五百三 志七郎、与太者をあしらい饗される事
「んだ!? こん子供ゃぁ! 見せ物じゃねぇぞ! 大人の話に口突っ込んでくんじゃねぇぞごルァ!」
あー、うん、なんだろう、この物凄い懐かしい感じ……。
捜査四課配属されたばかりの新人刑事をやってた頃、殆ど毎日相手してたのと同じ手合だわ。
この手の馬鹿には丁寧に対応するのは時間の無駄なんだ、なんせ語彙が偏ってるからまともに話をしようとしても、そもそも言葉が通じない。
ならば取るべき方法は一つ……
「じゃかぁしいわボケぇ! おんどりゃ誰に向かって啖呵切っとんじゃ! 此方が騎獣に乗っ取る事も解らんのか! 無礼討ちで素っ首叩き落とされてぇのか? こん、ど阿呆ぅ! 俺が黙れ言ったら先ず黙らんかい! この馬鹿!」
誰が上なのかを教える事だ。
そう判断した俺は、言葉の一つ一つに、可能な限りの氣を込めて、叩きつける様にそう言い放つ。
殺氣は込めない、そっちの烏賊焼屋は兎も角、此方の三下では縮み上がって粗相をされるかも知れないからだ。
その想像は決して間違いでは無かったようで、ただ威圧するだけの氣を叩きつけられただけで、腰を抜かしたのかすとんと尻を落した。
「おうコラ、縄張り荒らしを見つけて手柄が欲しいなぁ理解出来るがよ、手前ぇの勝手で戦争おっ始めるつもりか? あ゛?」
ぶっちゃけ捜査四課の刑事なんてのは、桜田門一家の暴力団と言われても、正直反論する余地は無い。
と言うか、基本的に暴力団に身を落とす人種は、相手が強いか弱いか、もしくは上か下かでしか判断出来ない馬鹿の類なのだ。
ソレを専門に相手にする人員は、ソレに対してきっちり上から力を見せつける対応が出来る性質の人間が集められて当然なのである。
なお下手に頭が回る小器用な性質の者を配属したりすると、暴力団と結託して私腹を肥やす様な事も有るので、基本的に脳筋型が配属されてくるのが定例だったりするので、結果として暴力団と然程変わらない団体が出来上がるのだ。
兎角、そう言う場所でそれなりの経験を積んできた者が中に入っているのだから、幾ら子供の身体とは言え、それ相応の台詞がスルッと出てくるのは、まぁ当たり前と言えば当たり前である。
「んでもって、そっちの烏賊焼屋! 手前ぇも他所で商売すんなら、先ず地元に仁義切るなぁ常識だろうが! お上の御墨付が有んなら見ヶ〆出したくねぇのは解るが、多少の手間まで吝嗇るんじゃねぇよ!」
この世界……と言うか警察機構が整っていなかったり、弱かったりする場所では、地廻り衆ってのは一種の治安組織だったりする。
そして縦割り行政でそれぞれの職分に従事する者が居ない以上、地元のソレに仁義を切るのは『警察に届け出を出す』のと同時に『保健所から許可を取る』の両方の意味を持つ訳だ。
彼が売る物が食い物で無ければ、多少の御目溢し程度の事は有っても良いとは思うが……万が一、集団食中毒でも起こりソレが発覚した時には『もう烏賊焼屋の屋台は無かった』なんて事になれば、上から咎めを受けるのは先ず間違い無く地廻り衆の頭である。
故に場所代の徴収と言うのは、組の利益を取り地元の既得権益を護ると言う意味も有るが、ソレと同じ位には治安維持組織としての仕事……と言う側面も有る訳だ。
「おうおう、坊主……折り目正しい生真面目君かと思や、中々に良い啖呵切るじゃねぇの。そっちの烏賊焼屋も、そっちのド三一も、この坊主の言う通りにしとけ? なぁに、多古谷の銀次郎親分たぁ知らねぇ仲じゃぁ無ぇ、俺っちが話付けてやんよ」
武士と町人の階級差があるとは言え、子供に怒鳴りつけられては、面子の為にも反発するかな?
と、身構えつつ二人の反応を待っていたのだが、先に声を上げたのは俺の後に居た火取だった。
うん、そんな気はしてたんだ……多分此奴、東街道の大半で顔が通じる名士の類なんじゃないか?
本人は田舎道場なんて言ってるが、その顔の広さと技量を考えれば、数日街道を旅してでも入門したいと言う者は居るだろう。
下手すりゃ多古谷組って所にも門下生が居る可能性だって考えられる……
俺は今更ながらに火取の底知れ無さに戦慄を覚えるのだった。
「これはこれは……猪山の鬼斬童子様に火取の先生じゃねぇですかい。おい! 茶ぁもってこい! 茶菓子もだ! 最中の良い奴が台所に有っただろ! あれ持ってこい! こんな荒屋に良くお越し下さいました……ささ、茶が来るまで此方でお寛ぎ下さいませ」
いきなり尋ねて来た招かれざる客にも関わらず、多古谷組の親分はそんなバカ丁寧な言葉で俺達を迎え入れてくれた。
コレは矢張り火取の背負う名声に依る物なのだろうか?
「いやー、あっし等常日頃から猪山の御隠居様にゃぁ並々ならぬ御恩が有りやすからねぇ……あの御人と事構える様な事になりゃぁ、拳一つ交える事無く干殺しにされるんですから、絶対敵に回しちゃアカンお人ですからな……。」
と、思ったら此処でも出たのは悪名高き『悪五郎』か。
もしかして道中見かけた『悪五郎被害者の会』の看板に、この御人も一口噛んでるんじゃかなろうか? なんとなくそんな気がする。
「んで? 態々御方々がこんな所に足を運ばれたなぁ……いったい如何なる御用で?」
ソレを踏まえて見ればこの妙に腰の低い対応も、理解出来ると言う物だ。
「此処に来る途中でアンタん所の若い衆と、旅回りの的屋が揉めてるのを見かけてな仲裁に入ったんだ……」
火取に視線を向けても軽く肩を竦めるだけで、対応しようとはしないのを確認し、俺は小さくため息を吐きながら、そう事の次第を切り出した。
当初はふんふんと、相槌を打ちながら話を聴いていた銀次郎だったが、話が進む内に顔から表情が消えていく。
単独で突っかかっていった若い衆に対する怒りか、それとも筋目を通さず商売しようとした烏賊焼屋に対する怒りか、若しくはその両方か……
『地廻りの親分』と言われて想像するであろう、鬼瓦の様な顔が笑顔から能面の様な無表情へと変わり、燃える様な怒りを目だけに宿しているその表情は、前世に見慣れていた筈の俺でも一寸股間がヒュンと成る迫力を秘めていた。
「おい! 八! 手前ぇ先走りやがって! 場所荒らしを見かけたからって一人で突っかかって行くなって何遍言ったら解んだ! 他所の縄張りで平気の平左で商売やる奴なんざぁお前より腕が立つに決まってんだろ! 数で勝負しろって言ってんだろうが!」
銀次郎はそう言いながら八と呼ばれた若い衆の頭に一発拳骨を落す、それから煙草盆を手繰り寄せ、煙管に火を入れながら再び口を開いた。
「旅人さんよ……あんたも解ってて仁義も切らず商売しようとしたんだろ? 幾ら川中島藩立嶋家の御墨付有るって言っても、俺達多古谷組があんたの商売は許さねぇってよ……」
一息煙管を吸い込み、それから深い深い溜息と共に煙を吐く。
「此処等じゃぁ烏賊を扱うのは御法度だ、どうしても商いがしたけりゃたこ焼きにでも商売替えするんだな」
そして次いで放たれる謎の言葉。
え? 烏賊が駄目ってこの辺じゃぁ鯣なんかも食べないのか? アレは半永久的に傷まず、何処にでも運べる海産物って事で山間部でも当然の様に食べられる物だし、何よりも縁起物としても重要な品の筈だが……?
此処に居る者達は俺以外その言葉を当然の物として受け止めている様で、疑問の表情を浮かべている者は一人も居ない。
「寡聞で申し訳ないが、何故烏賊だと駄目なんだ?」
一応は仲裁に入った者として、最後まで責任持って対応する為にも疑問は潰して置く必要が有る。
とは言え、地元の常識を問わねば成らぬと言う事に俺は少々の恥ずかしさを感じならが、そう問いかけるのだった。




