四百八十八 志七郎、霊薬を食らい跡を追う事
「ちょい待て! 魂渇れにゃぁ此奴が効くんだ。氣渇れだけが原因じゃねぇんだから補氣丸は止めとけ、そりゃ魂から無理矢理氣を絞り出す霊薬だかんな」
百戦錬磨の武芸者である火取は、ある程度霊薬の知識も持ち合わせているらしく、俺が氣を回復させる為に飲もうとした霊薬の名を言い当てながら、そう言って黒い焦げの塊の様な物を俺の口に突っ込んだ。
「んが! ん、ん」
突然の事に思わず吐き出しそうに成るが、ソレを見越して居たらしい火取は俺の顎を押さえて強引に咀嚼させる。
口の中に広がる苦味と生臭さ……良薬口に苦しとは言うが、コレは一寸頂け無い……。
いや即座に反吐を吐きそうに成ったり、不味さのあまり意識が飛ぶ……なんて程では無いので、コレよりヤバイ味の霊薬が無い訳では無いが……それでも涙目に成る程度には不味い。
何とか無理矢理飲み下すと、直ぐにほんの僅かでは有るが身体に力が戻ってきた……うん、効果の程は確かな様だ。
「何を飲ませたんだ? 思った以上に回復が早いんだが……」
魂を直接回復する霊薬……と言うのは智香子姉上に習った中にも、持たせて貰った中にも無い。
と言う事は錬玉術で作られた物では無く、火元国の……若しくは東大陸方面でのみ知られている様な、特殊な薬なのだろうか?
「ああ、此奴は所謂井守の黒焼きって奴だ。ああつっても其処らのイモリを取っ捕まえ焼いて食うとかすんなよ毒有っからな。詳しくは知らねぇが、雪深い地域でしか育たねぇ特定の井守を秘伝の製法で加工した物なんだとよ」
『井守の黒焼き』は信用出来る薬師が作った物でなければ中る事が有り、その症状は概ね河豚に中ったのと変わらない症状で、下手をするとそのまま命を落とす事が有るのだという。
コレは浅雀藩都の大店で買い求めた物で、其処は野火家の御用を務める商家の一つでも有る為、まず間違い無く信用して良い物なのだと言う。
いやソレって結構な貴重品なんじゃぁ……と言うか、魂の力が枯渇するなんて氣脈痛より珍しい症状だろうに、なんでソレを治療する霊薬なんて持ち歩いてるんだ?
「ん? ああ、此奴は本来、手前ぇで飲む霊薬じゃぁ無ぇのよ。此奴はようはまぁ……所謂媚薬って奴だ、気に入った女に粉にしてブッ掛けんだよ。女鬼や女妖怪にもよく効くんでな、正攻法で打っ倒せない様な奴を相手にする時の為に用意してんだわ」
幾ら達人と呼ぶに相応しい使い手だとしても火取の流儀は拳で殴り倒す事、刃の無い寸鉄や鋭く尖った峨嵋刺と呼ばれる暗器を何種類か持っては居るが、中には物理攻撃其の物が通らない様な化物は居なくも無い。
そう言う者と出会した時に、逃げる以外の選択肢を用意する為に、彼は幾つかの道具を常備しているのだという。
「氣と技を駆使すりゃゴリ押しも出来なくは無ぇが、他に簡単な手が有るならソレを躊躇わねぇのが修羅場を生き残る骨だわな。まぁ勃つ物も勃たねぇお子様にゃぁ取れねぇ手立てだろうがな」
と、下卑た笑い声を上げながらそう言って、更に口を開き
「もちっと大きく成ってから使うにしても偽薬にゃぁ気ぃ付けるんだぜ、パッと見おんなじ様に見えてもきちっとした奴じゃ無けりゃソッチの効果も無ぇからな。多分魂に訴えかける効果が有るからこそ媚薬にも魂渇れにも効くんだろうからな」
今度は打って変わって歴戦の勇士の顔でそう言い放つ。
その顔を見れば、サトリの様な心を読む能力など持たない俺でも気がつく事が有る……多分、火取はその手の偽薬に引っかかった事が有るのだろう。
それでも生きている事を見るに、恐らくは下の方の効果を期待した時に……。
いや、まぁ俺も男だから、そう言う薬に興味が無い訳では無いが、そう言う裏技に頼って『致す』事が良い事とは決して思えない。
やっぱりちゃんと口説き落として惚れさせて、愛を紡いだ上で到る事だと思うんだ。
……何処か遠くの世界で誰かに「だから魔法使いのままくたばるんだ」と言われた様な気がしたが、まぁ気の所為だろう。
そんな益体もない事を考えつつ、そろそろ身体に力が戻ってきたので、身体を起こしたその時だった。
「うぉぉぉおおお~ん!」
「ばう、ばうばうばう!」
「うぉん! ぅぉおん!」
四煌戌が俺を呼ぶ声が聞こえてきた、どうやら子供達の匂いを見つけたのだろう。
一々言わずともソレは火取にも伝わったようで、俺達は無言で頷き合うと即座に外へと飛び出すのだった。
「これ匂いを追わなくても多分追いかけれたな……」
充満する血の匂いの中から、攫われたと思しき子供達の匂いを探し当てた四煌戌達には悪いが、俺は道すがら思わずそんな事を呟いた。
疎らに生えた木々の間にはしっかりくっきりと多数の子供達が通っていったらしい足跡は残っているし、彼らを連れて行く障害に成ると判断されたであろう鬼や妖怪の斬り殺された死体がゴロゴロと転がっていたのだ。
「たぁ言え、その犬っころが居なけりゃ此方に行きゃ良いって事が解るまでもっと時間が掛っただろうよ。俺っちの風太も鼻が効かねぇ訳じゃぁ無ぇが、流石にあの血みどろの中から子供共の匂いを拾わせんのは難しかっただろうからな」
あー、うん、それはそうかも知れない、確かに方向を定めて一歩踏み出してからは間違う要素は無く成ったが、飽く迄それは結果論だ。
「むしろ気にしなきゃ成らんのは、種類問わず化物共がきっちりぶっ殺されてる事だろうよ。これだけの事が出来んのに、人市に居た連中が死んだ奴の方が少ねぇってのが解せねぇ……」
確かに転がっている死体の大半は一刀のもとに切り捨てられているのが見て取れる、しかもソレは小鬼の様な雑魚ばかりではなく、俺では一太刀で仕留めるのが難しそうな巨体を晒している者も居るのだ。
それだけの攻撃力が有るならば、火取の言う通り人市に居た破落戸連中程度ならば、幾ら数が居ても皆殺しにする事位簡単な事だっただろう。
にも関わらず、大半の者が即死する様な傷を受けていなかったのは、恐らく手加減されていたからだ、そしてその理由も想像が付く。
「多分後から見つけた者が手当に時間を取られて、追いかけるのが少しでも遅く成るようにする為……だろうな」
敢えて即死させず怪我人を出す事で後送や手当の手間を増やす……と言うのは確か対人地雷絡みで見聞きした話だっただろうか?
兎角、時間稼ぎを考える成らば効果的な手段だろう、実際俺達も彼らを助けるのにそれなりの時間と資材を使わされる事に成った。
「何だそりゃ……厄介なんてもんじゃねぇぞ。少なくとも普通の化物の考える事じゃぁねぇ。かと言ってまともな人間に出来る様な規模の話でも無ぇ……マジで勘弁してほしいぜ本当に」
うん、幾ら与太者連中が相手と言っても数と言うのは暴力だ、少数の人間があの惨状を作り出し子供達を連れ去ったとは一寸思えない。
だからと言って組織だった犯行と言うのも、動機と言う点で考え辛い。
人市に集められた娘達は火元国中に……言い方は悪いが出荷されるのだ、そんな所を襲えば火元国中を敵に回す事に成る。
一応は公的に認められた場である以上、直接幕府が運営に関わっておらずとも、面子を潰されたと考えても何ら奇怪しくは無いのだ。
故に子供達を掻っ攫って転売する……と言う話は有り得ないだろう、誰が幕府に目を付けられた者達と取引すると言うのか。
外つ国に売り払うならば相手は気にしないかも知れないが、残念ながら火元国は海に囲まれた島国、少数を小舟で運ぶ事は出来なくも無いかも知れないが、多数を乗せる事が出来る様な大船は一部の湊じゃなければ入れない。
そしてそう言う場所は当然の事ながら、臨検なんかも厳しくやっているので、纏めて連れ出すのは実質不可能と言って良い。
……考えられるのは、何時ぞやの『界破り』を目論んだ山姥と歌い骸骨の様に、その場で生贄にでもして使い捨てると言う事だろう。
江戸市中で大穴を開ける程では無いだろうが、此処浅雀は街道を抱き込む大藩、その被害は決して小さな物では無い筈だ。
果たして相手は鬼か妖怪か……それとも別の『何か』だろうか……手掛かりが少なすぎて考えても仕方がない事だとは解っているが、ソレでも嫌な予感がする事だけは間違いない。
「ん、一寸待て……何だ、この音ぁ……」
そんな事を考えながらどれほど進んだだろうか……突然火取が指を口の前に立てそんな事を呟く。
目を閉じ耳に氣を集中させると、木々の枝葉が擦れる音の中に紛れて響く笛の音が確かに聞こえたのだった。




