五百七 志七郎、忍の事情を知り便利に使われる事
幕府御用忍である厳十一忍衆と多古八忍衆は、その立場に違いは有れど規模と実力という点で言えば、十分に双璧をなすと表現して間違いない、ソレくらいには互いに拮抗した組織同士である。
しかしソレ以外の忍衆が無いと言う訳では無い、両者に比べれば規模も実力でも一枚も二枚も劣る……そんな忍衆は火元国中を探せば幾つも有るのだ。
そんな中から飛び抜けた才を持つ者が出る事が絶対に無いとは言い切れず、時には弱小忍衆の中から厳や多古の上忍とも互角の実力を持つであろう者が生まれ出る事も稀な話では有るが、決して無い話では無い。
そうした所謂『天才』忍者が打つかるのが人数の壁だ。
互いに印紅を打ち撒け合い塗った面積が広いほうが勝利と言う『縄張り戦』では、数の力が無ければ絶対に勝てず、最後の最後は組織の規模が物を言うのだ。
とは言え、双方が野放図に人員投入する事が出来るのかと言えばそう言う訳では無い。
縄張り戦を申請した時点で争う『領域』が決定され、その範囲に比例した人数を近場に居る同僚を集めて戦うのだ。
この宿場位の広さで有ればお互い四人ずつ位で争う事に成るが、もっと広いソレこそ浅雀の城下町なんかが縄張り戦の舞台に成るような事が起きれば、互いに数十人もの猛者が必要に成る事も有る。
人数が足りなければ無勝負と成る訳では無く、定められた刻限までに集まった人数で勝負を開始しなければ成らないのだ。
奪い合う縄張りが小さければ、小さな忍衆でも勝ち取る事は有るだろう。
だが……そんな小さな縄張りをセコセコと集めても、縄張りが大きく成った所で一度大規模な縄張り戦を仕掛けられれば、ソレをまるっと奪い返される事に成るのだ。
けれども、だからと言って大規模な縄張り戦がそこら中でどっかんぱっかんやる訳には行かない、印紅は……割と良い御値段がするのだと言う。
この小さな宿場を奪い合う戦いですら、一晩に使った印紅の代価は安く見積もっても軽く千両を超える額面に登り、それほどの銭を払って奪い合ったこの宿場から忍衆に上がる見ヶ〆は、年で百両に届けば良い方らしい。
ソレくらい縄張り戦と言うのは割に合わない戦いなのだ。
にも関わらず忍衆が縄張り戦をするのは、広い縄張りを有している事が、忍衆の信用に繋がり、より多くのそしてより高い依頼料で忍務が集まるからだと言う。
そして負ければ当然、その汚名と共に一件あたりの依頼料の低下やら、契約に至って居なかった忍務が相手の忍衆に依頼し直される……なんて事にも成ったりする。
早い話が武家が常に気にし続けている『面子』って奴と一緒な訳だ。
んで、何でこんな話を長々と説明したかと言えば……
「するってーと、この振りチン野郎は厳忍衆の者じゃぁ無いってぇのか?」
「へぇ、てっきり厳の者がウチに喧嘩吹っ掛けて来た物だと思って、先走った戦を仕掛けちまったが……真逆此奴が他所の者だとは……」
小さな忍衆に生まれた『自称』天才が、厳と多古をぶつけ合わせて抗争を激化させ、此処にお互いの戦力が集まった所で、離れた場所の縄張りを一気に奪うつもりだったとか、おそらくはそう言う事だと思われるらしい。
「んで、此奴をひっ捕まえたのは誰なんでぇ?」
「いやぁ……ソレが……本当にウチの面子が立た無ぇ話なんですが……」
この辺は多古の本拠地近くだけ有って、多古側は上忍三に中忍一と言う無駄に豪華な編成なのに対し、厳は偶々忍務でこの辺に居たと言う下忍班長一に下忍三……と勝負をするまでも無い相手だった。
流石に厳側から喧嘩を吹っ掛けておいてこの為体はどう言う事かと訝しんでいたら……縄張り戦に参加して居なかった厳の上忍がこの全裸男を引っ括って居た……と言う事らしい。
「そりゃぁ……多古は完全に踊らされたってぇのに、厳は冷静に事の次第を見極めてたってぇ事かよ……。多古は荒事にゃぁ強いが調べ物には向かねぇ……って言われんのも仕様が無ぇ話だな」
と、呆れた様に言い放つ火取に対し、
「全く……面目次第も無ぇ……折角、忍術の才能が足り無ぇ連中をそっちの道場に行かせて、武力だけじゃなく学問も身に着けさせたってぇのに……考えるより先に突っ走る性は変わりゃしねぇ……」
そう言いながら、ため息を吐く多古の上忍だと言う男……
火取ってガチでこの辺じゃぁ名士なんだな、多古の下忍、その大半の文武の師ってんじゃぁサ……。
「う……此処は……俺は……」
武士の情け……と言うか、醜い物を何時までも見て居たくなかったからというか……手ぬぐいを一枚捨てるつもりで、彼の逸物の上に覆い被せようとしたその時だった。
呻く様な声を上げて、男が意識を取り戻したのだ。
「お、手前ぇ……随分と舐めた真似してくれたじゃねぇか。多古なら簡単に騙せるとでも思ったってか? 嗚呼!」
途端に多古の上忍豹紋の二つ名を持つという男がそう凄んだ
「実際コロッと騙されて、厳に助けられたじゃねぇか……」
が、間髪入れず火取がそんな茶々を入れる。
「火取の旦那……頼んますから、余計な事ぁ言わんといて下さいよ……此奴の事ぁウチの面子に関わる問題なんすから……」
上忍の貫禄とでも言うべき物が霧散し、其処に残ったのは中年男の情けない嘆き。
「てやんでぃ、他所者に良いように担がれて、ドンパチやらかした挙げ句、相手方に手柄首譲られたこの状況で、面子も何も有ったもんじゃぁねぇやな。んでもって、そんな状況で手前ぇが尋問したって、舐められてんじゃぁ嘘掴まされんのがオチってもんだわ」
……うん、火取の言う通り、尋問――取調で容疑者に舐められたならば、碌な聴取は出来やしない。
親身に成って宥め賺し、既にある証拠を積み上げたり、誘導尋問したり……そう言った技術は当然存在するが、それらとて舐められた状態では通用する事は無いだろう。
「んなもん、石でも抱かせりゃ吐きやすよ。手順通りにやるってんなら笞打からやりやすかい?」
多少の暴力なり何なりで上下関係を無理矢理叩き込み、供述を強要する……なんて事は日常茶飯事と言える時代も有ったが、俺が刑事に成った頃にはその手の真似は禁止されていた。
勿論それは拷問を禁じる法の遵守と言う意味も有るが、それ以上に『冤罪』の温床に成る事がハッキリと指摘され、警察側もそれを認識したからだろう。
拷問を受けた者は、ソレから逃れる為にやっても居ない犯罪に嘘の供述をし『自白は証拠の王』とばかりに事実では無い言葉を根拠に犯人に祭り上げる……そんな事は前世の世界の日本ですら割と最近まで普通に行われていたのだ。
「だ阿呆、上位の忍にそんな手が通じねぇなぁお前が一番良く知ってんだろよ。お前ぇ他所にとっ捕まって同じ事されたら簡単に吐くか? 吐かねぇだろ? お前ぇ等、忍は拷問に耐える訓練も受けてる筈だよなぁ?」
そして何よりも拷問に依る自白の強要は、拷問を行った側が『これだけの事をされて言ってる事なんだから嘘はないだろう』と思い込んでしまうと言う問題も有る。
火取の言葉通り、拷問に耐える訓練を受けているのであれば、吐いたと見せかけて嘘を掴ませる……位の事は先ず間違い無くやってくるだろう。
「うぐ……じゃぁどうしろってんですかい? 素っ裸に剥かれてる以上、持ち物から身柄を洗う事も出来やしませんし、つかそもそもウチや厳に喧嘩を売る時点で足の付く様な物は持ってきてる訳ゃねぇし……後は何をしても口割らせるしかねぇでしょうよ」
その事に思い至ったらしい豹紋は、一瞬言葉を詰まらせた後、そう食って掛かる。
「おう、口割らせるしかねぇのはその通りだがよ……此処に下手な拷問より便利な手段が居るじゃねぇか」
対して意地悪そうな笑みを浮かべた火取は、そう言いながら俺の方へと視線を向けた。
「お前ぇさんが巻き込んだこの坊主はよ……悪五郎の御孫様なんだわ。お前ぇが何処の者かは知らねぇが、きっちり喋って『此処だけの話』で収めて貰える様に誠心誠意、頼んだ方が良いんじゃねぇか? ガチであの爺ぃ怒らせたら……ぺんぺん草も生えねぇぜ?」
釣られる様にその場に居る全ての者達が、俺に目を向けるのを待って吐き出されたその言葉は、目覚めたばかりで混乱している風だった男の顔を凍りつかせるには十分な効果の有る物なのだった。




