四百九十八 志七郎、顛末に悩み吹き出す事
「坊主がぶっ倒れたと思ったら、ソレを皮切りに他の子供共もどんどんぶっ倒れて行って、最後に天弓の野郎の目耳鼻口から血がドパっと吹き出しやがって、慌てて様子を確認したら既に事切れてた、ってな具合でして……」
とろとろに煮込まれた一寸柔らか目の饂飩を喰い終わり、食後のお茶を啜っていると、程なくして火取が姿を表した。
そして叔父上が求めるままに事の次第を語ったのだが……どうやら俺と天弓の戦いは外では殆ど一瞬と言える程度の時間で終わった事の様で、火取からすると気が付いたら終わってた、と言うのが殆ど唯一の事実らしい。
「んで、坊主や子供達をどうやって連れ帰ろうか考えてる所に、地元の衆に頼まれて後詰に来たって言う任侠者達が来たんで、そちらさんに伝令頼んで……後はご存知の通りですわ」
恐らくは、魂だけの世界であの糞鼠諸共に叩き切った事で、その禍害が肉体にも反映され、結果として天弓は死に至ったと言う事なのだろう。
……『人』を殺めたと言う感慨は不思議と湧かなかった。
今まで倒してきた鬼や妖怪とは違う嫌な感触がした事自体は覚えているのに、ソレがどの様な物だったのかが思い出せない。
斬って捨てた遺体を目にする事無く終わってしまったから自覚が湧かないのか……それとも斬ったのが肉体を介さず魂だけだったからなのか……。
前世の世界では、この世全ての生き物に『命の重さ』の違いは無い、なんて事が実しやかに言われていたが、俺はどちらかと言えばソレを鼻で笑う様な質だった。
同じ人間ですら『真っ当な一般市民』と『犯罪者』では前者の命は重く、後者は軽いと思っていたのだ。
……でもこうして実際に手を下したと言うのに、それを後悔する様な感覚が湧かないのは、やはり生き物を殺める事に慣れてしまったが故の事なのだろうか。
「どうした志七郎、難しい顔をして……なんぞ気になる事でも有るのかの? いやまぁ今の話だけで何が有ったか詳しくは判らんから、気になる事が無い方が奇怪しいのだろうがな」
と、俺がそんな事を考え黙っているのを不審に思ったのか、叔父上がそんな言葉を口にする。
「天弓が死んだのは……俺が殺めたからです……、奴が使っていた魔笛に宿っていた鬼の妖力で魂が繋がり、其処で俺が斬りました」
火取が認識出来なかった隔離された世界での出来事を含め、俺は包み隠す事無く全てを吐き出した。
「……そりゃ私利私欲で斬った訳じゃぁ無いからの、どちらかと言えばお前の成したソレは武士の情けの類だろさ。己の過ちを悟り命を捨てる事でしか止まれぬ者を止めたのだから、後悔なぞする方が其の者誇りを汚す事、まぁ思い悩む必要は無かろうて」
「ソレ抜きにしたって向こうから打ち掛かって来たんだろ? 殺るか殺られるかの立合なんだ、どっちかがくたばるなんてのは当たり前の事た。そんな事を一々気にしてちゃぁ長生き出来ねぇぜ?」
対して返ってきたのは双方共に、命の値段よりも誇りの値付けの方が圧倒的に高い、この世界独特の価値観に基づいたと思える物だった。
叔父上の言っている事はまぁ理解出来なくは無い『不名誉な生より名誉有る死を』と言うのは、洋の東西問わず古い時代には当たり前に存在していた価値観だ。
火取のソレも命の遣り取りが日常であるこの世界では、比較的当たり前の感覚だろうし『戦場の習い』なんて言葉はやっぱり古い時代には普通と言い切れる物だった筈である。
結局の所、俺自信が未だに前世の価値観を捨てきれず、引きずられている部分が多々ある……と言うだけの事なのかも知れない。
「むしろ気になったのは、天弓とやらが治めていた地が斯様な鬼害にやられたと言う話の方だの。螺延は小領の割に腕の立つ侍が多く、更に名のある鬼切り者を積極登用しておると聞く。と成れば其程の鬼害の裏には相応の大鬼か大妖が居る筈だが聞き覚えが無い」
浅雀と螺延は直接隣接する藩では無いが、同じ中部地方に分類されているだけ有って、その動向には少なからず注意を払っているのだと言う。
にも関わらず、それらしい大鬼や大妖そして其れ等が根城とする鬼の砦の情報が、叔父上の耳には入って居ないのだそうだ。
「あぁ、そりゃ多分去年の末に北の方で有ったらしい『砦潰し』の一件だろうなぁ。ありゃ被害が出た場所は然程広くは無かったが、ソレでも可也の人死が出た……たぁ聞いてますわ」
曰く、鬼の砦を攻める時には近隣周辺への根回しが大切なのだと言う。
軍勢を率いての砦攻めならば、仕留めきれず取り逃がす鬼の数は然程多くは成らないのだが、稀に行われる事の有る単身での砦潰しは、多くの場合『雑魚に構わず頭を潰す』と言う戦い方に成る、すると……だ。
親玉を潰された事で制御を失った雑魚達はそれぞれが生存本能に従って、ただ生き延びる為に四散するのだと言う。
当然ながら逃走する其れ等が長期間生きるだけの糧食を持ち出す様な事は無く、喰う為には辺りを荒らす事に成る訳だ。
砦が築かれた時点でそれを維持する資材や食料は、周辺を襲い奪った物なのだが、頭目が生きている間の襲撃はある程度制御された物なのに対して、そうなった鬼達はもう目に付く生き物全てを殺し食らう……そんな状態に成るのだそうだ。
故に単身での砦潰しをする時は、必ず近隣の地廻りや口入れ屋、場合に拠っては領主に到るまで、話を共有しておかねば無用な被害が出る事に成る……と言う事らしい。
「砦を攻める時には根切りにするだけの人員を投入するのが定石では有るが、小藩や流しの鬼切り者ならばそうも行かぬ事も有るだろう。それでもソレはソレで後の事を考えれば根回しは必須と言える……のだが、どうやらソレを成した者は大馬鹿だったという事か」
それでも世の中には功名心や対抗心なんかを暴走させ、砦潰しを行う者が居るらしい。
その手の馬鹿に共通しているのは大体の場合『根回しの結果、誰かに先を越されては困る』と判を押した様に言う物なのだと言う。
実際、砦潰しを成功させたと言う武名は、士官を目指す鬼切り者にとっては喉から手が出る程の物である事は間違いないらしく、根回しをしている間に他の者が先んじて……と言うのは、決して無い話では無いそうだ。
「本当に馬鹿も馬鹿の大馬鹿野郎でしたわ。あんだけ周りに被害だしゃぁ、その武名を手に士官するより先に、刺客が飛んでくるに決まってるじゃねぇの。まぁあの手の馬鹿は子供虐めんのと違って良心の呵責なくぶん殴れて良いやね」
……と笑いながら火取が言い放った所を見ると、どうやらその砦潰しをやらかした男は、既にこの世には居ないのだろう。
つまり天弓が復讐するべき相手は、火取の手で既に討たれて居た後と言う事か……やはりあの糞鼠の契約ってのは詐欺としか言い様の無い物だった訳だ。
ん? と待てよ、そう言えばあの糞鼠は結局どうなったんだ? 一太刀馳走したのは間違いないが、ソレで本当に仕留めきれたのだろうか?
もし万が一、また別の相手を誑かして同様の事件を起こされたら、今度は止める事が出来るとは思えない。
そもそも俺達が運良く立ち寄り、阻止する事が出来たのも偶然と言うか……きっと『神の加護』故の事なのだろうし……。
「あの天弓が持っていた魔笛は? アレが概ねの元凶だったんだが……」
と、この場でソレを知る可能性の有る火取に問いかけた。
「ん? ああ、ありゃぁ良い銭に成るかと思ってちゃんと破片は回収してあるぜ? まぁ金で出来てんのかと思ったら、よく見りゃ真鍮っぽい何かだったんで、然程高くは成らねぇだろうけどな」
すると返って来たのはそんな身も蓋もない言葉であった。
時に贋金と揶揄される事も有る真鍮製だったのは、あの糞鼠が所詮は小悪党に過ぎない存在だと言う証左の様に思えて、俺は思わず吹き出すのだった。




