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大江戸? 転生録 ~ファンタジー世界に生まれ変わったと思ったら、大名の子供!? え? 話が違わない? と思ったらやっぱりファンタジーだったで御座候~  作者: 鳳飛鳥
修練そして日常 の巻

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五十 志七郎、最高峰を味わう事

 しっかりと歯を受け止めつつも、舌の上では柔らかく改めて咀嚼するまでもなく溶けてゆく、ふんわりと鼻を抜ける深い小豆あずきの香りと、それを邪魔しないほんのりとした甘さ、そしてそれらは嚥下した後にまで口の中に心地よい余韻として残る。


 その味わいが消えるか消えないか……そのぎりぎりのタイミングを見計らい、山吹色の美しい茶をあえて音を立てて啜る、微かに残る羊羹の甘さが爽やかな芳香によって洗い流され、茶その物がもつ旨味と甘みそれらもほんの短い時間で消え、最後には香りだけが鼻にぬけた。


 美味い……、おそらくは羊羹も茶もどちらもが最上にして最高の物、だがそれらもこうして眼の前に出されるまでに経た人の手にほんの一欠片でも手抜かりがあればここまでの味わいを感じる事は出来なかっただろう。


 前世まえでもこれに匹敵するほどの物を食べた記憶は数えるほどしか無い。


「その顔を見る限りでは満足したようじゃな」


 意図せず緩む頬を見てか、手ずから茶を入れ振る舞ってくれた将軍様が好々爺の笑みを浮かべ言った。


「はい、これほどの美味い羊羹もお茶も初めて頂きました」


 そんな俺の返しに将軍様は微苦笑を浮かべ口を開く。


「そりゃぁそうじゃ。最高の材料で最高の職人が作った最高の羊羹と茶じゃ、不味かろう筈が無い。きっと値段も最高峰じゃろうのぅ」


 自身も茶を啜りながらそう言うその表情は何かを諦めた物の様に見えた。


「上様もそれがし程ではなくとも酒よりは甘味を好むと父より聞き及んでござるが、これほどの物が何時でも食えるというのは羨ましゅうござるなぁ」


 酒好きを上戸や辛党、飲めぬ人を下戸や甘党と称する様に、兄上は酒を一滴も飲めない代わりに大の甘いもの好きである。


 だが普段飯を食うときの大雑把さを考えると、この繊細な甘さを理解できるとは思えなかったのだが、どうやらそれは見込み違いの様で、決して甘すぎない羊羹も茶にも賞賛の声をあげた。


「確かに余は甘いものを好いておる。じゃがこの羊羹一棹分の銭があれば一体どれ程の民が救えるか……。豊作の年ならば良いが飢饉やら鬼害おにがいやらの報がある度にそう思うのじゃ」


 為政者の苦しみ……。


 きっと衝動的感情的に、減税や施しをしたいと思うことも有るのだろう、だがそれで全ての者を救える訳ではない。


 それに直轄領ならば兎も角、大名が治める所領に対しては例え幕府、将軍といえども勝手な事をする訳には行かない。


 だが将軍様が高級品を消費するのはただの贅沢という訳ではない、俺はそう思う。


「富んでいる者が富を貯め込んでいては経済は回りません。金持ちは多少贅沢をしてでも富を吐き出す事で、巡り巡って下々まで潤うのでは無いでしょうか」


 経済学なんてものは噛じったことも無いので気の利いた事は言えない。


 それでも、誰かが貯め込んでしまえばそこで流れが止まってしまうが、使えばその先に居る商人、職人そして、それらの素材を作る農民達にも繋がる流れとなる、くらいの事は俺にも解る。


「本当に、ちまいのに賢しい童子わらしじゃ。余とてそれは解っておるがの、じゃが性分に合わぬのじゃ。こんなに苦しい立場だと解っておったならば、将軍になぞ成りとうなかった。為五郎と馬鹿をやっておった頃が懐かしいのぅ……」


 先ほどまでの矍鑠とした様子は鳴りを潜め、急に老け込んだ様子で茶を啜る将軍様、その言葉に俺は一つ引っ掛かる物を感じた。


「将軍様とお祖父様はかなり親しかった御様子ですが、うちのような小大名と何故そんなにも近いお付き合いが有ったのですか?」


「先程の様に賢しい様を見せたかと思えば、今度は童子らしく率直な疑問じゃのぉ……」


 そう苦笑交じりに答えてくれたのだが、それを纏めると将軍の子が大奥で育てられるのは七つまでで、それ以降は各大名の家でその家の嫡子と共に育てられるのだという。


 これは初代家安公が定めた決まり事で、次期将軍は必ずしも嫡男と言う訳ではなく、将軍が崩御もしくは引退した時に最も優れた子が跡継ぎとなるらしい。


 将軍になれなかったとしても、その大名家に跡継ぎとなる男子が居なければ養子、婿養子となったり、嫡男が居る場合でも双方の関係が悪くなければその大名家の家臣に成ることすら有るという。


 そうして将軍家は各地の大名と繋がり、また大名家を通して下々の生活を知る優れた将軍を次代へと繋いでいくのだと言う。


 将軍様はそうした制度で、猪山いのやま猪河(ししかわ)家の預かりとなった。


 年回りの近い祖父為五郎とは殆ど兄弟同然に育ち、そして我が家の『自分の小遣い銭は自分で稼げ』という家訓は彼にも適用されたらしく、祖父と共に鬼切りに勤しんだのだそうだ。


 だが、だからこそ上納されてくる税、その一部だとしても自分で稼いだと言う実感が湧かないのだと言う。


 それ故に彼は自分自身で物を選ぶと言う事をせず、出された物を身にまとい、残さず食べるのだと語った。


「己の命を賭けて稼ぎ出した銭は何の遠慮も無く使う事も出来た。下屋敷の畑を耕しそこで採れた物を食うのも殊の外嬉しいものじゃった。何もしていない訳ではない、民の安寧を願いまつりごとを疎かにしたことも無い。じゃが性に合わんのじゃ」


 将軍になって約40年、そうして自分を偽り生きてきたが流石に疲れてきたとため息一つ。


「うちの藩、屋敷でお過ごしの期間があったのでしたら、何か思い出に残っている食べ物の一つでもございませんか? 可能な物でしたら父上に申し上げて献上する事も出来るかと思いますが」


 あまりにも将軍という立場に似合わない、疲れきった様な表情を見せる彼に、俺はついついそんなことを提案する。


「ほっ? そうじゃのぅ……、餡の詰まった柔らかな焼き菓子。どら焼きの様な感じじゃったが、アレは上下に別れること無く饅頭の様に一体じゃった。猪山屋敷に居る頃は良く買って食べたのじゃが……はて、名前はなんと言ったかのう……」


 おぼろげな記憶の彼方にあるそれを思い出すためか、まぶたを閉じた遠くを眺める様な仕草でそう呟いた。


 残念ながら、俺ではこの江戸で食べられる物がどういう物があるのか全てを把握している訳で無いので、将軍様が言うそれが何なのか判断がつかなかった。


 だが若い頃にうちの屋敷でよく食べていた、というのであれば家老の笹葉やおミヤ婆さん辺りが知っているかもしれない。


 帰って尋ねてみよう、そう俺が考えているとそれまで羊羹と茶を黙って味わっていた兄上が口を開いた。


「それはもしや『黄金こがね色の菓子』ではござらんですかな?」


「そうじゃ! それじゃ、名前の割りに値が張らんその菓子じゃ!」


 兄上の言葉に、興奮した様子で相槌を打つ将軍様。


 だがその言葉に俺は少々困ったことになった、そう思った。


 以前御用商人がその菓子を持ってきた折、父上が『武家に献上すれば無礼討ちもあり得る』と言っていた、それくらい下賤な菓子と見なされているらしい。


 思い出の味を献上し多少の慰めとなれば、と思い言った事だがその結果父上が無礼討ちという事になれば、目も当てられない。


 もちろん将軍様がそんな沙汰をするとは思わないが、如何せん外聞を気にするのが侍であり将軍様はその頭領だ、きっと下賤な菓子を献上したと非難する家臣の一人や二人居るだろう。


 そうなれば、どちらにとっても幸せな結果とは成らないだろう。


「そう考えこむな、童子わらしの戯れな提案、難しいのは余が一番知っておる」


 そんな俺の考えは相変わらず顔に出ているらしい、将軍様は言葉とは裏腹に肩を落とした様子でそう慰めの言葉を口にした。


 だが、俺がそれに応えるより先に、


「心配めさるな、それがしに一つ腹案がござる。誰の立場も傷つけず、上様があれを食する方法をそれがしは思いついたでござる」


 そうフンスッと胸を張り兄上が宣言した……本当に大丈夫なのだろうか?

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