四百八十二 志七郎、旅路を進み道連れに成る事
首謀者である谷梅扁秀が切腹し、彼に踊らされた形の七浪正雪も蟄居の処分が下り、今回の一件は始末が付いた事に成った。
昨夜、此処に姿を表しその処分を伝えた螺延、武士見両藩主は日が昇るよりも早く、江戸へと帰って行った。
基本的に参勤で江戸に居る大名は、幕府から何らかの役目を与えられていればソレを為すのと平行して何をするのも比較的自由なのだが、役目が無い藩主は江戸城に詰めていつ何時突発的な仕事が割り振られても良いように待機していなければ成らないのである。
とは言えソレは義務の類では無く、登城しなかったからと言って何らかの罰を受ける様な事は無い。
飽く迄も手柄が欲しければ即応出来る様にしておいて、運良く仕事を割り振られ首尾良くソレを熟せば幕府の覚えも目出度く成り、時と場合に拠っては領地加増等の褒美が与えられる……かも知れない、と言う程度の話である。
しかしその小さな可能性にでも賭けて、少しでも家格が上がる様に幕府への貢献を積むのが中小藩の日常なのだ。
猪山藩の様に功績が溜まりに溜まっているが、立地の関係で加増が難しく、だからと言って例え栄転でも国替えは御免である……と言うのは極めて特殊な例と言える訳で、父上が登城しないのを疑問に思う者は居ないが、二人が居なければ訝しむ者も居るだろう。
流石に参勤で江戸に居る筈の二人が外に出た事が明るみに出れば、その理由も公にしない訳には行かず、折角内々に処理しようとしたのが水の泡と成りかねないのだ。
故に彼らはお忍び頭巾を被って騎獣をかっ飛ばして此処までやって来て、事が終わると母子との再会もそこそこにさっくり帰っていったのだ。
「んで、残った三人は浅雀に預けて、坊主はサクッと先に行く訳か。にしても真逆、浅雀の御殿様ぁ態々十人から若い衆を先に走らせるたぁねぇ……気っ風が良いのか、それともそんだけ坊主が信頼されてんのか……」
事に蹴りを付けて旅籠に戻った俺達を待っていたのは、母子の保護の為に叔父上が先行させた浅雀藩士だった。
この間の野菜討伐戦にも参戦していた顔ばかりだったのは、多分俺が安心してさっさと旅立てる様にと言う叔父上の配慮だったのだろう。
にしても……だ、
「……一体何処まで付いてくる気なんだ? 態々そんな騎獣まで連れてきて」
何故、事が済んだと言うのに火取は、狸なのか鼬なのか、それとも洗熊か白鼻芯か、兎角動物に然程詳しく無い俺では、区別が付かない妙な騎獣に乗って付いてきているのだろう。
「ん? 昨日も言っただろよ、幾ら主無したぁ言え俺も武士の端くれだかんな、借りを作ってソレを返さず帰る様な真似は出来ねぇってんだ。荒事無しの護衛一晩でチャラにゃぁ成らんだろさ、せめて大川の渡場までは送って行かねぇとな」
手綱から左手を放し、空いたその拳が二度三度と空を切る。
腰を入れて撃っている訳でもないのに、その場の空気が弾ける音が聞こえる辺り、彼の拳士としての腕前が尋常な物では無い事を示していた。
「大川って確かかなり先じゃぁ無かったか? そんな所に行くまで遠出して道場は大丈夫なのか?」
東街道上に有る難所の一つ『大川』は文字の上では『川』とされているが、その名の通りに深く広い、何方かと言えば『河』の字が相応しいとも言える様な大きな川らしい。
大分上の方まで遡れば浅瀬を歩いて渡る事が出来る場所も有るとは仁一郎兄上に聞いた事が有るが、馬も丸呑みする様な大蛙が何匹も出る様な所なので、素直に渡し船を利用する様に言われて居る。
「なぁにかまやしねぇよ。俺が居ないからって稽古の手を抜く様な馬鹿弟子は居ねぇしな。それに今回の一件で博打の借財、女房にバレちまったかんな、ほとぼりが冷めるまで身を隠すついでに借りが返せんなら安いもんだろさ」
ついでって……随分と軽く見られた物だと言うべきか、それとも照れ隠しの類か。
「旅費は出ないぞ? 此方は公費を貰っての旅だからな、勝手に経費を増やす訳には行かないし」
何方にせよ、立派に達人と言える様な人物が無料で護衛してくれると言うので有ればソレに越した事は無い。
「てやんでぇ! 子供に集る様な恥ずかしい真似出来っかよ! 道中お前さんが馬鹿高い宿ばっか取るような真似さえしなけりゃ、どうとでも成る程度の銭ぁ有らぁな!」
うん、昨日まで泊まってた旅籠も一泊二食付きで四百文だったから、決して馬鹿高いと言う程では無いだろう。
とは言え一泊素泊まり八十文位の木賃宿と比べれば、高いと言えなくも無いが、コレはまぁ比べるのが間違いだ。
勿論、旅籠の範疇でももっと安い見世も有れば、比べるまでも無く高い見世も宿場に拠っては有ったりするのだろうが……その質も値段に見合った物に成るだろうし、その辺も含めて外れ無い場所を選んで行くつもりである。
「それにお前さんが噂に聞いた通りの御人だってんなら、然程も行かねぇ内にまた荒事に顔突っ込むんだろよ。それに付き合えば道場の名をあげる機会に成るってもんだぜ」
打ち出す拳が立てる風切り音が普通じゃ無い……氣を込めた様子も無いのにそんな音が出るんだから、俺とやりあった時には全く本気じゃなかったのかも知れない。
「……巻き込まれたくて巻き込まれてるつもりは無いんだがね」
目の前で起こる騒動に武士として、人として、男として恥ずかしく無い振る舞いを心掛けて居るだけで、余計な事に首を突っ込んでるつもりは全く無い。
……のだが死神さんが与えてくれた加護の所為で、俺の目の前にそう言う事態が転がり込んでくるのだろう。
「何方にせよ、此処から大川を渡るまでは俺を連れて行った方が良いのは間違い無ぇぜ。彼処の雲助共にゃぁ顔が効くからな、子供が一人で行ってもボッタクられるか荒事に成るかのどっちかだってもんだからな」
ああ、そうか、そ~言う事も有るんだな。
でもなぁ、船乗る必要有るか? 精霊魔法の中には水の上や水の中を歩く魔法も有るんだよなぁ。
「自力で渡るのは無しなのか? 家の兄上達はそうして蛙に喰われかけたらしいけど……」
多分、渡し船が行き来する場所はきっちり結界が張られた場所で、兄上達が通ったのはその外のかなり上流の方なのだろう、結界の範囲内の川面を魔法で走り抜ける分には襲われる様な事は無く渡れるんじゃないだろうか?
「止めとけ止めとけ、上流の方は電鬼蝦蟇や牙洲蝦蟇、刃蝦蟇に茶蝦蟇と厄介な連中がバカスカ出やがるからな。だからって渡場近くを銭も払わず渡ろうとする輩は雲助共に襲われるんがオチだ。悪ぃ事ぁ言わねぇ信用出来る船紹介してやっからソレに乗ってけって」
んー、江戸州鬼録で見た覚えの無い妖怪の名前が上がったが、火取や兄上達でも厄介と言わしめる様なのを相手取るのは確かに避けるべきかも知れない。
それに結界を維持するのだって、船を維持するのだって無料って事は無いだろう、そんな所を余所者が勝手に抜けていこうとすれば、確かに喧嘩を売っていると取られても可怪しくは無いな。
「つっても、大川までは余っ程かっ飛ばして行かなけりゃ二、三日は掛かるだけの距離は有る。お前さんの場合、其処に付くまで何回騒動に巻き込まれて何日掛かるか解った物じゃぁねぇんだから、今から気にする必要は無ぇだろさ」
……そんな事を言われると風の行進の魔法を使ってでも一気に進みたく成るが、折角武士山と海を纏めて見る事が出来る絶景地を進んでいるのに、ソレをしてしまうのは勿体無さ過ぎるな。
「大川までのこの一帯は俺の庭みたな物だかんな、お勧め出来る旅籠も美味い見世も幾つも知ってるから、まぁ物見遊山も兼ねてゆっくり行こうぜ? 急ぐ旅路じゃぁ無ぇんだろ?」
言いながら、懐から取り出した林檎を一齧りしソレを前に放り投げると、彼の騎獣がパクリとソレを食らう。
「わう」
「くぅ~ん」
「ふぁ~」
それに反応するかの様に、紅牙と御鏡が自分達にもおやつを寄越せと声を上げ、翡翠は我関せずと言わんばかりに欠伸した。
「仕方無い、この辺で美味い見世、案内してくれ。そろそろ昼飯にしよう」
俺は溜息を一つ付いて、そう言いながら手綱を緩めるのだった。




