四百九十二 志七郎、手を止め考えどツボに嵌まる事
互いに闘いの始まりを告げる声を口にはしたが、俺も天弓も先手を取る事をしなかった。
向こうがどの様な思惑でそうしたのかは、推し量る事は出来なかったが、俺の方は迂闊に手を出すと手痛い反撃を貰う、そんな気がしてならなかったのだ。
奴の腰には刀は無い、右手を腰の後ろに回し左手の甲を此方に向け、腰を落としたその構えは無手の拳法……それも前世に映画等で見た中国拳法、所謂功夫のソレに見える。
しかもご丁寧に掛かって来いと言わんばかりに、左手の指を揃えて曲げ、手招きにもにた素振りを見せた。
……安い挑発に乗って考え無しに突っ込むのは悪手だ、狙うべき隙が無い訳では無いが、それも恐らくは此方に先手を打たせる為の誘いだ。
無手もしくは短刀等の間合いの短い得物で、遠間の武器を相手にする時は、先手を打たせた上でソレを防ぐか躱すかして懐に入ると言う戦法が有る。
子供相応の体格に合わせた短く詰めた刀は長物と言う程ではないし、身長差を考えれば無手でも間合いは然程変わらないとは思うが、態々誘いを掛けてくるのだから、此方が受けに回るのが嫌なのだろう。
だがそれ自体が引っ掛けで、実は後ろ手に回した手にある程度以上の長さの得物を隠していると言う線も有り得るかも知れない。
せめてもの抵抗と言うか何というか、俺の方も腰に佩いた鞘から拔く事をせず、抜刀の構えで刀を隠し、すり足でじりじり相手の左側へと左側へ……と回り込む様にして間合いを調整する。
もしも妙な武器を隠し持っていたとしても、持ち手とは反対の位置を取っておけば、ソレを十全に振るう事は出来ないだろうと言う判断だ。
無論、相手もソレを見越して突き出した左手が常に俺の真正面を向く様に動くが……俺が運足を敢えて乱す事で、少しでも身体の位置をずらす様にすると、むしろ正面を合わせると言うよりは右手を隠している様にも見える。
いや右手では無く、その手に持っている物を……だろう。
抜刀術の利点としてよく上げられるのが、刀を隠す事でその間合いを見誤らせる事だが、今の奴の立ち回りはソレと良く似ている様に思えた。
そう考えると、俺が先手を打って仕掛けるのを待っていると言う点は変わらないが、懐に入る事を目的としている、と言う前提は完全に崩れる。
むしろ、そう思わせるのが目的で、同等かそれ以上の間合いの得物を使い、俺の動き出しを叩くと言う戦術の方が有りそうだ。
だがだからと言って、手を隠している者を相手に仕掛けてくるのを待つと言うのも悪手だろう。
義二郎兄上や一朗翁の様に『本能』で闘う質ならば、感に任せて見てから動くと言うのも選択の範疇だが、残念ながら俺は何方かと言えば『思考』を突き詰めて詰将棋の様に闘う質だと何度か言われた事が有る。
……よし、奴の手には此方と同等かそれ以上の間合いの有る得物が隠されている、ソレを想定して此方から打って出よう。
ただし全力で先の先を取りに行くのでは無く、向こうの得物を暴く為の虚としてだ。
相手は真っ当に稽古を積み重ね、二つ名を持つほどでは無くとも仕官先から話が来る程には使い手なのだ、一太刀で勝負を極めようなんて思い上がりは捨てろ。
一足飛びに斬りかかる様な仕掛けは、迎撃してくださいと言っている様な物だ。
と成れば……取るべきは間合いの外から仕掛けるのが良いだろう。
肉体が介在せず、魂が剥き出しのこの状態で氣を纏う事は兎も角、放つと成るとどんな影響が有るかも解らないが……懐に愛銃の重みが感じられない以上、遠間で繰り出せる手立ては他に無い。
空気其の物が有るのかどうかも解らない、呼吸をしている事すら今一つ曖昧なこの場所でも、氣を練る為の呼吸で胸の奥から力を汲み出す事は可能な様だしな。
そこから氣を高めるで無く、全身に纏った氣を鞘に入ったままの刀に押し込んで行き……抜き放つと同時に一気に解き放つ。
踏み込む事すらせず、横薙ぎに振り抜いた刀は当然相手に届く事は無いが、その切っ先から放たれた氣は斬撃と成って直接飛んでいく。
直後、刃金と刃金が交わる甲高い音が響き渡った、
矢張り無手では無かった、しかも俺の刀よりも余程長い!
その手に有ったのは黒く真っ直ぐな鉄の棒、その長さは凡そ四尺《約120cm》と言った所だろうか?
握りの様な物は何も無く、槍の様な穂先も無ければ石突きの様な飾りも無い、その両端はそれ以上に長い棒からただ切り出しただけにも見える、極めて簡素な武器だった。
もう少し長ければ、やはり功夫で使われる棍と呼ばれる武器にも見えただろうが、アレは確か身長よりも大分長かった筈なので、少々違うと言えるだろう。
その棒を俺から見て身体の真後ろに伸ばす様に持つ事で、今の今までその存在を隠していたのだ。
「突けば槍」
一度見せたからにはもう隠す必要は無いと言う事なのだろう、天弓はそんな台詞と共に鉄棒を扱く様に持ち、鋭い突きを俺の喉元目掛けて繰り出した。
「払えば薙刀」
身を半分ずらしソレを躱すと、突き出した位置からそのまま首を刈る様に横薙ぎに振り払われる。
刀を立てその一撃を受け止めると、衝撃の重さに刀を飛ばされそうに成るが、打撃の力に逆らわず自ら飛ぶ事で凌ぎ切る。
「持たば太刀」
着地し即座に反撃を考えるが、ソレよりも早く引き戻された棒を丸で刀を構える彼の様に正眼に向けられ、余りの隙の無さに手を止めてしまった。
……棒じゃない、アレは杖だ!
奴の口にしたソレは、何処の流派だったかは忘れたが、杖術を伝える口伝の類だったと思う。
「……杖はかくにも、外れざりけり」
その流派の杖術を使う者と遣り合った事は無いが、警察官が必修として学ぶ『逮捕術』の中に含まれている『警杖術』は俺も当然ながら振れた事が有る。
俺の記憶が確かなら、その警杖術の源流がその流派だった筈だ。
全く見ず知らずの未知なる危険と言う訳では無いと知れただけで、ほんの少しだけ安堵すると共に気を引き締め直す。
俺の知っている警杖術は、逮捕を目的とし相手を必要以上に傷付けては成らないと言う縛りの中で変質した物で、奴が使う敵を殺める事を前提とした物とは違う筈なのだ。
だが確か『傷付けず人を懲らしめ戒める教えは杖の他には無い』と言うのも同じ流派の教えだったのでは無かったか?
とは言え、命の遣り取りが日常の直ぐ横に有るこの世界で、そんな言葉が果たして同様に息をしているかどうか……。
うん、余計な事は考えず、どう攻め手を組み立てるかを考えろ。
何処を握っても扱える故に刀剣よりも間合いの調整が容易で、攻撃の方は剣術より多彩だった筈だし、得物が長い分だけ守りも固いかも知れない。
けれどもそれは飽く迄も相手が自由に動けると言う前提に於いての事だ。
戦いってのは結局の所、どうにか相手の自由度を潰し、嫌がる事を押し付けるかなのだ。
人として奇怪しな可動範囲でぶん回す様な事は無い筈だし、鬼や妖怪を相手にするよりはずっとマシな筈……。
と、相手の動きに警戒しながらそんな事を考えていた所、正眼に良く似た構えから左手はそのまま端を持ち、右手を逆手にした状態で中程を掴み上段構えの様に高く掲げる……そんな奇妙な構えを取った。
上段の構えは剣ならば攻め気が強く『火の構え』とも呼ばれるが……。
ぶっちゃけ警杖も剣の延長上でしか扱った事の無い俺では、アレがどう言う意味を成す構えなのかも判断が付かない。
コレは一寸拙いかも知れない……半端に知っているよりは全く未知の物だったほうが開き直って打つかって行けたかも知れないが……。
あれ? 思ったよりヤバイかも? 向こうは刀を相手に戦うのはソレこそ日常茶飯事だろうが、俺にとっては殆ど初見と変わらない様な武術だ。
これをひっくり返すのは一寸、どころではなく無理をする必要があるかも知れない……
そう思いながら、俺を喉を鳴らして口に溜まった唾を飲みこむのだった




