五百二十一 志七郎、女の争いを知り飯不味く成る事
相変わらず朝も早くから鳴り響いた銃声に叩き起こされた俺は、軽く素振りをして腹を減らしてから食堂を訪れた。
今朝の献立は昨日よりも一寸凝っている様で、焼き麺麭に洋風卵焼き、豚の腸詰めが二本、輪切りにされた黒い乾燥腸詰の様な物は恐らく血の腸詰めだろうか? ソレが二枚。
更に分厚く切られた火腿の焼き物に赤茄子の垂れで味付けされたと思しき煮豆に焼き赤茄子、作茸の牛酪炒め、それらと一緒に添えられた茶色の小判型の焼き物は細切り馬鈴薯の揚げ物らしい。
それらが丸っと一皿に盛り付けられたソレは、前世に一度だけ本場で食べる事の出来た『英国風朝食』そのままである。
一人前の分量としては割と多いし、内容も比較的重めだと思うのだが、火元国では割と朝、昼をガッツリ食べて、夕餉は宴でも無い限りは軽く済ませるのが一般的な食生活だと聞いている。
経済的に豊かとは言えない一般家庭では、炊飯に使う薪代も決して安い物では無く、一日の分を朝に纏めて炊くのだが、保温装置の付いた電気炊飯器なんて便利な物は無いこの世界、美味しい状態で食えるのは朝の内だけなのだ。
昼飯ならば弁当やら握り飯やら、冷めた飯を食うのは割と普通と言えなくも無いが、電子レンジなんて文明の利器を知っている身としては、出来れば温かい飯を食いたいと思うのは仕方が無いだろう。
とは言え此方の世界でも、飯は温かい方が美味いと考えるのは矢張り多数派の様で、夕飯には固く成った飯を湯漬けにしたり、茶漬けにしたりして、なんとか掻っ込む……と言うのが江戸の一般庶民の『普通』なのだと聞いた覚えがある。
ただ猪山藩猪河家の場合は、基本的に三食全部がガッツリなので、一日三度、一食毎に新たな飯が炊かれているので、冷めて固く成った飯を食う機会は余り無いが、ある程度以上の財力を持つ武家ならば、ソレも割とよく有る事らしい。
と、それでも朝からガッツリ行くと言う部分は階層問わず変わらない、そんな食事情なので、女性の席にも朝からこれだけガッツリ飯が提供されているのは、何ら不思議な事では無いのだろう。
昨日も見かけた比較的若い女性も、そんなガッツリの一皿を美味そうに食している。
早速俺もガッツリ飯に舌鼓を打とうと、箸を伸ばしたその時だった。
「あら、朝から随分と良い臭いをさせてはりますなぁ。洋物の香水でありんすか? お上品で良うおすねぇ。今朝の御料理の香りにぴったりやわぁ」
既に席に付き、料理を口にしていた女性に対して、後からやって来た三十路手前位の派手な振り袖を纏った女性がそんな言葉を投げかけたのだ。
「ややわぁ、乃菊の姐さん位稼ぎが有れば、こんな安い香水の一つや二つお安い物ですやろ? あちきみたいな安女郎たぁ違って太夫の看板背負ってるんやし、安い抹香やのうてもっと上物を買うたら良いんちゃいますのん?」
彼女達はどうやら何方も春を鬻ぐ事を生業とする、所謂『遊女』らしい。
「何を言うてはりますのん? わっちは良い匂いやなぁ思うたからそう言うただけでありんすぇ? 人の言う事僻みで受け取るんは、芸の無いお人の悪い癖でありんすぇ?」
乃菊と呼ばれた女は上品な立ち振舞を見せ、袂で口元を隠しそう弁明の言葉を口にするが、その目から見て取れる表情は『コレだから下品な者は』と蔑みの色が、傍から見ている俺にすら、はっきりと分かる程に満ち満ちて居た。
「ああ、せやねぇ。姐さんみたいに身代が高く成り過ぎると、そう簡単に身請けしてくれる御大尽も見つからんもんねぇ……今回のお出かけも情夫に呼ばれてやなくて、何処かの御嬢様に芸の稽古でしたっけ? 芸が有りすぎるんも大変やぁねぇ」
朝っぱらから勃発した女の争い……
正直、横で聞いてるだけでも、飯が不味く成るので勘弁して欲しい所なのだが、男が余計な嘴を突っ込むと集中砲火を浴びて火達磨にされる事は、前世の交番勤務で何度も経験していたりする。
触らぬ神に祟りなし……と、俺は二人の会話を出来るだけ聞かない様にして、目の前の飯を味わう事に無理矢理集中するのだった。
「ああ……乃菊太夫と衣縫奴の二人がまぁたやりあったんですかい、あの二人の仲が悪いなぁ此処等じゃぁ有名な話ですわ。なんせ乃菊太夫も衣縫奴も一時期は瓦版を賑わせた有名人ですからねぇ」
居心地の宜しく無い朝食を手早く胃に詰め込んだ俺は、事情を聞けそうな月太郎の元を訪れていた。
するとスルッと出て来たのは、やっぱり情報元は瓦版らしい情報である。
曰く、乃菊太夫は『太夫』の看板どおり芸も美貌も兼ね備えた『超』高級遊女で、一晩褥を共にするだけでも最低五十両、ソレを少なくとも三回は支払って口説きに行かねば成らず、そんな額を出せるのは大店の旦那か、大名か……と言う格の女だと言う。
幼い頃に買い取られ芸事を叩き込まれた結果、舞や楽器は勿論、絵画や和歌等々、幾つもの分野で流派師範の免状を得る程に熟達し、寝床を共にせずとも彼女と時間を過ごすだけでも相応の価値が有る……と京の男達が皆そう考えた。
当然、畿内一帯の大店、大名、公家等など……唸る程に銭を持つ男達が挙って彼女を口説き落とそうと頑張る事になり、中には見事一夜を明かした男も居たが、その莫大に膨れ上がった身代を払って身請けしよう、とまで言い出す剛の者は一人も居なかったと言う。
若作りはしているがアレで三十路を既に回った彼女を娶ろうと言う物好きは、先ず居ないだろうと半ば見切られており、この先恐らくは後進や商家の子女に芸事の稽古を付けて生きていく事に成ると目されているのだそうだ。
対して衣縫奴と呼ばれた若い方の遊女は、元々は武家の子女だったのだが、家を継ぐはずの兄が果し合いで命を落とし、跡継ぎを失った父母も病に倒れ、止む無くその身を売り払い両親の薬代にした……と言う、孝行娘らしい。
けれども遊女界隈では、幼い頃に買われ芸事や色事を仕込まれた者が尊ばれ、彼女の様にある程度の年齢が行ってから買われた娘は、比較的『安い』立場に追いやられるのだそうだ。
しかし庶民……は流石に無理としても、太夫よりは二段も三段も落ちる程度の銭で、貴人と言っても良いだろう娘を抱けると有れば、多少稼ぎの良い鬼切り者や商人なんかから引く手数多の人気を誇るのだと言う。
親も定かでは無い乃菊太夫と、身を落としたとは言え貴人の家の出の衣縫奴、京島原と言う花街の中だけの話とは言え、立場が逆転した二人。
されどその人気という点で、前者は陰りが見え始め、後者は未だ絶好調……それで仲良く出来よう筈が無い。
それでもこうしてそれぞれがそれぞれ近場とは言え、一人旅が認められているのは、何方もが何処にも逃げ場等無い……と悟る程度には聡い頭を持っている事を誰もが認めるからだという。
「武家の出の衣縫奴は当然として、乃菊太夫も武芸も芸事の内……とそっちでも免状持ちらしいんでね、下手な男が突っかかっていっても、まぁ大丈夫ってな事も有るんでしょうよ、勿論あの二人を呼んだお人が大枚叩いてるってのも理由の内でしょうがね」
この船は河中嶋には寄らないが、東街道と京を結ぶ主要な導線なのは間違いない。
恐らくは東街道沿いの大店なり武家なりが、それなりの大銭を積んで呼んだのだ……とそう言う訳だ。
そしてソレは同時に乃菊太夫が『芸事の師匠』として呼ばれ、衣縫奴は『女』として呼ばれた……と言う事も暗示しているのでは無いだろうか?
もしそうだとすれば、背負う看板とソレに付随する誇り的にも、乃菊太夫が衣縫奴にきつく当たる理由も解る気がする。
まぁ、何方にせよ……
「つくづく面倒臭い……本気で着くまで部屋に籠ろうかな?」
と、そんな言葉が俺の口から漏れたのは仕方の無い事だと思いたいのだった。




