四百九十三 志七郎、理由を知り覚悟を問う事
八相に構えた刀を微かに揺らしてみたり、ほんの半歩踏み込んでみたり、視線に力を込めて狙うべき場所を見定めてみたり……相手の反応を探る為に小さな虚動を繰り返す。
そんな俺の努力は実らず、天弓はソレに釣られる様な事も無く、構えた鉄杖を小揺るぎもさせる事も無い。
見切られているのか、それとも実際に動き出してから動いても後の先を取れると甘く見られているのか……何方にせよ、まともに打ち掛かって勝てる相手では無さそうだ。
と言うか、隙らしい隙が全く見当たらない辺り、技量は俺より上で火取よりは下と言った所だろう。
もしかしたら前世の曾祖父さんと同格前後と言った所だろうか?
火取ならば敢えて仕掛けやすい隙を誘いと解らない様に晒し、攻撃を誘う位の事はしてのける。
殆ど完全としか見えない構えを取ったまま、待ちの体制に入った所で千日手に成るのは目に見えているのだ。
いや……むしろそれが狙いか? でも何故だ? 時間が向こうの味方に成る要素が有るのか?
何にせよ格上が待ちの姿勢に入っている以上、下手に動くのは悪手だが、だからと言って何も仕掛けずに居ても負けは見えているだろう。
「何故、何の咎も無い女子供を攫う様な真似をした? 人市を守っていた連中だって、八九三者とは言え上の指示で仕事していただけで、人攫いの様な非道をしていた訳じゃぁ無いだろう?」
……と成れば、直接殴り合うだけが戦いの手段じゃぁ無い、舌戦だって立派な戦術だ。
「貴様の様な小僧に……それも大名の子等と言う特権階級の者に、下々の悲哀なんぞ解るまい……。されど聞きたいと言うならば教えてやろう、冥土の土産と言う奴だ……」
時間稼ぎが目的か、それとも本当にその胸の内に燃え宿る復讐の理由を話したかったのか……兎角、天弓はそんな台詞から訥々と語り始めた。
その話に拠れば天弓家は古くは京の帝に仕え、大江山の鬼を討伐する際にも一役買った事が有ると言う武家としては最古参の名家と言える血筋なのだと言う。
しかし後の乱世に呑み込まれ断絶寸前にまで没落し、何とか命脈を繋ぐ事は出来たが往年の栄華を取り戻す事は出来ず、六道天魔との戦いにも何とか戦列の端には居たものの、大きな活躍は無く、武家として存続したのが奇跡と言える様な有様だったのだそうだ。
それでも先祖伝来の小さな領地諸共に、その周辺一帯を治める大大名の傘下に入り、陪臣の身では有るが何とかかんとか最低限度の生活は維持できる……その筈だった。
だが禿河の治世と成って暫くの後、主家が減俸国替えされる大失態を犯す事に成り、その結果小藩と成った主家では家臣団を維持出来ず、少なくない者が浪人の身に落ちぶれる事に成ったのだと言う。
それが祖父の頃で、父の代では仕官先を見つける事は出来ず、彼が成人した頃には仕官を半ば諦める様に鬼切りに邁進した。
結果、螺延藩家臣七浪正雪の目に留まり、陪々臣では有るが再び主君を頂く様に成ったのだそうだ。
けれどもこの世の春……と言えば言い過ぎだが、ソレでも今までとは比べ物に成らない安定した生活が出来たのは……たった二年間の事だった。
管理を任されていた小さな山間の集落に、鬼や妖怪が怒涛の如く雪崩込んだのだ。
無論、ソレに対して彼が何の対策もして居なかった訳では無い、ソレらしき鬼の群れが確認された段階で早馬を藩都へと走らせ援軍を請い、ソレが来るまで防衛に徹したのである。
と、其処まで感情の籠もらぬ声で淡々と口にした彼だったが、其処で一瞬の溜めを取り……
「拙者は……いや拙者だけでは無い、村の者達は皆必死で戦った。男共は勿論、初陣も済ませていない様な女子供すら、村を守る為それぞれが出来る事は全てやった……だが! だがしかし! 拙者がこの杖で最後の化物を叩き殺すまでの三日、援軍は来なかった!」
それまでの冷徹にも見える無表情が嘘の様に、激情のままに声を張り上げるその様は、彼の中にある深い深い憎悪と絶望を塗り込めた物だった。
にも関わらず、打ち込むべき隙が見受けられないのは、潜り抜けた修羅場がそれだけ過酷な物だった証左なのだろう。
彼の話を信じるならば……『見捨てられた』と判断しても奇怪しくは無い。
それを念頭により猜疑心を強めて見れば、そもそもその襲撃自体が彼の統治する村を潰す為に計画された物とすら思えてくる。
とは言え、近場に鬼の砦が築かれると、その周辺一帯で大きな被害が出続け、場合によっては小藩丸ごと一つ血の海に沈む事も有るのだ。
俺が此方の世界に生まれる前の……一郎翁が活躍した頃には十二体もの大鬼や大妖が跳梁跋扈し、火元国の中に人が住める場所は今の三分の一程度だったのだとも聞いている。
恐らくは彼の村が襲われた時、きっと他の場所でも同様の戦いが勃発していたのだろう。
もしかしたら彼が応援を呼ぶ為に出した早馬も、領都に辿り着く前に鬼共に襲われたと言う事も考えられる。
言い方は悪いが火元国中を見渡せば規模の大小はあれど毎年何処かで起きている、取り立てて珍しいと言う程の悲劇では無いのだ。
無論ソレは比較的安全な江戸に住む身だからこそ、そう思えるだけであって、自身が当事者と成っても同じ事を言えるとは全く思わない。
「貴殿が武士として、統治者として、護るべき民を守り切れなかった事に悔恨を抱くのは当然の事だ。ソレが誰かの所為だと言うならば、その怨みを晴らしたいと願うのも理解は出来る」
気持ちは解る、なんて無責任な事は言えない……でもだからこそ、
「だからこそ、無関係の者を巻き込み無差別に恨みをばら撒く、その行為に疑問は無いのか? ソレが貴殿の矜持に悖らぬ正道だと本気で信じているのか……他ならないあんた自身が!」
俺は彼の武士としての矜持を刳る言葉を口にする。
正しい事をただ正しいと言うのは簡単だ、けれども正しい事を正しく成すのは難しく、ソレを続けると成ればその道は生半可な事じゃぁ無い。
それでも武士……いや統治側に立つ者は、公の僕とも言える者達は、少なくとも体面上は正しい自分を保ち続ける義務が有る。
彼の様に既に統治すべき民を失った者にソレを求めるのは、筋違いと言えるかも知れないが、この期に及んで与太者達を可能な限り殺す事をしなかった彼には、未だ『正しさ』に未練が有る……そう思えたのだ。
「言わんとする事は解る。幾ら家族から見捨てられ売り払われた者達とは言え……世間に真正面から顔を向ける事の出来ぬ破落戸共とは言え……私事の犠牲にして良い訳が無い……だが既に後悔するには遅すぎる! 最早止まる事等出来る訳が無い!」
多少なりとも得物を持つ手に迷いが生じてくれる事を祈っての言葉だったが、残念ながらこの程度では奴の覚悟は揺るが無い……。
「異界の妖魔の手を借り事を成せば、外の世界からの侵略者に力を与える事になる。あんたの復讐とやらが成功した時、同じ様な悲劇が他所で起きるかも知れない……いや先ず間違い無く起こる。その引き金をあんたが引くって言うのか?」
復讐なんて意味は無い、無駄な事は止めろ……なんて教条的な台詞が彼の心に響く事は無いだろう。
既に成した事を消す事は出来ず、それを後悔しないと歯を食いしばる事は出来るかもしれない……だが自身が晒された理不尽を他者に強いる可能性にまで踏み込んで、それすら呑み込む事が出来るだろうか?
ソレを示唆する言葉を投げかけられても、迷いを生じる事無く俺を打ち倒す事が出来るだろうか?
これが賭けである事は間違いないが……思い留まるでも、激昂するでも全く隙の見受けられない現状よりマシだろう。
一挙手一投足、呼吸の一つすらも見逃さぬ様、氣を高め気を研ぎ澄ますのだった。




