五百十五 志七郎、夢現に揺られ商人知り合う事
ゆらりゆらりふわふわと揺り籠の様な揺れの中、うつらうつらと夢と現の間を心地よく漂う……。
窓から差し込む朝の光が眩しくて、ソレを避ける様に寝返りを打てば、再び吸い込まれる様に意識が落ちかける。
と、その時だった、然程離れていない場所から、割と聞き慣れた恐らくは火薬の弾ける音が響き渡るのが聞こえた。
考えるよりも早く枕元に置いた拳銃を手に取ると、身を翻して寝台の下へと転げ落ち、部屋の入口を警戒する体勢を取った。
……が、何も起きないし、部屋の外にも人の気配らしき物は感じられない。
「銃声は確かに聞こえたが……うん、川岸で誰かが狩りでもしてるのかな?」
小さく安堵のため息を吐きながら、俺は誰に聞かせるでも無くそう呟いた。
前世の日本は勿論、此方の世界に生まれ変わってからも、江戸では銃の一般所持が規制されて居たので、意図しない拍子で銃声を聞くと言う事は先ず有り得ないのだが、一歩江戸州を離れれば鬼切りや領地防衛に銃を使う者が居ない訳では無い。
強力な鬼や妖怪を相手にするには、銃は全般的に威力不足の武器だと言われては居るが、りーちの様に正確無比の狙撃で急所を射抜く使い方が出来るならば、十分に致命傷を与える事は可能である。
とは言え其処までの使い手では無くとも、化ける事を知らない徒の動物や、然程強く無い化け物を狩るには十分な威力は有るので、腕力に優れぬ女子供でも其れ等を討伐する為に使う武器としては相応に流通しているらしい。
そう言えば、京の都では武家の者が少なく、公家の術者以外では町人階級の鬼切り者が多いとも聞いた覚えが有るし、氣の扱えない者が大半の町人ならば銃器での狩りをしていても奇怪しくは無いのかも知れない……等と、余計な事がつらつらと脳裏を過る。
船の上じゃぁ四煌戌の散歩も出来ないし、偶にはゆっくり朝寝坊でもしてみようと思ったのだが……うん、完全に目が覚めちゃったな。
そう、俺は今、京の都を目指し大川を遡る『三角姫号』と言う外輪船の船室で目覚めた所だ。
昨日の夕方、船着き場に着いた俺は、火取の伯父貴が船主と交渉して割安で取ってくれた一等船室に泊まったのである。
四煌戌も当然この船に乗っては居るが、普通の犬程度の大きさならば兎も角、牛馬に等しいあの身体では、流石に船室まで連れて行く事は出来ず、運ばれていく荷物や他の家畜と一緒に船倉に入れられた。
京の都側の船着き場には、余程の事が無ければ明後日の夕方には着くらしいが、その間ずっと狭い場所に閉じ込められる事に成る四煌戌には、少々申し訳無いとは思うが我慢してもらうしか無い。
その代わり都に着いたら、何処か場所を探して思い切り運動させてやろう。
後から顔位は見せてやらないとな。
「さて、もう少ししたら朝飯食って、その後は何するかなぁ? 長い船旅って程じゃぁ無いけれども、こんな暇が出来るなら時間潰しに成る本の一冊でも持ってくるべきだったかなぁ……」
最悪、甲板で素振りでもしようか?
まぁ、朝飯を食いに食堂へ行けば他の乗船客とも顔を会わせる事にも成るだろうし、其処で暇つぶしに付き合ってくれる人を探しても良いかもしれない。
多分、俺同様に時間を持て余している者は一人二人は居るんじゃないかな? 居ると良いなぁ。
と、そんな事を思いながら、欠伸を噛み殺すのだった。
カリカリの培根と見事な半熟の目玉焼き、清浄野菜を使った玉菜の千切りに赤茄子と胡瓜の薄切りを乗せたサラダ、サクサクの焼き麺麭と……此方よりはむしろ前世に良く食べた献立が食堂には用意されていた。
いや江戸市中でも麺麭を商う見世は有るし、清浄野菜も少々高いが売っていなくは無い、培根も猪河家では余り食べないと言うだけで、手に入らないと言う事は無いだろう。
拉麺や飯場賀の様に、和食の範疇とは言えない物を食う事だって有るのだ。
にも関わらず、こうして『The・洋食』と言う風な物が目の前に置かれると一寸尻込みしてしまうのは、大分『江戸』での生活に慣れたと言う事だろうか?
添えられているのはカトラリーでは無く箸な辺りは、完全に『洋』では無く何方かと言えば『日本の洋食屋』の雰囲気といえるかも知れない。
取り敢えずサラダに小瓶に入った迷姉酢を匙で掛け、軽く箸で混ぜ合わせてから一口食べる。
久々に食べる生野菜の歯ごたえを楽しみながら他の席を見渡して見れば、やはり其処に居るのはこの献立には似つかわしくない和装の人々……。
朝っぱらから培根を摘みに盃を傾けている狩衣の男性は公家だろうか?
あっちの着流しを身に纏い、帯の代わりにガンベルトを巻いた男は多分銃を武器にする鬼切り者じゃ無いだろうか?
他にも母上と同年代と思しき黒留袖の女性が一人、三十路を回るか回らないか位の……適齢期が低い此方の世界では『薹が立っている』と言われかねない派手な振り袖の女性が一人。
彼女等よりは年若いがソレでも行き遅れの謗りを免れないだろう、二十歳そこそこの女性が一人……此方も身に纏う着物は割と銭が掛かっている様に見える。
「あ、御免なさいよ。坊っちゃん、此処座っても良ござんすか?」
と、他にも開いてる席は有るというのに、態々俺の対面の席にお膳を持って座ったのは、唐草文様の着物が特徴的な恐らくは二十歳そこそこの男だった。
「坊っちゃん、昨日船に乗る時に着てた鎧から察するに、どっかの御武家様のお子様でがしょ? あっしは行商人をしてやす月太郎と申しやす、御武家様にゃぁ船旅は暇でがしょ? 暇潰しに成りそうな書やら何やら幾つか有りやすがどうでせう?」
ああ、うん……商売っ気で話掛けて来た訳か。
……言われて見れば、少なくとも今この食堂に居る人達は皆、長旅をして京へと向かう者には見えないな。
全ての公家が京の都に住んでいるかどうかは知らないが、帝に仕える者達で有る以上は、この近辺に居を構えて居るのが当然だろう。
鬼切り者は狙った獲物を狩る為に火元国中を旅する者も居るが、ソレはある程度以上の実力者達で、銃を主武器にする者は強力な化け物を相手にするのは厳しいので、地元の比較的安全な戦場での鬼切りが基本だと言われている。
黒留袖の御婦人はその立ち振舞から察するに、武を嗜んでいる様子は見受けられないので、恐らくはこの船で移動できる河中嶋と京の都の何方かに住んでいるのではないだろうか?
派手な振り袖の女性二人は、何方も芯の通った立ち振舞で、船の揺れにも綺麗に対応している所を見ると、多少なりとも心得が有りそうに見えるが……何方も旅をする装いとは思えない。
「なるほど……確かに今この食堂に居る中で、お前の商売相手に成りそうなのは俺だけみたいだな。うん、丁度暇潰しが欲しいとは思っていた所だから、飯を食い終わったら見せてもらおうか」
そう返事を返しサラダをもう一口、
「へへっ、そう来なくっちゃ! んじゃあっしもサクッと飯を済ませちまいますかねぇ。にしても高い銭取るだけ有って、この船の飯ゃ随分と豪華ですやね。この清浄野菜だけでもどんだけ値が張るか……」
腰の帯に通した手拭いで手を拭きながら、そう言って椅子に腰を下ろすと、彼は目玉焼きに箸で穴をあけると、其処に醤油を垂らして頬張った。
んー、俺はベーコンエッグをトーストの上に乗せて食うかな?
見た所、軽く塩胡椒は振られている様に見えるしこのままでも十分美味そうだ。
「お? 空島式たぁ通だねぇ。まぁあっしは焼き麺麭なら牛酪を塗った方が好みなんで、此方で頂きやすがね」
空島式って……此方でも知られているのか? 天空の城……?




