五百 志七郎、鯱を食らい笑われる事
天むす、味噌カツ、小倉焼き麺麭、手羽先唐揚げ、洋麺赤茄子鉄板炒め、櫃まぶしに鯱の天ぷら……全部纏めてとっても美味しゅう御座いました。
結局あの後、様子見に一日、大事を取ってもう二日、寝入っていた三日を合わせて計六日、俺は役満叔父上の居城に世話に成った。
当然勝手気ままに出歩く様な事は出来ず、様子見の一日は布団の上で、翌日からは御典医の許可を受けた上で昼間は浅雀藩士の若い連中と手合わせし、日が暮れてからはもう一つの御家芸だと言う麻雀を打ったりして過ごした訳だ。
その間、三食だけではなく間食に昼寝付きの待遇で迎えてくれた訳だが、ソレも親戚の子だから……と言う事だけで無く、天弓の一件を無事解決した御礼が含まれている故の事らしい。
今回の事件は表沙汰に成ると地廻りの衆は勿論、この地の領主である野火家、更には人市を公認している幕府の権威にすら傷が付く事に成り、場合に依っては地方に隠れ住んでいるらしい倒幕派が俄に活気付く……そんな可能性も有るヤバイ事案なのだ。
故に表立った御礼品が送られたりと言う様な事は出来ないのだが、その分贅を尽くした料理で饗してくれた訳だ。
にしても外郎が近隣の名物で、味噌煮込み饂飩を含めて出された料理の数々は前世のとある地域を思い起こさせる物が妙に多いのはどう言う事なのだろう?
残念ながら生前は一度も行く機会が無かったが、美味い物の話だけは散々聞いてたんだよなぁ……。
うん、色々食わせてもらった物が前世のソレと全く同じ物だと言う確証は無いけれども、どれも流石は大藩の藩主が用意させた物だけ有って、絶品としか言いようが無い美味だった。
……と言うか、一万石少々の小藩だと言うのに、日常的に同格と言って間違いない飯が食えるのは、やはり農神の加護を受けた礼子姉上と、食神の加護を持つ睦姉上の恩恵が大きいんだろうな。
ちなみに鯱は前世だと空想上の生き物で、どう頑張っても食う機会は無かった……筈だが、猫又とか付喪神とかが現実に居る事を知った今だと、もしかしたら何処かで食う事が出来たのでは無いかとも思わなくも無い……。
まぁ向こうでは倒した獲物から素材を取る事すら難しい位、殺すとあっという間に蒸発してしまうらしいので、ソレを食うのは此方より圧倒的に難しいだろうが……。
虎の頭に魚の身体、背には幾重にも鋭い刺を持つ……その姿を見た時は流石に驚いた。
写真で見た記憶に有る某城の上に乗っかっているアレがそのままの姿で大俎板の上に乗せられて運び込まれたのだから。
浅雀の藩都の下に広がっている『鯱地下迷宮』から運び出されたばかりの新鮮な鯱、それも千匹に一匹の割合でしか取れない金色に輝く鱗を持った金鯱は、見た目も凄いが味も極上品なのだと言う。
分厚く切り取られたその身をカラッと揚げた天ぷらに舌鼓を打ちながら、機嫌よく話してくれた叔父上の言に拠れば、普通の鯱は灰色なのだが地下迷宮で他の化物と戦っているウチに突然金色に変化する者が出るのだと言われているらしい。
実際に変化した瞬間を見たと言う者は何年かに一度は居るのだが、大概の場合徒党を組まず単独行動している鬼切り者で、その変化した瞬間の話に一貫性が無いので大体はほら話だとされているそうだ。
兎も角、今俺が見上げている城の屋根の上に乗っかっている物とほぼほぼ同じ物が、目の前で三枚におろされた時に見たその身は、赤みの魚……と言うよりは赤身の獣肉の様に見えた。
食感や味も魚肉と言うよりは矢張り獣肉寄りと思えた辺り、魚というよりは鯨や海豚の様な海獣の類に近い生き物なのでは無かろうか?
まぁ、鮪や秋刀魚が地下迷宮を泳いでいる世界なんだし、深く考えても答えは出ないのかも知れないが……。
とは言え天守の屋根に輝くアレは流石に作り物だろう、真逆本物を剥製にして飾っているなんて事は無いだろう……無いよな?
「おう坊主? 何時まで口開けて鯱見上げてんだ? ありゃぁ確かに美味かったが、何時までも記憶の中の味を反芻しても腹は膨らまねぇぜ? 朝飯足りなかったなら其処らの茶屋でなんか菓子でも買えば良いだろ? 行くならさっさと出発しようぜ?」
と、横から呆れの混じった様な火取の声が投げかけられる、どうやら一寸ぼうっとし過ぎた様だ。
「いや、別に腹が減ってる訳じゃぁ無い。あの鯱、ここからじゃぁ本物か作り物か解らないなぁ……と思ってただけだ。まぁ、どうでも良い事だし……うん、行こう」
約一週間お世話に成った浅雀の城から視線を切り、俺は四煌戌の腹に軽く踵を当てるのだった。
「んで、人を引っ掛けない程度にブッ飛ばして、藩都を抜けた訳だけど……この既視感を覚える看板は何?」
この先危険立入り注意、品性は両親から頂いた大切な贈り物、投げ捨てる前に先ずは相談を……悪五郎、被害者の会
街道から猪山藩に繋がる道に有ったのと同じく、時代劇な世界の看板と言うよりは、前世の世界の幹線道路沿いに有る様な大看板。
覚えている感じ、文面も多分一緒だろう。
と言う事は、やっぱり下の方に小さく何処に繋がる道かを知らせる看板が……うん、やっぱり有った。
「えーっと……このさきらのさとここよりはきものをぬいでください……ってなんで全部平仮名なんだよ」
江戸だと、裕福とは言えない所謂貧乏長屋暮らしの者の子でも、読み書き算盤が出来るのは普通である。
その辺が拙い者は口入れ屋なんかでも扱いが軽く、支払われる銭も安いのだ。
腕力に自信が有って、鬼切り者として身を立てようと江戸に出て来た者でも、読み書きが出来なければ鬼切り奉行所に張り出される依頼が読めず割の良い仕事を逃すのは当たり前の事。
簡単な計算すら出来ない者が素材の買い取りで騙されるのも矢張りよく有る話である。
江戸で世帯を持って子供を生み育てる者は、その辺の事情は当然知っているので、自分達の生活の質を上げるよりは、子供の教育に銭を掛ける事を良しとする者が多いのだ。
そしてそうした需要を担うのは、商家が用意した建物で武家の次男や三男と言った部屋住み者が片手技として雇われ先生をしている事が多い……らしい。
いや話には聞いては居るのだが、直臣の子として公立学校に通う事が出来る立場として、町民の勉学に付いて突っ込んで見に行ったりした事は無いんだよな。
「そら江戸や鯱鉾街の中で生まれ育った奴なら漢字込みでも読めるだろうけどよ、其処らの農村で育った奴等なら、平仮名だけでも怪しいぜ? んだから家の道場じゃぁ拳だけじゃ無く読み書き算盤の面倒も見るんだがね」
田舎じゃぁ私道場が私学校を兼ねてるのか……まぁ江戸でも志学館と練武館が『双館』や『両館』とか纏めて呼ばれるんだから、教育機関と言う意味では一緒くたにされる物なのかも知れない。
「んでその看板だがな、この先にゃぁ錬風業ってな氣を高める業を修行してる連中の里が有るんだわ。俺っちも一度修行に行った事が有るんだが……まぁ若い身空で行く場所じゃぁ無ぇやな。いや逆に子供の頃の方が辺に気を使わなくて良いのか?」
ああ、錬風業ってのは御祖父様に聞いた覚えがある、確か大気中に漂う氣の元を吸い込み己の氣を増大化する技法だった筈だ。
他にも滝に打たれ水の中の氣の元を取り込む錬水業や、首まで地面に埋まって大地に満ちた氣を取り込む錬土業、燃える水を体内で燃やし氣を得る錬火業と言う物も有るらしい。
「錬風業は何時かは身に付けたいし、一度は行って置きたい場所では有るな……」
態々その場所に行かずとも御祖父様に習う事も出来るかも知れないが、本場で習う事が出来るならその方が良いだろう、流石に今回は浅雀で時間を取られすぎたので、通過せざるを得ないが……。
そう思い俺が呟いた言葉を聞き、
「……幾ら子供ってもお前さんもヤッパリ男か、そら一度は行きてぇよなぁ、この助平」
火取は酷く下卑た笑い声を隠すこと無くそんな言葉を返すのだった。
……解せぬ。




