五百十三 『無題』
「其処まで多古の状態が悪化して居るとはの……他の忍衆では同様の問題は起こっとらんのか? お主の事じゃ、既に調べさせておるのじゃろ? のう、飯蔵」
兄者から持ち込まれた話を聞き、儂は天井に向かってそう問いかける。
「……我が厳忍衆の中からも、知恵者として名を馳せた者が何人か姿を消しています。その中に自ら抜忍の道を選ぶ様な者は一人も居りませぬ。今の所、その原因は掴めてはいませんが、先ず間違い無く何者かの策謀に寄るものかと……」
幕府の耳たる御庭番を務める厳十一忍衆は、忍の中でも最高峰の一団だと言うのは、疑いようの無い事実だ。
その中で知恵者と呼ばれる程の者と言う事は、恐らくは兄者と知恵比べで勝負したとしても、良い勝負をするであろう者だろう。
そんな者達が何の痕跡も無く、何者かの手に落ちる……等という事が有るのだろうか?
いや、だからこそ自ら姿を消したのであれば、何も掴めないと言う事はありえるかも知れない。
しかし御庭番たる厳十一忍衆の者達は、追い忍に討たれる危険性を犯してまで抜忍に成る者が続出するほど、その待遇が悪くなるような事は無い様に、幕府からしっかり予算が出ている筈だ。
「厳ですら、その様な為体と言う事は、他所はもっと……じゃろうの。乱破透破如きに知恵なぞ要らん等とほざく阿呆も居るじゃろうが、現場の頭が悪けりゃ上がってくる情報も信用の置けぬ物に成るからの、何か手を打たねばならんの」
此処最近、火元国で起こって居る騒動の多くは、幕府転覆を狙い禿河に取って代わろうと言う『倒幕派』の暗躍……と言うよりは、鬼や妖が裏で糸を引く、所謂『異世界からの侵略』案件が増えている様に思える。
恐らくは知恵ある忍を潰して居るのも、浅雀に出たと言う魔笛使いの様な、邪神の手先だと言う事は容易に想像が付く。
と、成ると事は幕府だけで内密に進める……と言う訳にも行くまい。
少なくとも忍衆を統括する立場に有る陰陽寮の協力が必要に成るだろう。
陰陽寮は幕府と同等の権威を持つ帝直轄の組織、ソレを動かすと成れば当然帝にも報告を上げねば成らない。
まぁ木っ端の鬼や妖では無く邪神の手先が絡んだ話ならば、帝から更に上……即ち神々にも報告が行き、場合に依っては世界樹の神々の使徒が出張って来ると言う事も有り得るだろう。
初代様が残したと言う将軍家に代々伝わる手記に拠れば、火元国は異世界との接点となる『穴』が人の住む場所としては異例とも言える程に多く、気を抜けば何時『魔王』と呼ばれる様な『世界の敵』が生まれるかも解らないのだと言う。
中央の神々が世界から火元国を切り放し、ソレを捨てると言う選択を迫られた『六道天魔』ですら、魔王と呼ばれる存在の成り損ないに過ぎないのだとも書かれているのだから、もし万が一ソレが現れたならば……未曾有の被害が世界中に広がる事に成るのだろう。
そう成らぬ為にも、一刻も早く悪の芽を摘んで置かねば成らない。
その為には、少しでも多くの情報が必要なのだ。
「……知恵者が姿を消した事、ソレに関わっている可能性が有るモノに、一つ心当りが御座います」
飯蔵の放ったその言葉に、儂は一度思考を中断し、軽く視線を天井へと向ける事で続きを促した。
「忍殺し……そう呼ばれる妖怪の記述が古事記にも記されておりました。忍の術を私欲に使う者を陰ながらに殺めるモノで有り、ソレに狙われた者は何の痕跡も無く突如姿を消し二度と帰らぬのだ……と」
忍殺し……儂の記憶が確かならば、その存在が語られていたのは『大江山の鬼』の頃までの話で、その頃に大禅羅と言う忍が三日三晩の戦いの末に見事討ち取り、その功績を持って忍神へと昇神したのではなかっただろうか?
名持ちの化け物は一度討ち取られればソレが蘇ると言う事は無い、だが同種の大鬼や大妖怪が繰り返しこの世界に出現した……と言う例は決して少ない事では無い。
無論、強大な力を持つ者ほど現れる頻度は少なく成る傾向は有るとは言われているが……御影山の山犬達の様に種として数の多い者達からは、割と頻繁に大妖怪と呼ぶに相応しい妖力の持ち主が出るものである。
今あの山を統べる白尾の君は確かに一段図抜けた力を持っているが、その配下に居る者達の中にも彼女さえ居なければ十分に『大災害』とされるであろう妖力を持つモノは何匹も居るのだ。
「つまり忍神に討ち取られた、忍殺しと同種の化け物が再び湧いた、しかもソレは私利私欲の忍以外も狩る性質の存在として……と言う訳か?」
可能性としては一考に値するかも知れない……
が、鬼斬童子が宝箱から拾ってきたと言う娘の父――根津と言ったか? 彼の者は人知れず消されたのでは無く、妻子を質に取られ幾つもの大藩を混乱に陥れる様暗躍していた。
ソレを考慮すると、ただ忍を殺すだけの化け物と決め打ちするべきでは無いだろう。
「飯蔵、今夜中に文を書く故、主上と陰陽頭に内密に届けよ。それと……兄者を呼んで来てくれ。儂だけで頭を捻った所で良い知恵が出るとは思えぬ」
兄者とて知らぬ事から真実を導き出す様な、神通力を持っている訳では無い……が、何処からどうやって手に入れてきているのか、御庭番衆ですら把握出来ぬ謎の情報網を持って居るからの、儂の知らぬ何かを知っていても奇怪しくは無い。
……と言うか、此処まで厄介な話が埋もれている事は、先ず間違い無く兄者ならば把握していた筈だ。
にも関わらず、茶飲み話でもするかのように現れて、言うだけ言ってさっさと帰っていったのはどう言う事か?
まぁ流石に裏も取らず鵜呑みに出来る程度の話では無いし、調べる時間をくれたと言う事なのだろうが……ソレにしたってもう少し丁寧に説明してくれても良かっただろう。
「あとはそうじゃの……外つ国の忍術使い達にも同様の被害が出てないか調べさせるのじゃ。もしも外つ国にも被害が広がっておる様ならば、ソレこそ幕府だけで始末を付けれる様な事態では無いからのぅ」
火元国に神の加護を持って生まれ、精霊魔法なんかを産まれながらに使える者が居る様に、外つ国にも忍術使いは居る。
しかも世界の反対側と表現しても間違いないであろう遥か彼方、西方大陸にも厳の訓練所程では無いにせよ、割と大き目の里が有るらしいと言うのは、若い頃に聞いた覚えがあった。
まぁあちらでは、忍術使いも鬼切り者の一種でしか無く、御庭番衆の様に権力者に直結する組織と言う訳では無いらしいが……。
それにしても厄介な話じゃのぅ、御庭番衆は幕府の目で有り耳たる者達、その中でも知恵の回る者達が消えたとなれば、今までよりも情報の精度が下がる事は避けられないじゃろう。
そうなれば当然、様々な陰謀策謀に対抗する手を打つのも時間が掛かる様に成るやもしれぬ。
兄者ならば儂よりも長く生き、次代にも暫くは力を貸してくれる事は間違い無いだろうが、ソレでも森人の様な長命種の血を引く訳では無い以上、何時かはその生命の灯火は消える時が来る。
そうなった時、幕府を、火元国を悪鬼共の策謀から守れる知恵者が居るだろうか?
少なくとも今現在、兄者程では無いにせよ悪知恵の類で名を成している若者は、とんと聞き覚えが無い。
……次代に将軍位を引き継ぐ前に、知恵者を引き上げねば成らぬの。
いや将軍候補と成り得る者達に、側近たる知恵者を育てよと命じるべきか。
如何に知恵が回る者が側に居ようと、その者を信じる事が出来ねば、何時か寝首を掻かれるのでは……と疑い続ける事に成る。
それでは駄目だ、儂がこうして天下泰平と呼ばれるだけの治世が出来ているのは、兄者を知恵袋として信頼してきたが故なのだ。
必要なのは知恵と信頼と忠誠心……その全てを兼ね備えた者を側に置く者こそ、次の将軍に相応しいのであろうな。
人を育てる事を考えれば、儂に残された時間は然程多いとは言えぬであろう、早速明日にでも子と孫等を呼び集めるとしようかの……。




