銭で用立てた物にございます。拙者は何一つ手を出しておりませぬ」
そう、兄上が言っていた腹案、それは父上が献上するのであれば藩からの献上品という事になるが、俺の稼ぎからの献上品ならば、子供の小遣い銭相応の物でも無礼とは言い切れない。と言うものだった。
陰でこっそりと差し入れる様な事をすれば、賄賂だなんだと痛くもない腹を探られる様な事もあるだろうと、こうして公の場で献上するべし、と言うのだから開いた口が塞がらないというもの。
だが、その話に上様もそして父上までもが乗ってしまったのだからやるしか無い。
俺を呼び付け謁見するのに調度良い建前も有った、そんなことで昨日の今日だというのにこうして政務館と呼ばれる建物に作られた、謁見の間にやって来たのである。
「ほほぅ、すると幼子が自ら差配した献上品という事か……面白い、見せてみよ」
座ったまま一礼し、再び膝立ちで父上の横に置いたままの包みを取りに戻ると、父上は無言のまま俺を見下ろし、にやりと笑みを浮かべ包みを俺に渡す。
そして包みを解かないままで側役へと受け渡す。
上様への献上品である以上、一定の価値がある物として扱われるのだろう、側役は中身も知らずに捧げ持つとそれを運んでいき、上様の前に置くと包みを開いた。
「な、なんじゃこれは!」
そう叫んだのは、上様ではなく先ほどの煩型である。
中から出て来たのは、子供からすれば一抱えはある大きな竹籠とそこに盛られた様々な菓子であった。
それがそれなりに見栄えのする、進物用の菓子ならばそんな声は出なかったであろう、けれどそこに有るのは、一つ一文からせいぜい四文の、全てまとめても百文にも成らない駄菓子の類だ、驚くのも無理はない、誰が将軍様に駄菓子を献上する等と思うだろうか。
「し、猪河ぁ! 上様にこの様な駄菓子を献ずるなど、ば、馬鹿にしておるのか!」
正直、俺個人はそう叫んだ老臣に同情したかった……まさか、こんな事を本気で実行する事になるとは……。




