五百十一 提
「この大戯け共が! 貴様等の忍務は何だ! 忍務中に勝手に持ち場を離れる等言語道断! その程度の事は教練場で散々習っている筈の事だろう! 班長! 貴様何を考えて勝手に縄張り戦に参加した!?」
圧倒的な戦力差で縄張り戦に敗北した直後、中忍の北八様は姿を表すなり、何の前置きも無く俺達をそう怒鳴りつけた。
「……申し訳有りません、敗北は班長の俺の責任です。ですが! 相手にゃぁ名の有る上忍が複数居やした、下忍だけじゃぁ勝ち目は無かった戦いです、何卒御容赦を」
何故と言われれば、多古の連中に縄張り戦を挑まれたと言うのに、自分達よりも上位の忍が誰一人として参戦表明をせず、このままでは不戦敗に成る瀬戸際だったからだ。
「誰もそんな台詞を求めちゃ居ねぇよ! なんで忍務をほっぽり出して勝手な真似をしたんだって聞いてんだ! この程度の小さな縄張りなんざぁどうでも良いんだよ! 俺はなんで忍務を放り出したのかを聞いてんだ!」
幾ら小さな縄張りとは言え、多古の本拠地に程近いこの宿場を失えば、多古に対する情報収集に影響が出かねない……そう判断した……そう俺は厳忍衆の為を思って行動したのだ。
にも関わらず、何故俺はこんな理不尽な理由で叱られねば成らないのか。
そもそも本来ならばこの忍務の指揮は、たかが班長に過ぎない俺では無く上忍の谷次郎様が直接取るべき物の筈だ。
現場を放棄したのは、俺達では無く彼等の方が先なのでは無かろうか?
だが忍の世界は武家社会以上に明確で厳格な階級社会、例えどんな理由があろうとも上の者に口答えする事は許されていない。
俺は只歯を食い縛り俯向いて北八様の怒りが過ぎ去るのを待つ。
「黙ってちゃぁ解んねぇだろ! 手前俺の話ちゃんと聞いてんのか!? 嗚呼!」
しかしそんな耐え忍ぶ俺の態度が気に障ったらしく、北八様の怒りは更に熱を増していく。
「おい北、そう頭ごなしに怒鳴りつけちゃぁ、答えられる物も答えられねぇだろうよ……んな事だから、お前ぇは中忍止まりなんだよ、上に上がるにゃぁ人の使い方を覚えろって何時も言われてるだろうよ……」
と、そんな助け舟を出してくれたのは、いつの間にやらやって来ていた谷次郎様だ。
「しっかし谷次の兄貴……前回の誤魔化しも今回の独断専行も絶対許しちゃぁ成らん事でしょうよ!」
……誤魔化しって、あのガキを見失った事を報告せずに済ませようとした事だろうか?
だがアレは上忍も中忍も姿を見せず、たかが班長に過ぎない俺に全部丸投げした二人が悪いんじゃねぇか!?
てーか二人が居ないからこそ、そうしようと俺達で話し合っただけの事なのになんで知ってんだよ!?
「ガチで何も言わねぇで、忍務を丸投げする訳ねぇだろ? 俺達ゃお前がどうやって忍務を遂行すんのか隠れて見てたんだよ。お前ぇが中忍に昇格する為に推挙出来る人材かを確認する為にな」
と、そんな思いが顔に出てしまったのだろう……谷次郎様は俺を見下ろしたまま苦笑いを浮かべそんな言葉を口にする。
「貴様を班長に推挙した田蔵の奴からは、頭は回るし人の使い方も上手い、少々怠け癖は有るもののソレはソレで楽をする為に効率の良い行動を考える原動力にも成る……と、中々の評価だったんだがなぁ……残念だ」
中忍に昇進するには、班長として一定の実績を上げ、更に複数の中忍や上忍からの推挙を受けて中忍昇格試験を受験する必要が有る。
谷次郎様の言葉を信じるならば、二人は俺が中忍として相応しいかどうかを判断する為に、敢えて手を出さずに判断を任せたと言う事らしい。
眼の前で起こった縄張り戦に誰も来なかったのも、眼の前に転がっている『手柄の可能性』と忍務を天秤に掛けた時に、俺がどう行動するかを確認する為だったのだそうだ。
ぐっ……! なんてことだっ……! ふざけるなっ……! そうならそうと最初から言ってくれれば、もっと慎重に事を運んだと言うのに……!
こんな……こんな事で……俺は未来を失うのか!? これから一生下っ端として生きていくのか!? 後から来た若い奴らに追い越され、顎で使われ泣かねば成らないのか!?
絶望……、圧倒的絶望……、世界がぐにゃぁっと歪み、ざわ……ざわ……と心が、心臓が嫌な音を立てる……。
堪らえようとしても堪えきれない心の汗が、ぼろぼろと零れ落ちるのを感じ、俺は思わず顔を両手で覆って蹲った。
「酷い……あんまりだ……班長に成るまでだって……散々苦労して来たのに……こんな……こんなたった一回の過ちで……この先全てが決まってしまうのか……」
いい年をした大人だと言うのに、丸で年端も行かない子供の様にしゃくり上げる。
「いや別に、これから一生推挙されないとか、そ~言うんじゃねぇから。ただ少なくとも今回の忍務で俺達から推挙ってのは無しだがな。コレで腐らず仕事してりゃぁその内誰かの目に留まるだろうよ。今回の一件で降格って訳でも無ぇしな」
「そもそも知ってたとか知らねぇとか以前に、何時如何なる時でも忍務の遂行を第一に考えろって事った。それに忍務の為に必要な『閃』なら躊躇う必要は無ぇが、基本忍務外になる縄張り戦は浮いた人員でやる物だ。伸し上がりてぇなら覚えとけ」
そんな俺の様子に同情したのか呆れたのか、二人はため息を吐きつつも、それまでの剣幕が嘘の様に優しげな声でそんな言葉を投げかけてくれた。
「にしても……前回ドジ踏んだ事と言い、今回の間抜けと言い、あの坊主をきっちり見張ってりゃぁ避けられた事だろうよ。あの烏賊焼き屋の面ぁ見りゃ寿留女の者じゃ無ぇ事は解った筈だろ?」
……と言われても実際の所、俺は件の烏賊焼き屋と多古谷組の若い衆が揉めている場面を直接見ては居ない。
この辺では烏賊を商うのが御法度なのは周知の事だったので、普段背負ってる鯣売りの扮装から、流しの焼き鳥屋に鞍替えする準備をしていたからだ。
一応は班の中で一番若い奴が見張っては居たのだが、教練場を出たばかりの新人では関係者全員の顔など覚えて居らず、あの烏賊焼き機自体がそう数の出回っている物では無いので、ソレを見て厳忍衆の誰かだと勘違いしたのは無理も無い話である。
ただ言われた通り、俺自身が見ていたのであれば、その騒動自体が狂言だった事に気付かない筈が無い程度の稚拙な罠だと、今だから断言する事が出来た。
時には術を使って顔を変える事も有る忍では有るが、所謂『変化の術』と言うのは素人を騙す為の物で有り、例え相手がぺーぺーの下忍だとしてもソレに気が付かない事は無い。
故に必要で有れば化粧や装飾品等で『変装』をするのだが、それだって見る者が見れば相手が誰か全く解らないと言うのは余程の変装名人でも無い限りは有り得ないのだ。
それに例え名人芸と言える程の変装術の持ち主だとしても、敵味方の誤認を避ける為、余程の事が無ければそれほどの事をすると言うのは無い。
そもそも本当に厳忍衆の者が、多古忍衆の下部組織である多古谷組に喧嘩を売るのであれば、わざわざ地元の禁忌を犯す様な遠回しな真似をせずとも、此方にだって傘下の地廻りは居るのだから、其奴等を使って真正面から売れば良いだけの話なのだ。
後知恵と言えばそれまでだが、俺自身がもう少し丁寧に仕事をしていれば、確かに避けられた失敗の様に思えてくる……。
「……この山を抜けたら大川の渡し船だからな、あの犬っころを乗せる事を考えりゃぁ、一番大きな『三角姫号』に乗る事に成るんだろうが……船の中で身バレせずに監視するのは中々骨の折れる作業だが、気ぃ抜くんじゃねぇぞ?」
ここまでの失態が許されたと言う訳では無い、だがそれでもまだ取り返しが付かない程では無い……。
折角の出世の機会を失してしまったのは残念だが、俺は天才と言う奴では無い、班長に成る為にも割と長い下積みが必要だったのだ、一度の失敗で全ての投げ出すのは早すぎる。
ここで泣いて蹲って居ては、汚名返上も名誉挽回も出来やしない。
もう二度と忍務中に気を抜く様な事はしない……歯を食い縛り、涙を拭いて顔を上げ、強く強くそう心に誓うのだった。
……これからそんな決心を嘲笑うかの様な騒動が起こる事など想像すらせずに。
長らくおまたせして申し訳有りません
概ね体調も回復して来たので、今夜から更新再開です
……が、完全回復と言う訳では無いので、次回更新はまた遅れるかも知れません
予め御容赦の程宜しくお願い申し上げます




