四百九十五 志七郎、志士の覚悟をしる事
一合撃すら交える事無く、勝負は付いた……と、そう思うのは流石に早すぎるだろう。
俺は油断する事無く八相に構えた刀を握り直し、天弓の様子を探る。
俯向き肩を震わせる天弓は、此方に対する集中力こそ失っては居る様だが、その構えに大きな綻びは見えず、半端な仕掛け方をすれば反射的な反撃でもあっさりと討ち倒される未来しか見えない……けれども狙うべき場所は見定まった!
俺は刀はそのまま動かさず、天弓の姿が視界の端に残る様に意識しつつ、視線をそちらへとゆっくり動かす……。
そう、討ち倒すべき相手は使いっ走りじゃぁ無い、頭の方だ!
……いや、マイケルも黒幕かと言えば決してそんな事は無く、鉄砲玉も良い所の使い捨て要員なんだろうけれども。
例えるならば海外の黒社会が日本の暴力団から縄張りを奪う為に、先ず手始めとして口先の回る男を派遣し、地元の不良連中を口車に乗せて半グレグループを形成し、暴力団の収入源を奪う……と言うのが近いかも知れない。
そう言うのは実行犯を逮捕するのも重要だが、それ以上に絵図面を引いてる者をどうにか叩かなければ、似たような事件は起こり続ける事に成る。
無論、本国に居るだろう真の黒幕に手を伸ばす事は出来ないが……それでも侵略の橋頭堡を築こうとする尖兵を討ち続ける為に武士が居るのだ。
「おい! 馬鹿! 何ぼぅっとしてやがんだ! 今更後悔したって遅ぇんだよ! お前ぇが契約に違反したり破棄したりするってんなら、押さえてる子供共の命ぁかっ喰らって全部台無しにしてやっても良いんだぜ!」
俺の狙いに気が付いたのか、マイケルが切羽詰まった声でそう叫び声を上げると、刹那の時すら置かず頭蓋を叩き割らんと鉄杖が振り下ろされる。
しかしソレは殺意が有るには余りにも稚拙で判り易い攻撃、八相の構えからならばほんの少し刀を動かすだけで容易に受け止められるものに過ぎず、手応えも驚く程軽く、咄嗟に受け止めた姿勢から、一寸氣と力を込めれば体格差等無いかの如く、簡単に押し返せた。
一度先手を取ったからには反撃を許さないと、言わんばかりに二合撃、三合撃と続け様に打ち込んでくる。
刃金と黒鉄のぶつかり合う甲高い音を響かせるが、本気で俺を殺しに掛かった物では無く、態々受け止めやすい様な軌道で打ち込んで来ている様に思えた。
とは言え、狙い自体はきっちり急所を突いて来ているので、此方が少しでも気を抜けばあっという間に俺の命は刈り取られるだろう。
「お! そうだ! さっさと捻り潰せ! その小僧の魂が喰えりゃ、お前ぇも生き残れるかも知れねぇぞ! ガツンと頭を柘榴みたいにしちまいな!」
打ち合って居る身からすれば全く本気とは思えない攻撃なのだが、武芸に優れているとは言えないマイケルの目には十分に迫力有る物に映った様である。
両手両足の指を足した数を優に超える打ち込みを弾き、躱し、受け止め、そろそろ集中力を維持し続けるのも厳しく感じ初めた……そんな時、今までの『撫でる』様な軽い打撃では無い腰の入った一撃が俺の刀を押さえ付けたのだ。
即座に全力で押し返さなければ刀諸共に押しつぶされていただろう……それでも恐らくは全力とは程遠い手加減された一撃。
所謂鍔迫り合いの体勢で押し合うが、体格の面で此方が圧倒的に不利な事を考えれば、此方に勝ち目は無い。
本気の勝負ならばこの姿勢に持ち込む必要も無く、急所を打ち据えれば蹴りは付く、にも関わらず、態々そうしたその意図は直ぐに知れた。
「諸共に切り伏せろ……」
強く一押しする様にしながら顔を寄せ、この距離でも聞き取れるかどうか怪しいほどの微かな声で、そんな台詞を曰ったのだ。
……奥歯が軋む嫌な音がした。
それは俺自身の物かそれとも天弓の出した音だったのか……ただ、その何方も込められた感情は同じだろう……己の力の無さを悔いて居るのだ。
俺がもっと強ければこんな手心を加えられる様な決着には成らなかった……そもそも天弓がもっと強く村を守り切る事が出来れば糞鼠に良いように騙される事も無かっただろう。
武士として……男として……悔しいなんて言葉では決して足りる事は無い。
俺のソレは只の我儘に過ぎない……だが彼の心中が如何程の物か……。
己の欲望のままに罪を犯した者は何人も見てきた。
止むに止まれぬ事情で罪を犯さざるを得なかった者も偶には居た。
海外での捜査研修では麻薬中毒者や極端な貧困から、捨て鉢に成ったとしか思えない己の命すら顧みない者を相手取った事も有る。
……その中には、此処まで悲愴な覚悟を持って事件を起こし、その結果が誤りだと気付いた時、潔く己の命すら投げ打ってでも事態を収拾しようなんて者は一人も居なかった様に思う。
人は己の正義の為ならば幾らでも残酷に成る事が出来ると言うが、その『正義』が誤りだと認める事は……そして己の犯した罪を認めるのは……大きく重い事程難しい。
矜持を曲げて、どんな犠牲を払ってでも、誰を巻き込んででも、己の正義を信じて復讐を果たす……その方がずっと簡単なのだ。
にも関わらず、武士として統治者として、無用の被害を出したくないと言う信念に命を捨てられる、その覚悟に『武士道と云ふは死ぬことと見つけたり』と言う葉隠の一説が思い浮かぶ。
アレは決して『簡単に命を捨てろ』と教えている訳では無い、戦国の頃に有った『一所懸命の土地』を争う事が無くなった事で、命を賭す事が少なくなった時代に『武士として物事には命を賭す覚悟で当たれ』と言う覚悟を訓えた言葉だ。
それでも幕末の頃には、多くの侍がその言葉を胸に命を散らした覚悟の言葉でも有る。
どうにかこの覚悟の志士を討たず決着を付ける事は出来ないか……そんな考えも一瞬脳裏を過ったが、幕府が容認し大藩浅雀の領地で営まれる人市を襲った以上、この場を逃れても咎人の誹りは免れないだろう。
……そして彼の覚悟と矜持の在り方を考えれば、此処で討たれずとも逃げ隠れする様な事はしないと言うのも容易に想像が付く。
彼が信念を貫く為には、俺が今此処でこの手で、あの糞鼠諸共に叩き斬る以外には無いのだろう。
俺が腹を決めた事はどうやら彼にも伝わったらしい……押し合う力が少しだけ緩くなる。
ソレに併せて刀を押し返し、併せて右足で前蹴りを繰り出す。
「ぬあ! ちょ! 何やってんだ! お前ぇ! 此処で潰さなけりゃ! お前ぇが嫌がってた通りに子供共、ぶっ殺さねぇと成らねぇんだぞ!」
無論、蹴り飛ばすのはマイケルが居る場所へ目掛けてだ。
奥歯が砕けそうに成る程に強く強く歯を食い縛り……普段の八相から刀を下ろし脇構えに近い体勢で、マイケルと天弓の身体が打つかりあったその場所へと全力で踏み込む。
振り絞れるだけの氣を全て刀に押し込んで、二つの胴を纏めて叩き切るつもりで横薙ぎに振り抜いた。
……今まで何度も繰り返して来た鬼切りで生き物を斬る事には慣れていた筈なのに、手に伝わるのはこれ以上無い程に、嫌な嫌な感触。
それでも途中で止める事無く、一気に振り抜いた……
「ちょ……待てよ……な、なんで俺まで……」
糞鼠が囀る声が耳に届くが、そんな事はどうでも良い。
真一文字に胴を切り裂かれ、苦痛に歪む筈の天弓の口元が、微かに笑みを浮かべた様に見え、それから視界が白く染まって行く。
「「「あお! あおーん!!」」」
何処か遠くから四煌戌の鳴き声が響き渡ると、純白に染まった世界が割れ……俺は意識を手放すのだった。




