四百七十八 志七郎、九死に一生得て上には上が居ると知る事
今までの事、これからの動き、其れ等を相談して俺が帰路に付いたのは、そろそろ日も傾きだした時分だった。
道中奉行と言う役目も有ってか、話を進める度に有れや此れやと手配を挟む為、全ての結論を出すまでにどうしても時間がかかってしまったのだ。
先方にはこのまま夕餉でも……と誘われはしたが、日の高い内は兎も角、暗くなれば連中がどんな短慮を起こすかも解らないし、宿賃には朝夕食代が含まれているので勿体無いとも思ったので、サクッと帰る事にした訳である。
幾つもの屋台が軒を連ねている街道沿いの区画を抜け、そろそろ旅籠が見えてくる……そんな時だった。
「猪山の鬼斬童子……だな? 貴殿に恨みは無いが、故有ってお命頂戴仕る」
と、そんな台詞を口にしながら、路地から男達が飛び出して来たのだ。
先頭に立つ男は三十代半ば程だろうか? 腰には刀を佩びて居らず槍の様な長物も手にしては居ない。
白い小袖と濃紺の袴だけを身に纏ったその姿から察するに、拳法なり柔術なりの使い手と言った所だろうか?
身の丈は凡そ五尺と言った所だろうか? 体格は決して良いとは言い難いが、着物の上からでもはっきり解る張り詰めた肉体は、一目で鍛え込んでいる物だと理解出来た
「……抜け。幾ら二つ名持ちとは言え、子供相手に不意を打ったと有らば流派の恥。刺客なぞ世間様に誇れる様な仕事では無いが、武芸者としての矜持まで売り払った訳では無いからな」
銭で雇われた用心棒とかそう言う手合か?
最初から俺が通り過ぎるのを待って後ろから仕掛けてくる様な事をしたり、一緒に居る与太者達をけしかけて来ない辺り、その言葉に嘘は無いのだろう。
同時に俺の事を逃がす積りも無いのだろう、藩の名と俺の二つ名を口に出された以上、勝負を受けなければ、歳の差云々など関係無く『臆病者』と誹られ、猪河家の名を落とす事は避けられなく成る。
二つ名を持つと言うのはソレだけで一端の武芸者として扱われると言う事なのだ。
「猪山藩主猪河四十郎が子、猪河志七郎。御貴殿の挑戦を受けよう」
相手が素手で戦う者だと仮定すれば、身長差と得物の差を合わせて、間合いに然程の差は無いだろう。
拳銃を懐に飲んでいる事を加えれば、今の互いに踏み込まずには届かぬ遠間は俺の間合いと言える。
「撲震無刀流鴨川派岳武士道場師範、火取勇重……」
その言葉を待って俺は刀を抜き八相に構える、同時に火取も身体を小さく丸め、両の拳を顎の下に仕舞い込む様に構えた。
「いざ……」
「尋常に……」
「「勝負!!」
互いの声が一分の狂いも無く重なり、同時に間合いが消え……刃金がぶつかり合う甲高い音が辺りに響き渡る。
相手の踏み込みに合わせて袈裟懸けに振り下ろした俺の刀と、火取の右拳が真正面から叩いたのだ。
決して俺が手を抜いた訳では無い、生半可な鎧程度ならば諸共真っ二つに出来る程の氣を練り込んだ『斬鉄』を込めた一太刀だ、相手が御祖父様級の氣功使いと言う事でも無ければ素手で止められるなんて事は無い。
では何故、奴の拳は無事なのか……意識加速を用いたコマ送りの世界で眼球に氣を込めてその拳を良く見る。
どうやら奴は指輪の様な物を身に着けており、ソレで正確に俺の刀を迎え撃ったらしい。
そして拳の端から僅かずつはみ出している黒鉄の小さな棒の様な物が見える。
恐らくは寸鉄や峨嵋刺なんて呼ばれる暗器の類を握り込んでいるのだろう。
「っち!」
下から刃を真っ直ぐ叩く様に打ち付けられた拳に込められた威力はかなりの物で、そのまま刀が上へと弾き飛ばされ、
「っし!」
即座に右の拳を引き戻し、今度は俺の顔面目掛けて真っ直ぐに左の拳が飛んで来る。
対する俺は、握る力を緩め刀を飛ばされるに任せ、空いた両手を交差させて振り下ろし、迫る拳に叩きつけた。
そのまま掴み取り、関節を極めようと思ったのだが、残念ながらソレよりも早く腕が引き戻される。
今の一合撃で解った、この男……強い、練武館の師範達でも彼より腕が立つ者は少ないだろう。
流石に一朗翁や御祖父様が相手ならば敵ではないとは思うが、義二郎兄上や鈴木伏虎相手でも勝負に成る位の腕は有るんじゃ無かろうか?
つまり今の子供の身体と雲耀には程遠い俺の剣腕では、少々荷が勝ちすぎる相手と言える。
「せめて一撃で楽にしてやろうと思ったのだがな、どうやら花を摘む様な簡単な仕事では無かったらしいな……。悪いが手加減は出来ん、このまま勝負を付けさせて貰う」
しかも今の一合撃で奴の中にあった『俺が子供』だと言う油断は完全に消えてしまったらしい。
火取は身体を小さく折り畳むと、拍子を取る様に左右に身体を大きく揺らし始めた。
と、思った瞬間、繰り出された左の拳。
ソレを掻い潜る様に身体を下へと投げ出し、前転の要領でその左脇を転がり抜ける。
そして振り返るよりも早く懐へと手を入れ、脇のホルスターから銃を抜き出す事無く服に穴が空くのを覚悟で引き金を引く。
当然コレが当たるとは思っていない、飽く迄も追撃を止める為のそれから、
「悪いけど他の連中、もう少し離れなけりゃ流れ弾に当たっても責任は取れないぞ?」
今の所は手を出しては来てないが、ソレでも俺が勝ちそうに成れば何をするか解らない取り巻き達に対する牽制だ。
幸い今の所は野次馬の類は居ないから、他人への流れ弾を気にする必要は無いだろう。
「っち! 単筒か、女子供の玩具を決闘に持ち出すとは無粋な……と言いたい所だが、此度は子供を相手にしているのだったな。刀を拾え、無手の子供を嬲り殺しと言うのは寝覚めが悪いわ」
苛立つ様子を隠す事無く、舌打ちしながらそんな台詞を口にする火取。
「先生! 何を馬鹿な事を言ってやがんだ。解ってんですかい? アンタがこのガキを殺ら無けりゃ、アンタの娘は借金の質に売り飛ばされるんですぜ? そんな一銭にも成らねぇ矜持とやらで、勝ちを捨てる真似すりゃ後悔するのはあんたの方だぜ?」
だがソレに待ったを掛けたのは、与太者達の中で一つ飛び抜けた立場らしい一人だった。
「じゃぁかぁしぃ! 要は殺しゃ良いんだろぅが! さっきも言ったが、俺ぁ武芸者の矜持まで売り渡したつもりは無ぇ! 第一、借りた銭ぁ盆までに返しゃぁ良い約束だっただろうがよ!」
……どうやらこの仕事、火取に取っては決して気乗りのする物と言う訳では無く、子供とは言え俺が二つ名持ちの実力者……と思う事で折り合いを付けていた、と言うことらしい。
うん、借金の返済代わりに娘を人質にして、腕の立つ男を無理矢理戦わせる、講談噺や前世の時代劇なんかでは偶に耳にする話だが……。
そんな言い争いをしているうちに俺は、さっさと飛ばされた刀に駆け寄り、拾い上げた。
「手前ぇ等の手に負えねぇから、態々俺を呼んだんだろぅがよ! あの程度の銭ぁ返そうと思えば何時でも返せんだよ! それとも何か? 力尽くで踏み倒してやろうか? ああ! そうだな、子供を殴るよかそっちの方がよっぽど気持ちが良さそうだ!」
と、俺が再び相対する前に、色々と堪り兼ねた物が溢れ出したらしい火取は、そう叫びながら文句を付けた与太者を殴り飛ばす。
「て、手前ぇ! 何してくれやがる! 俺達の後ろにゃぁ御代官様が付いてんだぞ! この事を報告すりゃぁ道場丸っと潰せる話だぞ!」
あー、うん……此奴等、言ってはいかん事を口にしたぞ。
「つまり俺に……猪山藩猪河家に喧嘩を売ったのは、此処の代官だって事で良いのかな? うん、わかってるとは思うが、ソレって猪山藩と武士見藩で戦争したいって事で良いんだよな?」
依頼主なんて濁して置けば良いのにソレ言ったら完全にアウトだろ。
今更ヤバイ事を言っちまった、なんて顔で口を抑えてももう遅い。
「丁度、明日には親戚関係に有る浅雀藩の行列が此処を通るんだよな。その時にはこの宿場が焼け野原に成る可能性が有るって、解ってて俺にこの人を嗾けたんだよな?」
まぁ実際には、無関係な町民連中を巻き込む様な事はしないだろうが、ソレくらい言っても大袈裟とまでは言い切れない状況なんだよなぁ。
多分この連中には俺と角咏君さえ仕留めれば、後は何とでも揉み消せるとか都合の良い話しかしてなかったのだろう。
……詰み、だよな。
しかしあのまま、遣り合う事に成らなくて良かった……多分彼処で切れてくれなければ、勝ち目が無かったぞ。
「良いよ、もう帰っても……お前さん達の今の台詞で、誰をどうすれば良いのか解ったしね……それとも、今この場で俺とその人、纏めて殺り合うかい?」
今更ながらに背中を伝う冷たい汗を感じながら、俺は刀を鞘に戻すのだった。




